第一章 枯草は燃える 5
二藍は意識こそ保っていたが、まともに立ち上がれなかったので枯草が肩を貸した。
丁子染と縹は気絶していた癖に、今はぴんぴんとしている。
鉛丹が向かったのは枯草が入ったことのない部屋だった。
見るからに壁が分厚く、内装こそ派手ではない。
だが金がかかっているとわかる。
囚人たちが出入りする辺りからは外れており、周囲には人気もない。
「幹部用の会議室だから変に置いてあるものに触れるなよ。お前らより価値がある」
鉛丹のそれは脅しではなく、事実であろうと枯草は思った。
普段、仕事の話を通達されるような作戦説明室とは違い、ここにあるのは円卓だ。幹部用の会議室というのは嘘ではないのだろう。
「まあ、自由に座れや」
枯草はきちんと、縹は浅く、丁子染は背もたれに体を預け、二藍は石像のように椅子に座った。鉛丹自身も椅子に座った。
「さて、軽くは話したが、今回はバラシじゃない。ただのタグリだ。ちょいとしたものを取ってくる。それだけの仕事だが、お前らを集めたのは
それはそうだろう。
狼族が投入されるのは決まってヤバい現場だ。易しくてウマい仕事なら猿族の誰かに回される。
「まず
「魔法?」
突然飛び出した胡散臭い言葉に枯草は顔を顰める。
縹も微妙な顔をしていた。
そのことに気付いたのか、鉛丹は咳払いした。
「言い方が悪かったな。
宗教的価値がある、という意味か。
狼族は偶像を信じない。人の手が入ったもの、というだけではなく、自然物も含め、物質は狼族の信仰の対象ではない。
彼らが崇拝するのは夜を照らす光、月の女神である。ゆえに宝玉に宗教的価値があり、価格の付くことが枯草にはいまいち納得ができなかった。
そもそも宗教的価値を金に換算すること自体が罰当たりなのでは?
「まあいいかァ。それっぺェもンを見つけたとしてさァ、それが真実それであるっつーのは、どうやって判断すりゃいいんで?」
「なんでもその宝玉は命を食うんだそうだ。宝玉に生贄を捧げると、色が変わるらしい。しばらくすると白に戻るそうだが、それで確かめる」
鉛丹は少し投げやりな感じでそう言った。
鉛丹自身も眉唾だと思っているのだろう。枯草もそのような石があるだなんて聞いたこともない。
「生贄っつーのは生き物ならなんでもいいんですかい?」
「あんまりにも小さな虫とかだと駄目だ。兎くらいの大きさは必要だ」
「魚は?」
「知らん。試してみるのは自由だがな」
「なんだか知りませんが、心躍るような仕事じゃあねェですな。与太話を信じてるんで?」
一億円の話も真実がどうかは怪しくなってきたと枯草は思う。だが逆に本当にそういうものが出てくれば、一億円の話も事実に違いない。
「俺はオカルトを妄信しない。が、世の中のすべてが理屈で証明できるとも考えていない」
「猿族の主流は物に神が宿るってェ信仰でしたっけ」
「それは信仰の一側面だ。物にも神が宿るというべきだ。そして俺がそれを信じているわけでもない。大事なのは依頼主がそうであると信じていて、ブツに金を払う用意があるってことだ」
「で、俺らの報酬は?」
「百円だ」
丁字染が腰を浮かす。
「マジで!? え? なんでお前ら驚いてねェの?」
丁字染の指摘に枯草はハッとした。
百円は大金だ。丁字染の反応のほうが自然だ。
「……一人につき二十五円だ」
内心の動揺を押し隠して枯草は言い繕う。
普段の仕事は一件につき十円程度が相場だ。
「あァ、そうかァ、そう言われりゃそりゃそうかァ」
いつもの十倍の報酬なら色めき立つのもわかるが、これくらいなら驚かなくとも不自然ではないだろう。
その前に聞いている話が与太話の可能性もある。空手形に喜ぶのは阿呆のすることだ。
とくに狼族は奴隷ですらない。組織に飼われた人権無しの道具に過ぎない。
狼族は金を受け取って使えるが、自由を買うことだけはできない。
金の使い道は仕事道具か、嗜好品だ。報酬の過多にそれほど大きな意味があるわけではない。少なくとも枯草にとっては。
「勘違いしているようだが、一人につき百円だ」
丁字染が再び椅子をがたつかせたので、枯草は手を向けて押しとどめた。
