第二章 神は救わない 4

 押し入り強盗二人の調書を作成し終えた香染は家には帰らずに、町名主のところへ向かった。


 焦茶町の町名主は焦茶という名の男で、当然ながら香染とは面識がある。

 夕刻の忙しい時間であったろうに、焦茶はいきなり訪ねてきた香染を手厚く持て成した。


「突然にすみません」


「いえいえ、香染さんにはいつもお世話になっておりますから」


 焦茶は抜け目のない男である。

 火付盗賊改方である香染にはすり寄ったほうが利になると理解している。


「昨晩も捕り物があったと聞いていますよ」


「それが到着した時にもう狼藉者はのされていて、私がしたことといえば手縄で縛ったくらいなのです」


「ほほう」


「それで被害者の方なんですが、まあ、なんの被害も無かったわけですが、どうも黒檀と名乗っているようでして」


「ええ、ええ、聞いていますよ。月白という名のお孫さんを連れているとか」


 一応、知るべき事は知っているようだ。

 もう少し踏み込んでも良いだろう。


「高貴さを感じさせる名前に、狼藉者を殺さず制圧できる腕前。只者ではないのでしょうね」


「それが、まあ、その、高貴な家柄ではないと聞いています」


「では戦功ですか?」


「でもないようでして……」


 焦茶は歯切れ悪く答える。

 おそらくは、いや間違いなく、黒檀たちの出自について詳しくは聞いていないのであろう。

 まあ、それ自体は仕方がない。

 焦茶の管理する町には千人からの店子が住んでおり、その全員を把握するのは困難だ。

 一応、人の出入りがあれば町名主に報告があるはずだ。しかしそのすべてを覚えているわけもない。


「では詳しいことは大家に聞くとしましょう。あの長屋の大家を教えていただけますか?」


「あんなお年寄りをそんなに調べる必要がございますか? 被害者でありましょう」


「二人の、刀を持った無頼漢を無手で返り討ちにできるほどの者が貴方の町に入り込んでいるのですよ。不安ではありませんか?」


「なるほど。香染さん、貴方の不安もわかります。得体の知れない男が近所にやってきたと感じておられるのですね」


 焦茶はそう言ってしばし口を閉ざした。

 やがて丁稚が冷めたお茶を取り替えて退出してから、顔を上げる。


「どうか私に免じてあのお方をそっとしておいてあげてはいただけませんでしょうか?」


「どういうことでしょう?」


 事情が変わった。

 焦茶は何かを知っている。否、相当に事情に通じている。


 香染は背筋を伸ばした。

 話を聞くまでは一歩も引かないという覚悟を示したつもりだ。

 それは焦茶にも伝わったようだ。


「誰にも口外しないとお約束いただけますか?」


「もちろんです」


「少し長くなります。どうぞ、楽になさってください」


 そう前置きして焦茶はゆっくりと話を始めた。


「どこから始めたものでしょうか。あれはまだ私の父が焦茶であった頃になります。四十年以上前の話になりますな。魔族との諍いに人類が明け暮れておった頃です」


 香染は魔族という差別用語にもの申したくなったが、ぐっと堪えた。

 焦茶くらいの年寄りには、いまだに蜥蜴族のことを魔族と呼ぶ者も少なくない。そういう時代を生きた者なのだ。


 一旦話を始めてしまうと焦茶は蕩々と過去を語り出した。


「町名主には兵役の義務はありません。父は徴兵されませんでしたし、私もまだ幼かった。しかし町からは男衆が減り、町から活気は失われました。女たちが帰らぬ亭主を待って泣きはらす日々でした。香染さんにはわからないでしょうが、あの頃は本当に世界が終わると思っておったのですよ。魔族は子どもを好んで食らうと伝え聞いておりましたから、私なんかは眠れぬ日々が続きました。恐怖が世を蝕んでいたのです」


 いわゆる魔王動乱期である。

 香染が産まれるよりも前の話だ。


 香染の父は若い頃に徴兵され、蜥蜴族との戦いに身を投じている。

 幸い生きて帰ってきたから香染が存在しているのだが、その父も蜥蜴族を魔族と呼んでその恐ろしさを幾度も語ったものだ。


 その後の歴史を寺子屋で学んだ香染は、魔族の実態が蜥蜴族という他の種族とは大きく異なった習性を持っているものの知的な種族であると知った。しかし差別は絶えず、蔑視は広がり、結果的に大戦が起きて、香染自身も蜥蜴族と戦った。


