第一章 枯草は燃える 7

 枯草たちの間で話はまとまった。

 鉛丹の手足として動き、宝玉を手にした瞬間に裏切る。後は誰かが依頼主のところまで宝玉を運べば、シルヴァンシェードの森を買い戻す交渉ができる。


 丁字染と二藍が態度を変えてしまい鉛丹に感づかれることを枯草は恐れたが、幸いにもボロの出ないまま旅は進んだ。


 車があるはずだった錦繍藩の駅に車は無く、鉛丹と露草の二人が牛車に乗り、枯草ら狼族は姿を隠しながらそれに追随した。

 柿木村でも枯草たちは村に入ることは避けた。

 ここから先は翠嶺郷まで山道を徒歩で進むしかない。


 鉛丹と露草は露骨に嫌そうな顔をしていたが、自然の中は狼族にとっては故郷のようなものだ。

 枯草たちの足は軽い。

 一等客室の旅も良かったが、自然の中を疾走するほうがよほどいい。

 柔らかい土を蹴り、手で姿勢を整える。四つ足での疾走を野蛮だという猿族は多いが、狼族にしてみれば自然な姿勢だ。


 翠嶺郷は柿木村からさらに国境側に山を登った先の、ほんの狭い土地を指して言う地名である。

 そこには透明度の高い美しい湖がある。だがいかんせん交通路が整備されていないために観光地にはなり得ていない。大きな畑や田んぼを整備するような平地もなく、わずかな猿族が自然の恵みを受け取って生きているという。


 柿木村に仙人の情報は無かった。

 藍墨茶は翠嶺郷から最後の報告を送ったと思われる。

 丸一日かけて辿り着いた翠嶺郷はまるで時が進むのを忘れてしまったかのような光景だった。狼族だけなら半日もかかるまい。


「獣用の罠にだけ気を付けなきゃいけないな」


「猿族の仕掛ける罠なんかに引っかかるヘマをする狼族なんかいない」


 自然の中で猿族の残り香は酷く臭い。臭いにさえ気を付けていれば罠にかかることはないだろう。

 やがて翠嶺郷の集落から情報を集めた鉛丹と露草が集落を離れ、枯草たちと合流した。


「ここからさらに山ん中に半日ほど登った先に住み着いた男が一人いるらしい。いや、正確に言えば、今は二人なんだそうだ」


「二人?」


「十年前に山の中に捨てられていた赤子を男が拾ったんだと。男はこっちの集落に預けようとしたらしいが、それも天命だと説得されて自分で育てているそうだ」


「そりゃァ、良い知らせですねェ」


 男は藍墨茶を始末できるほどの腕前なのかもしれないが、その子どもは違うだろう。十年前に赤子だったとすればまだ十歳程度。男にとっては急所になりうる。自分が傷つけられることに耐えられる者でも、情のある相手が傷つけられると簡単に崩れる。枯草はそういうものを幾度となく目にしてきた。


「あとは意味があるかどうかは分からんが、男は黒檀を、娘は月白を名乗っている」


「そりゃァまた。ガチのお偉方ってことはないんですよねェ?」


「隠居老人と、捨て子だぞ。例え貴人だとしても関係あるまい。いいか、宝玉を誰に渡したかを聞くのが最優先だ。殺したり、喋れなくするんじゃないぞ。娘のほうも殺すな。交渉に使える・・・・・・


「はァい」


 黒檀や月白は原色ではないが、名前から受ける印象としてはかなり高貴な身分を想像させる。


 猿族の文化における名前とは、社会的立場に応じて変わる。

 子どもの頃は濁った名前を与えられる。とくに最近は灰色系が人気だ。大人になり仕事に就くと、仕事の内容に合わせた名前に変わることもある。社会的立場が高い仕事ほど、そういう傾向が強い。


 黒檀はかなり身分の高い仕事に就いている者を想起させるし、月白は身分の高い者の子どもに思える。

 このような人里離れた山中で耳にするような名前ではない。


 だが人里離れた山中だからこそ、黄都周辺での風習とは無縁である可能性もありうる。


 とは言え、この宝玉探しが早い者勝ちのゲームである以上、宝玉の情報を得られたら殺すのだ。鉛丹が言うように彼らの名前に意味は無い。


「さっさと情報を得たい。お前らは先行して成果をあげろ。俺たちは遅れていく」


「それが賢明ってェもんですな」


 早い者勝ちだと鉛丹から聞いたわけではないので、枯草はそのことを知っている素振りは見せられなかったが、丸一日もの間、猿族たちの山登りに合わせて来たので体が鈍ってしまいそうだった。


