心世界～ネオ・ユニバースト～

第4話 鮫島 恭子。

《ごめんなさい、弟が悩んでいた事を知らなくて》

「いや、家族でも言い難い事も有るんだし」

『姉さんは良いって』

「本当に良いのか？」

《ごめんなさい、私はあまりに軽率だった。私との事は一旦置いておいて、先ずは弟をΩ化させられるかどうか試して欲しいの、性行為も含めて》

「は？」

《もう、本当に、凄く自分勝手な事ばかりだと思う。でも、私にはもう子供が居る、それに私が弱いせいで弟は相談出来無かった。アナタの事も、自分の事も、もう少し考えたいの》

「え、じゃあ番の解除を」

《もし弟の方が良いと思ったなら、解除を》

『なら、２人が良いとなったらどうするの姉さん』

《それは》

「それで、お前は俺で良いのか？妥協し過ぎじゃないか？」

『義兄さんこそ妥協しなくて良いんだよ、姉さんは許したし、僕はそもそも許すも何も悪く無いと思ってたんだから。僕らと離れて違う人生を生きても良い、本当は自由に生きて良いんだよ、選ぶ権利が有るんだから』

　俺は、この姉弟に試されているんだろうか。

「俺は、一応、異性愛者だと」

《私の事なら遠慮しないで、本当に。待ってくれても良い返事が返せないかも知れない、それに、本当に好きなら相手の幸せを願うべきだもの。でも私には、今、自信が無くて》

『暫く考える時間が欲しいだろうし、もう行こうか姉さん』

「いや、そろそろ発情期なんだし」

《でも》

「どうしたら信じてくれる、どうすれば」

《それが分からないから悩んでるの！》

『姉さん、ココに居たいなら素直に話しなよ』

《ココに居たい！でも、それがΩだからなのか、私が好きだからなのか》

「俺はどっちでも構わない、一緒に居たいと思ってくれるなら」

《ほら、アナタは好きだから私と居たいと思ってるワケじゃ》

「いや、君の事を本当に好きだから」

《私が要求した時！言うべき時だけじゃない！私みたいに湧き出る様に》

『姉さん、それこそΩとαは違うんじゃないの』

《だからよ！あの人は私の前で惚気たの、思わず零れ出た惚気に、本当に気まずそうに謝罪して》

『それこそ当て付けだったかも知れないんだし、誠さんはココまで』

《それも、私の罪悪感を減らす為。私の為に、償いの為に》

「いや、それも確かに有る、けど俺は君に背中を押して貰えた事で」

《元は、原因は私じゃない。もう、私とアナタの間に罪悪感や償いが邪魔して、もう、今は素直に受け取れないの》

「本当に、今までの人生が全てクソだったワケじゃ」

《それも、素直に受け取れないの。本当にごめんなさい、番解除の為に特区にはもう申請したの》

『姉さん』

《本当にごめんなさい、こんな姉じゃ相談出来無くて当然だもの。本当にごめんなさい》

『本当に特区へ？』

《うん》

『準備は？』

《コレから、しようと思って》

『手伝うから、じゃあ一旦帰ろう？』

《ごめんなさい、ごめんなさい誠君》

　俺は、止めるべきなんだろうか。

　だとして、どうやって止めたら良い。

　どう言って、どう止めるのが最適なんだ。

「叶子（かなこ）さん」

《ごめんなさい、素面になってからも思ってたら、また話し合いましょう》

「分かった」

　以前とは違い、それ程苦では無かった。

　恥と意地から、この制度を利用しなかったけれど、思った以上に穏やかに過ごせている。

《先生、私はホルモンのせいで彼を好きなだけなんでしょうか》

「そこは、少し違うね。そもそも、好き嫌いを左右するのはホルモン、それから経験。幼児期から既に人は周囲を真似する、そして意外にも自己を理解している。あまりに自分とは違う人種を忌避する本能を持ち、周囲が違いを許容すれば子も受け入れる。そうして大人が不味そうに肉を食べ続けたり、肉に対して何らかの害が起きれば自然と忌避する様になる。だからこそ逆も有る、美味しく感じれば好きになる。そうして報酬系の回路が繰り返し強化され、どんどん好きになる、好きは増幅されるし減りもする。しかも君の個性が軸となり展開されるのが人生、ホルモンはあくまでも支柱の１つだよ」