 その恐ろしさは骨身に染みているが、それは彼らの勇敢さと聡明さに対して感じたものだ。

 彼らを人外の化け物だとは思っていない。なんなら鯨族より話の通じる相手だ。

 鯨族の言葉はあまりにも間延びしていて、専門の教育を受けた通訳がいないと成り立たない。


 香染がそのようなことを考えている間も焦茶は魔王動乱期の話を続けている。

 それはいかに黄都が絶望に染まっていたかについてだった。


「そんな折りにあの方が煌土を訪れました」


 ついに黒檀の話が聞けるのかと思ったら、そうではなかった。


「人類の救い手、神々の遣わした者、そう勇者ネブロン様です」


 鴉族の勇者ネブロンの名は香染でも知っている。

 魔王動乱期を終結させた立役者だ。

 魔王討伐の勅命を受け、諸国を回り、仲間を集め、そして魔王と呼ばれた蜥蜴族の女王を倒し、和睦した・・・・


 彼が真に勇者であったのは魔王と戦い勝利したからではない。

 その後、蜥蜴族についての人々の誤解を解いて回ったからだ。


 彼はその翼を使い、戦場を駆け回って争いを止めた。

 味方であるはずの軍勢から矢を射かけられることもあったという。

 だが彼は諦めずに人々を説いて回り、魔族と呼ばれた種族を知的種族のひとつとして認めさせた。

 宿敵であった蜥蜴族の名誉回復に努め、その行いをもって、勇者ネブロンの名は後世にまで語り継がれているのだ。


「私がかのお方の姿を拝謁できたのはただ一度きりでしたが、今でもその勇姿は忘れられない。彼が世界に光を取り戻すのだと信じることで人々はまた立ち上がることができたのです」


「ええ、そうなんでしょうね」


「勇者様は我ら猿族からも魔王討伐の旅に同行するものを選ぶと仰った。多くの腕自慢が黄都に集結しました」


 そいつらは徴兵から逃れていたのだろうか?

 と、香染は思ったが、口にはしなかった。


「しかし勇者様が選んだのはどの腕自慢でもありませんでした」


 ほう、と香染は思った。

 勇者ネブロンの話は伝え聞いているが、その仲間についてまでは聞いていない。

 猿族からも選ばれていたのだというのなら、猿族の誰もが知っているはずなのに。


「勇者様が選んだのは、腕自慢たちが技を披露するために集まった場で、物見の群衆の中で体調を崩した老女を介抱した心優しい少年であったのです」


 なるほど。勇者ネブロンの為人とも一致する話だ。

 彼は非常に優れた武人であったが、人を救うのは力ではないと自ら示してみせた。


 もしも蜥蜴族の女王を倒したのが只の力自慢であれば、蜥蜴族は滅ぼされていたかもしれない。

 そうなると現在の煌土国の発展もなかっただろう。

 蜥蜴族からもたらされた技術は生活の質を大きく押し上げたからだ。


「勇者に選ばれたその少年には黒将軍から直々に黒檀の名と、伴侶に月白の名を与えて良いという許可が下りました。また彼が焦茶町に住んでいたことで、我が家も褒美を得られたのです」


「ではあの老人がその黒檀である、と」


「私とは少しばかり年が離れておりましたから、顔馴染みではありましたが親しいというほどでもありませんでした。それでも誇らしかったものです」


「名誉なことではないですか? 何か隠さなければならない事情が?」


「香染さんは黒檀さんをご存じじゃ無かったでしょう?」


「ええ、まあ、そうですが」


「それは彼が勇者様の旅に最後まで同行しなかったからなのです」


「途中で脱落した、と?」


 腕自慢というわけでもなかった少年だ。そう言うこともありうるだろう。


「事情は伏せられていて、私も知りません。黒檀さんも語ろうとはしませんので。しかし彼はたしかにあの時、我らの希望でした。そしてその彼が長い時を経てようやく故郷に帰ってきたのです。伴侶に与えるはずの名を養女に与え、ようやく。黒檀さんが私に望んだことは、しばらく置いて欲しいと、ただそれだけでした。この長い期間に何があったかは知りません。ですが、もうそっとしておいてあげてほしいのです。できればしばらくではなく、ずっといてほしい」


 焦茶には何か思うところがあったのだろう。

 手ぬぐいで目元を拭う。

 香染は焦茶の涙が止まるのを待ちながら、頭の中で情報を整理していた。


 強盗たちから得た情報と一致する。


 ヴァルメルクスという狐族の豪商は、勇者ネブロンに託した宝玉が正しく使用されることなくその手から失われていたことを知り、一億円という馬鹿げた金額を出してでも取り戻したがっている。


 ならず者たちは自分たちの情報網から、黒檀という男がそれを持っているか、あるいは持っていたことまで突き止めた。


 この二つの点は、黒檀が勇者の仲間であったことでつながる。

 黒檀が宝玉か、あるいは換えた金を持っている可能性は十分にある。


 自分の人生を賭けるに足る情報だ。

 ならず者たちが動くのも理解できる。

 だが霞の命が掛かっているとなると、もう一押しが欲しい。


「たしかにご老人には平穏無事に過ごしていただきたいものです。一時とは言え、勇者と共に歩まれた方であるなら尚のこと。しかし黒檀さんは強盗に狙われました。理由を知らなければ、また起きないとも限りません。何かご存じではないですか?」


「……そう、ですね。黒檀様は大統領への面会を希望されています。渡さなければならない品があるとかで、それが何かまではわかりませんが……」


「なるほど。それを知った者が物品の横取りを狙っているのかも知れません。黒檀さんと黒将軍の面会が叶うまで、警戒を厳にするとお約束します」


「ありがとうございます。香染さん。話して良かった」


「ええ、話していただけて良かったです」


 後はどう奪うかが問題だ。

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