「行くぞ」


 枯草たち狼族は木々の生い茂った山中を疾走する。


 それにしてもここは本当に空気が良い。

 碧浜は海沿いの町で空気自体は悪く無いが、潮の臭いがどうしても鼻につく。

 仕事で各地を巡るがどこも工業化によって呼吸をするのも辛い。

 これほど清浄な空気を胸いっぱいに吸い込むのは本当に久しぶりだ。意識的に抑えなければ遠吠えをしてしまいそうになる。


「鉛丹と距離が離れる今こそひとつの好機だ。黒檀から得られる情報次第ではさっさと離脱するのもアリだな」


「黒檀が宝玉をまだ持っている可能性もある」


「たしかに可能性は考えておく必要がありそうだ」


 実際には黒檀が宝玉を渡した相手は猿族である可能性が一番高い。その場合は引き続き鉛丹を使わなければならないだろう。

 狼族だけでは猿族主体の国家では身動きが取りにくいからだ。


 だが縹の言うように黒檀が宝玉をまだ所持している可能性もある。

 その場合は速やかに黒檀と月白を殺害し、追手を撒いて宝玉をヴァルメルクスのところに持ち込まなければならない。

 事前に気構えをしておく必要はある。


「待って、その場合露草ちゃんはどうなるの?」


「黒檀が消えれば俺らを追ってくるしるべは無い。放置だ」


「とか言っておいて実は~?」


「余計なことを考えるな。その場合は組織も全力で追ってくるぞ。一手間違えれば全滅する。……まあ、可能性は低い。だろ?」


「そうだね。鉛丹も黒檀が宝玉を持っていないと判断したから僕らを先に行かせたんだろうし」


「最終的に鉛丹を手にかけることになる可能性は相当に高い。その時は露草を確保できるように俺も配慮する」


「ま、そういうことなら~」


 丁字染は気分屋だ。やる気次第では二藍にも勝てる実力がある。だからこそ今しばらくは気持ちを立てておく必要があった。


「止まれ。近いぞ」


 二藍がそう言って急停止する。

 枯草たちも足を止めた。

 たしかに猿族の臭いが濃くなってきた。古いものではない。


 枯草たちは足音を消すように獣道のような山道を進む。

 そして木々の間から小さな木造の建物が見えてきた。瓦も葺いていない質素な家だ。


「いるな」


 二人分の気配が建物の中にある。

 気配が無くとも匂いで分かっただろう。肉を焼いた匂いだ。

 夕食にはちょうどいい時間だった。


「そういや腹減ったなあ」


 強行軍だったので昼からはなにも食べていない。


「残念だが、飯を横取りとはいかんみたいだな」


 気配からすると食事を終えて、食器を洗っている最中のようだった。


「押し入るか?」


「ちょっと様子を見たいな。万が一もある。周辺の様子も探っておきたい」


 怖いのは枯草たち以外の手勢がここに到着していて、枯草たちが黒檀に迫ったところを横から奇襲されることだ。

 枯草の嗅覚は何も捉えていないが、鴉族の刺客が空から狙っているかもしれない。

 獲物を仕留められると確信した時が一番危険だ。

 これは狼族としての教訓というだけではなく、組織で叩き込まれたことでもある。


「じゃあ、手分けして周辺を、いや、ちょっと待て、これは」


 家の中の気配が動く。二人揃って外に出てくる。


 出てくる?

 この時間に?


 日は暮れかかっている。

 山中には危険な獣も多い。子どもを連れて夜歩きするような場所ではない。


 枯草たちは息を殺して様子を覗う。

 猿族の老人と子どもが玄関から出てきた。

 装いは外行きだ。

 荷物が、多い?

 少しばかり外に、という感じではない。


 老人は大きな背嚢を背負っている。まるで遠出をするかのようだ。

 夜の入り口に家を出る格好ではない。


「娘のほう、気配が妙だ」


 二藍が囁くように言う。

 言われて枯草も気配を探った。

 普通の猿族の子どもに見えるが、たしかに臭いが違う? 薄い? 気配の何かが猿族っぽくない。


 重要なことではないように思うが、違和感から目を逸らすな、というのは組織で叩き込まれた鉄則だ。


「たしかに妙だけど、このままだと見失うよ。追わなきゃ」


 追うべきだ。

 臭いは川に入ったりされると途切れることがある。見失ってはいけない。


 だが老人はなぜ背嚢を?

 娘の気配が妙な理由は?


 わからない。

 わからないまま行動するなと鉄則は言う。だがここで黒檀を逃せば、宝玉への手がかりが途切れる。故郷再興の望みが潰える。


「行こう」


 踏み込まなければ得られない。

 手に入れるのだ。未来を。

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