《番として、家族としてだけじゃなく、愛されたい》

「君の思う愛は、どんな愛だろうか」

　私の思う愛。

《ちょっとアナタ、それアナタの車？》

　気の強そうな娘さんだ。

　困ったな。

「伊藤君から貰ったんですよ、本人に確認してみて下さい」

《だとしても、先ずは降りなさいよ》

　俺、溜まってんだよなぁ。

　匂いを感知しないならβなんだろうけど、同じαだからケンカ売ってんのかもだし。

　つかα女なら、それこそアイツこの女でも良いんじゃ。

　いや、そこはどうなんだろうな、α女のままでβ男の子を孕むのか？

「えーっと、俺は」

『鮫島さん、どうしたんですか』

《あ、伊藤君、アナタの車に違う人が乗ってて》

『あぁ、俺の家族になる予定の人なんですけど、何か？』

　誤解を招く様な事を。

《え、あ、そうなのね》

『過度に裏表が有る人とか、人によって態度を変える人って大嫌いなんですけど、彼って裏表が無くて凄く優しいし賢いんですよ。鮫島さんにも早く良い人が見付かると良いですね』

《あ、ありがとう》

『じゃ、後は何も無いなら早く帰りたいんですけど、もう良いですかね』

《そ、そうね、また》

『はい、さようなら』

「遂（すい）君さぁ」

『すみません、職員には言ってあるんですけど、あの人臨時のβなんで。車の事もですけど、僕をαだと勘違いしてるみたいなんですよね』

「あぁ、この車がそうした仕様だもんな」

『βなんで開示しても問題は無いんですけど、そうなると他の人の分類が予測されちゃうんで控えてるんですよ』

「あー、そっか、αやΩも働いてんのか」

『ですね、ココではΩ女は女の子に手は出さないだろうし嫉妬もしないだろうって事で、月経が始まるまではΩ女が。以降はβ女が女子の指導をしてるんで』

「男もその逆、じゃないのか」

『α男はβ男すらΩ化させられるかも知れない、でも実際に活動的なのがαの特徴、なので優秀な子を育てたい親のジレンマを抑える為にも社外秘なんですよ。そう偏見を持つ事で見え方が変わりますしね』

