第一章 枯草は燃える 6

 翌日には枯草たち狼族と鉛丹、そして露草は監獄を後にした。


 監獄のある港湾都市の碧浜から、藍墨茶が消息を絶った翆嶺郷までは未完成の大陸横断鉄道を使い錦繍藩へ、そこから車で柿木村に向かう。道が整備されているのはここまでで後は徒歩で翠嶺郷を目指さなくてはならない。


 列車の一等客室で一行は鉛丹から錦繍藩についてのありがたい話を拝聴する。


 歴史や文化や風習、ではない。仕事に必要な情報だ。

 錦繍藩は他国との境界線を有する国境の藩だ。田舎で、人が少なく、余所者は目立ち、警戒される。猿族以外の種族はほとんど見られないという。


「俺たちゃ仕事の時以外は人里に寄らないほうがよさそうですなァ」


「ふぅん、大変だね。狼族は」


 金髪碧眼の猫族の女は大して興味なさげにそう言った。


「猫族様には無縁な気苦労が多くてなァ」


「ちょ、ちょっとォ、枯草ァ、なんでケンカ売ってんのォ? せっかく情報収集のために露草ちゃんが来てくれてンだからさァ。ちょっとは感謝、ね? しよ?」


「ウッザ」


 丁字染はこれほど猫族好きだったのかと枯草は呆れかえる。

 そりゃ猫族は愛らしいが、心を許すかはまた別の問題だ。

 しかもこの女は極めつけに頭がイカレてる。

 それでもそばに置いていいと思えてしまう辺りが猫族の猫族たるゆえんだ。


「で、藍墨茶から来た最後の報告がこれ、ですかい」


 四十年ほど前にふらりと現れたる男有り。山中にて仙人の如く在り。


 枯草は紙切れを肉球でトントンと叩いた。


「確度の高い情報だと見ている。少なくとも他から得られたものよりな」


「ピンとこねェんですよねえ。ってこたァ、鉛丹様、あんた、まだ隠してる情報が?」


 枯草が視線を向けると、鉛丹は顔の皺が深くなった。

 その猿族の表情は枯草には読み取れない。


「あそこは耳が多すぎる。だが、もういいだろう。宝玉はもともと依頼主のものだった。だが四十年ほど前に勇者に無償で提供された。魔王を倒すためだ」


「はー、魔王動乱期ですか」


 四十年も前の話だ。

 枯草が生まれるよりずっと前の話だし、結局、魔王なんてものもいなかった。

 他の人類とは少しばかり風習の違う知的種族を、見た目と倫理観の違いから魔族と呼び、勝手に恐れ、攻撃した。

 人類の汚点だ。少なくとも狼族の認識はそうだ。


「だが宝玉は魔王討伐には使われなかった。その前に失われたからだ。勇者の証言によると、邪神を封じるのに使い失われた、と」


「邪神?」


 枯草は顔を歪めた。

 魔王ですらいなかったのに、邪神とか吹くにも程がある。


「勇者と言っても、結局は当時の雇われ腕自慢でしょう? 宝玉の価値を知って売りさばいたとかその辺りでは?」


「依頼主も疑いもせずに勇者の言葉を信じたわけではない。勇者が横流しをしていないと信じるに足るだけの証拠はあったようだ。依頼主は勇者の同行者の誰かが持って逃げたことを疑っている。勇者はその誰かを庇っている、と」


「旅のお供はよく入れ替わったようですからねェ」


 枯草でもその辺の逸話はいくつか知っている。

 魔王を倒す旅ゆえに、当時の知的七大種族は力を集結させた。

 すべての種族に勇者と関わった話が残っている。


「動乱後に付け足された話も多いがな」


「それならある程度絞り込めて、あァ、そういうことかァ」


 四十年前にふらりと現れた男、であれば条件に一致する。

 藍墨茶が始末されたのだとして、勇者に同行するほどの腕前があった男なら、猿族でも鴉族を狩れる……だろうか?


「勇者に同行してたってェなら、どんなに当時若かったとしても五十は超えてますわな。猿族の五十歳超えの老人が、現役の鴉族を?」


「俺じゃ藍墨茶には勝てない、と?」


「そうは言ってませんが、まあ、鉛丹様もお年はそれくらいでしたねェ」


「実戦は立ち合いとは違うからな。あらゆる手段を使って、状況が許せば俺でも鴉族を狩れることもあるだろうよ」


 謙虚、と言っていいのかわからず枯草は苦笑する。


「しかしその男が宝玉を盗んで逃げたのだとしたら価値を知ってたってェことですよね? こんな山奥で隠居生活を送りますかね?」


「本人がその利益を得られたとは限るまい」


「そりゃまあ、たしかに」


 使いっ走りがその価値を知らずに使い潰される。

 よくあることだ。今の枯草たちのように。


「とにかく手がかりには違いない。その男に宝玉がどこの誰に渡ったのかを吐かせる。それを辿っていくしかあるまい」


「長い旅になりそうですねェ」


「バラシの仕事を待つ日々よりはマシ、だろ?」


「そりゃまあ、たしかに」


 旅は順調に進んだ、というわけでもなかった。

 とくに食事の作法については揉めた。


 猿族や猫族は箸とかなんとか道具を使って小器用に食事をするが、狼族はお上品に食事とはいかない。

 テーブルに座って食事もできるが、どちらにしても手で肉を押さえて、咥えて引きちぎって咀嚼するしかない。


 その伝統的な狼族の食事風景が、猿族と猫族のお気には召さなかったのだ。


 少なくとも食事を共にする気は起きないと、はっきり伝えられた。

 じゃあ食事の時間をずらしましょうと縹は提案したが、鉛丹も露草もいい顔はしなかった。

 どうにも二人にとって狼族の食事光景は見るに堪えないものであるようだ。


 せっかく一等客室に席があるというのに、食事を隠れるようにこそこそと食え、と? お二人こそが食事の間だけ席を外されては?