丁字染から漂う薄まった酒と煙草の臭いからすると、彼がそう言った嗜好品を買えなくなってしばらく経つのだろう。
縹も目を泳がせていた。一億円のことは知っているのだろうが、現実味のある百円のほうに心を奪われたのかもしれない。
二藍は、……わっかんねぇや。と枯草は思った。
「鉛丹様よォ、大盤振る舞いが過ぎてると逆に警戒しちまうってェもんですわ。その上、あるかもわからない命を食う宝玉なんてもの持って来いとか言われてもさァ」
実際には大盤振る舞いではない。報酬一億円の仕事である。百円など端金もいいところだ。とは言え、枯草に報酬の交渉をするつもりはない。
「必要経費は用立てるってェ話でしたよねェ。そいつァは幾らまで使えるんで?」
「わかった。わかった。一人につき十円を先に経費として渡す。それ以上必要というなら、都度俺を説得しろ」
「それは必要経費で間違いないんですよねェ?」
「報酬の前払いでないことは約束しよう」
「報酬と経費については俺ァ納得しやした」
どうせ成功報酬を貰う気はない。
宝玉が実存したのであれば、仲間に協力を仰いで逃げるだけだ。
丁字染や縹、二藍も鉛丹の言葉に対して頷く。
「で、結局のところ宝玉はどこにあるんで? 狼族を四人集めて持って来いというからには、何処にあるかはご存じなんですよねェ?」
「確定情報は無い。だが目処は付いている。可能性を調べに行かせたヤツのうち一人が消息を絶った。藍墨茶のことは知っているか? なら話は早いんだが」
「腕っこきじゃねェっすか」
藍墨茶の名に縹が反応する。
「強いンか?」
「鴉族だ」
「そりゃヤベぇや」
鴉族が皆強いわけではないが、彼らは飛んで逃げられる。種族的な反射神経も他の種族よりずっと上だ。狼族の腕を意識的に避けられるのは鴉族くらいのものだ。鴉族が消息を絶つというのは尋常ではない。
少なくとも一人百円は適正な報酬だ。
「裏切ったり逃げた、てことはないんですかい?」
鴉族なら逃げたり姿を消すのは容易だ。
「無い、とは言えんが、今まで組織に貢献してきたヤツがこのタイミングで姿を消す理由が思いつかんのも事実だ」
鴉族は家族意識が比較的薄い。
子育ての時期は番いで卵や雛を守るが、巣立てばもう興味を持たない。
つまり鴉族の場合は、他の種族で見られるような引き離された家族に会うために命を賭けて逃げる、というようなことが発生しにくい。
「実存もわからない怪しい宝玉に、消えた鴉族ってわけですかい。まさかとは思いますが、俺らに情報収集までしろとは言いやしませんよねェ」
煌土国で狼族が自由行動などしていては目立つだけだ。情報収集するとしても宵闇に紛れて、耳を潜める程度だろう。直接の聞き込みなどには向いていない。
「俺と
「露草ちゃんが!? あい! やる、俺やりやす!」
丁字染がまたしても腰を浮かせた、というより立ち上がった。
とはいえ枯草も少しばかり驚いた。
「露草が興味を持ちそうな仕事にゃ思えませんでしたが」
猫族の工作員である露草は興味のある仕事しか引き受けないことで有名だ。
彼女は殺しの場合、好みに合う男のみを標的にする。何をもって好みに合うとするのかが誰にもわからないことが難点だ。少なくとも強さは基準ではない。種族も違う。
なぜそのような我儘が通るのかと言えば彼女が猫族だからとしか言いようがない。
猫族は他七つの種族すべてから愛される。それこそ魔法か呪いかのように。
こればかりは枯草にも説明ができない。
猫族のことは本能的に愛おしく感じてしまうのだ。
「あやつには貸しがいくつかある。今回のことで幾らかを返済としてお互いに手を打った」
「なるほど。猫族が同行してくれるなら情報収集にゃ困りゃしませんな。わかりやした。乗りましょう」
元より枯草たちに拒否権などなかったが、狼族たちにやる気があるかどうかは鉛丹にとっては大きな違いだ。
まあ、なんならすべて嘘っぱちなのが一番いい。
十円貰って猫族同行の旅行ができるというわけだ。
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