「いや、誤魔化そうとするなよ。何で俺の前ではガキっぽかったのに」

『使い分けですよ、さ、帰りましょう』

「はいはい」

　せめて番解除中だけでもと、俺は彼に尿を提供する事になった。

　散々悩んだんだが。

　彼女からも懇願され、コレも償いだと思い込む事にした。

　実際、彼から罪悪感は感じないし、俺も彼に罪悪感を感じる事は殆ど無い。

　寧ろ彼女への償いを果たす過程に存在している、１つの通過点だ、と。

『誠さんの匂いがする様になったよね、この車』

「加齢臭な」

『２８で加齢臭は、流石に無いでしょう、多分』

「あぁ、お前ファザコンか」

『だから同性愛者になるワケじゃないと思うけど』

「まぁ、だろうな」

『コンビニ寄ろうよ、甘い物が食べたいなぁ』

「すまんが無理だ、自分でも匂いが分かる」

『真面目、本当に溜めてくれるとか超真面目』

「そりゃな、やるならとことんだろ」

『そんなに早く終わらせたいんだ』

「そらな、俺にその趣味は無いからな」

『前も聞いたけど、そんなに嫌？僕と居るの』

　あぁ、そう言えば有ったな、尿事件の時。

「別に嫌じゃないが、尿を掛けるのが嫌だ、それと飲んでるのを見るとかもう本当に意味が分からん」

『まぁ、勃つと出ないし』

「本当な、収まらないと出ないとか不便過ぎる」

『おっさんなのに朝立ち』

「下半身は別物」

『老け顔気にし過ぎ、羨ましい』

「あー、それでαに間違われるのか童顔、成程な」

『コレでもカッコイイ系ですからねぇ』

「でおっさんに尿を掛けられるのか、本当に可哀想なヤツだな」

『ね、しかも甘い物まで我慢させられるし』

「仕方無いだろ、意外と早く満タンになったんだし」

『もう番離れの現象起きてるんだ』

「な、薄情だよな」

　彼女が去って１週間。

　コイツに尿を掛けるのは２回目。

　前回は溜めずに出して、でその後に溜めたらどうだろうかと提案されてコレ。

　正直、罪悪感は殆ど無い。

　可哀想な者同士、何とかもがいている状態、何もしないよりは遥かにマシだと思っての行動。

　ただ、尿はな、最初はもう出すのに凄い躊躇いが有って出るまで凄い時間が掛かって。

　けど、嫌な顔せずで。

　でも、俺はもう目を逸らした。

　ちょっと風呂場で出しただけだ、と。

　ただ匂いがなぁ。

　それこそΩなら。

　いや、流石にΩでも嫌だろうよ、マーキングってのはあくまでも体臭を付ける為に抱き付いたりキスするだけで。

　もう、こう葛藤するなら他の手段に頼るべきなんだろうか。

　唾液だとか、それこそ精液だとかを摂取させる方がまだ。

　けどなぁ。

　いや、先ずは唾液からか。

　だな、最初に飲ますか。

『へ、唾液』

「あ、それは流石に嫌か」

『いや、寧ろ誠さんが嫌じゃないのかが心配で』

「いやキスはしないぞ、俺が垂らすのをお前が飲む」

『あぁ、成程』

「でもさぁ、お前、コレで何もなんなかったら無駄どころか嫌な思い出にしかならないんじゃないか？」

『俺の初恋がアナタだったらどうします？』

　唾液が飲める嬉しさに、つい。

「えー？俺？」

『例えばですよ、今はもう好みが変わってるかも知れないし』

「まぁ、なら良い思い出になるかも知れんけど」

『そう思ってくれてれば大丈夫って事で』

「いやー」

『嫌なら、昔のご両親だと思って唾なり尿を掛けるとか』

「それなー、そう憎いって言うか、呆れてんだよね、親に。何て馬鹿なんだろうか、愚かで可哀想だ、祖父母の１人はショックで倒れて半身麻痺だし。もう片方は後悔から引き籠って、俺が連絡する度に可哀想だと謝罪の繰り返し、で当の本人達はバラバラ。自分達こそが運命の番だとか言って奪ってまで結婚したのに、未だに何も喋らない、口を開けばケンカ。阿保らしいなと思ってるだけなんだけど、それがダメだったのかね、俺も怒るべきなのかな」

『どうなんでしょうね、僕はそのままで良いと思うけど、姉さんがどう思うかだし』

「はぁ、風呂場行くか」

『アスパラ食べてませんよね』

「成程な、次は食っとく」

『マジで流石にゲロ吐く』

「それは困るわぁ」

『本当に、マジで勘弁して』

「はいはい、お前が良い子にしてたら食わないでおくわ」

『日頃は良いけど、本当、無理』

「ガキ」

『そうですよ、中身も』

　下半身も。

「ガキは何で前を隠すのかね？」

『小さいんですよ、ほら』

　明らかに勃起はしているが。

「え、お前」

『コレでも発育不全じゃないんですよね、この大きさは治療対象外、生殖は行えるサイズだって。でも、この体躯でコレ、可愛過ぎですよね』

「いや、つか、何で勃ってんの？」

『まぁ、目の前に好みの男が居て、エロい顔で唾液を垂らしてきたんで』

　何で同性愛者になるんだ、とか思ってたけど。

「俺が言うのは違うかも知れないけど」

『サイズの事は後から気になった程度ですし。コレの事は気にしないで下さい、もしかしたらαのフェロモンに当てられただけかもなんで、それとも殴りましょうか腹』

「いや、それは本当に勘弁して」

『ならさっさと上向いて出して下さい、寒い』

「あ、うん、すまん」

『はい、どうぞ』

　コイツが言う事が本当なら、男が好きで、ついでにサイズが小さいからΩ化するって事か。

　正直、生徒がこうした理由でΩ化するとか言ったら俺は止めるが。

　もう、コイツは大人だしなぁ。

　もう何年も考えてこの結論に至ったんだろうし、家族になるにしても俺が出来る事は。

　いや、それこそ抱くって手段が有るにしてもだ。

　彼女が心配しないとは限らない、それこそΩ化したらαを独占したくなるのはお互い様で、幾ら血縁だとしてもだ。

　けどなぁ、正直、こうして掛けるよりは。

「ちょっ」

　彼の優しさに漬け込んだ。

　何処か達観している所があるけれど、優しい、それに加えて僅かにでも僕らへ罪悪感を持っている。

　だからこそ合理的だと思えば呑むし、可哀想だと思えば手を差し伸べる。

　そして縋られれば、振り解けない。

　姉はそうした危うい優しさが好きで、同時に不安で堪らなくなるのだろう。

　肯定しながらも否定するしか無い、姉は優しいだけの彼が好きなのだから。

『コレでΩ化するかもなぁ』

「もーさ、巧過ぎて引くわ、何お前、凄いね？」

『そら同性だし』

「あー、アレか、やっぱり百合モノって本物なのかねアレは」

『おっさんっぽい』

「はー、そのおっさんの喜んで。あ、お前、それ親とか知ってるのか？」

『いや、姉さんも母さんも知らないよ、けど父さんには敢えて見せた。天罰だって』

「あぁ、大ダメージ受けてくれたか？」

『追撃もしたからね、コレのせいも有って俺は結婚出来無いし同性愛者になったんだって、だからもう泣き出して謝罪の嵐』

「それで、大人しくしてるのか」

『まぁ、俺に好きな人が出来たって言ったら、居るだけマシだって少し立ち直ってたし。まだ祖父母は元気だし、良い引き際になったんじゃないかな』

「親だろうと大人だろうと、甘えは出るからなぁ」

『責められるべきはウチの父親と誠さんの両親だけ、なのにね、だから姉さんの事は一時期凄く許せなかった』

「いやさぁ、そりゃ」

『僕にも手紙をくれたらって少しムカついたんだよね、許せる機会をどうしてくれないんだって、許すも何も責めて無いのにって。そう伝える機会をくれない酷い人だとも思ったし、好きなのにって恨みも有ったしね』