 縹と枯草はそう攻めたが、結局今のところ金を出しているのは鉛丹なので、狼族の四人が折れる他になかった。


 幸いだったのはここが大陸横断を目標とする列車であることだ。つまり鯨族アクアブリルを除くすべての種族を客として想定している。

 列車の運営会社と乗務員には、それぞれの種族の食事が尊重されるべきだという考えがあり、食堂車には席ごとに背の高い衝立が用意されていた。


「で、どう思う?」


 座席についた枯草は狼族ルナガルの言葉で問いかける。

 狼族の言葉に堪能な猿族はほとんどいないから、聞き耳を立てられることに意識を割く必要はほとんど無い。


「僕の意見を言う前に他の二人の話を聞いてみたいね。レインシーカー、ウォークロー。この任務についてなにか思うところはあるかい?」


「ん? 露草ちゃんもいるし、先払いで十円貰ったし、言うこと無いよね?」


「俺もとくに無いな」


「グラスウィスパー、お前は?」


「ストームハウル、たまには君が先に言いなよ」


「まあ、そうだな。正直、きな臭い。藍墨茶ってのは強かったんだよな?」


「僕の知っている限りでは監獄で一番だね。知っている中で、だけどね」


「何歳くらいだったんだ?」


「鴉族は見た目で年齢わかんないからなあ。大人にはなってたし、知ってから二年は過ぎてる。若くて五歳くらいじゃないかな。年寄りではないと思うな」


「全盛期だったと考えようか。鉛丹はもちろん藍墨茶の腕前をよく知っている。その藍墨茶からの連絡が途絶えた。だから狼族を四人も集めた。それだけの危険があると思ったからだ」


「まあ、たしかに一人百円は気前が良すぎるよな~。正直、何人か死ぬの前提だと思ったよね」


「そこは正直分からん。多分、俺とグラスウィスパーは安すぎると思ってるんだよな……」


 どう情報を開示していけばいいか枯草は迷う。


「念のために聞いておくがウォークローは今回の件に絡んでそうな情報を聞いてないか?」


「いや、何も無いな」


「まあ、そうだよな」


 組織に忠実だと思われている二藍に裏の情報を流す阿呆はいないだろう。

 だが枯草が宝玉の横取りを企むのであれば二藍を巻き込まない選択肢は無い。もちろん丁字染もだ。


「たとえば、だ。シルヴァンシェードの森を買い戻せる算段があるとすれば、三人はどうする?」


 縹が息を呑む。彼は可能性に気付いたのだ。


「故郷に帰れるってのかい? わお、本当に!? どうやってさ」


「それは俺たちだけが森に住める、ということではないのか?」


「いや、居住権ではなく、森の権利そのものを買い取る」


「そんな金が何処にある?」


「宝玉だよ」


 二藍の問いに答えたのは縹だった。

 ありがたい。これで枯草の妄言だと思われる可能性は低くなっただろう。


「聞いた話が本当なら依頼主は一億円で買い戻すって言ってる。それも早い者勝ちだ。つまりこれは宝探しなんかじゃないんだよ。誰よりも早く見つけて誰にも見つからずに依頼主に宝玉を届けるか、あるいは宝玉を持ってるヤツから奪うか。そういう遊戯さ」


「そして俺たちは西洋松露を探す豚扱いだ。出し抜いてみたくはないか? 幸い監視役は鉛丹と露草だけだ。四人でかかれば始末だってできる」


「ちょっと待って! 露草ちゃんを始末するっての? 反対。俺は反対!」


 予想外の方向から反対意見が飛びだしてきて枯草はため息を吐いた。


「狼族が帰る場所を取り戻すのと、猫族の女が一人。どちらが重いんだ?」


「うーん……」


「悩むんかい」


「だってぇ」


「だったら露草は生かしておいてもいい。レインシーカー、お前が責任取って飼えよ」


「むむむ」


「俺は猫族なんかどうでもいいが、森は取り返したい」


 二藍は思っていたより好感触だ。

 丁字染さえ説得できれば、話は決まる。


「ほれ、お前次第だ。レインシーカー。いいじゃねぇか。首輪を付けて好きにすりゃよ」


「分かった。分かったよぉ。ごめんよぉ。露草ちゃん。俺の子を産んでくれぇ」


「キッモ」


 猫族に愛情を抱くのはすべての種族に共通しているが、性的感情を抱くかは種族差と個人差が大きい。

 たとえば猿族、狐族、狼族は猫族を性的に見る場合がある。これはそれらの種族が猫族との間に子を設けられるかどうかだとも言える。これら四種族は交配が可能だ。

 ただし産まれてくる子どもは母親の種族として産まれてくる。


 現代ではほとんど見られないが、性的な奴隷となった猫族の末路は悲惨だ。

 子を孕まされては奪われることになる。

 もっともその結果として猫族は故郷を持たないまま、各種族の下で一定の数を維持できている。


 過度なまでに愛されること、それが猫族なりの生存戦略なのかもしれない。

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