「で、俺にこんな事すんのか」

『かもね、でも良かったんでしょ？』

「そう経験無いけど、アレはマジでヤバい」

『噛み千切らなかっただけマシだと思うんだけどなぁ』

「それはアレだろ、追々、油断した所で噛み千切るか、俺の幸せの絶頂で噛み千切るかコレ暴露するか」

『僕のテクニックで秒速でした、って？』

「そうそう。お前、そうした仕事とかしてないよな？」

『して無いよ、そうした事が有ってから期間をしっかり開けて検査したし、今は誰とも何も無いし。今でも検査は定期的にしてるよ』

「にしても、そんなに上手くなるのか？」

『練習してみる？し易いよ？』

「自虐過ぎだろ」

『相手が女なら少し気にはするけど、コレが好きってのも居るし、別にそこまで気にして無いんだよね』

「有るのか、女相手も」

『そりゃね、散々試してコレだし、もうカウンセリングも受け終えてる位だし』

「そうか」

『そっちもさ、しっかりカウンセリング受けたら？』

「そこなぁ、別にもう、本当に終わってるんだよな俺の中では。叶子（かなこ）さんにちゃんと許されたと確信して、お前もこうだし、お義母さんだって労ってくれたし。だからもう、切り替わっちゃってんだけどさ」

『姉さんが縋ってるからね、それもそれで１つの繋がりだし、１つでも繋がりが多い方が安心なんだろうね』

「で、お前も差し出すかよ」

『かもね』

「けどなぁ、俺がお前に」

『条件付けすれば良いんだよ、僕の前で全裸になると勃つって言う条件付け』

「はぁ、あのな、そう言うのは好きな相手に」

『はいはい、頼んでる頼んでる、お願いします』

「もう、まぁ良いか、お前も大人だしな」

『そうそう、吐いた唾は吞めぬ、何故なら僕が飲むから』

「少し合ってるけど、ちげぇんだよなぁ」

『確かにさ、初めての女に可愛いとか言われて凹んだ時も有るけど、そこで気付いたんだよね。可愛いって言われても苦じゃない人が居るな、つか好きだなって』

「可愛い可愛い」

『全然、嬉しいし。つかさ、可愛いって殆どが褒め言葉じゃん。仮に可哀想の意味を含んでたとしても、可哀想って言われるより遥かにマシじゃない？』

「お前は本当に可哀想なヤツだ」

『ありがとう』

「はぁ、性格が悪い」

『誠さんもね』

「いや、俺は良い性格してるだろ」

『してるしてる、好き好き』

「２回言うのは」

『嘘の証拠。但し、そう知ってた場合や、敢えてしていたとしたら、どうなるか』

「それなー、本当、常識が一定数の広まりをした場合。追加考察しないとな」

『誤魔化した』

「腹減ったな」

『家に何か有る？』

「俺のお手製のキノコシチュー」

『色んな意味で共食いだよね』

「上手い」

『パンにする？ゴハン？』

「米だろ」

『ウチパン』

「米だろ」

『ドリアじゃん』

「だとしても米だろ」

『珍しく拘るね』

「クリームシチューは米か、パイ」

『あ、パイは許すんだ』

「カップのアイスにだってウエハース付くだろ」

『あぁ、あの感覚ね、成程』

「パイまみれでも許すわ」

『でもパンはダメ、同じ小麦なのに』

「お粥とピラフは違うだろ」

『まぁ、お粥って言われてパン粥出たら驚くもんね』

「そうそう」

『クリームシチューに焦がしチーズ』

「グラタンじゃねぇかよ」

『あ、パスタは？パスタグラタンにしちゃおうよ』

「あぁ、アレはホワイトソースの方が上手いぞ」

『流石、料理上手、次はそれ食わせてね』

「はいはい、準備するから離せ」

『えー、温もりが名残惜しいなぁ』

「寝る時もどうせくっ付くんだし、コタツ買うか」

『半分出すから大きいのにしよう、お願い』

「はいはい」

　罪悪感に漬け込んだお陰で、僕は彼に抱き締めて貰える様になった。

　諦めも有るだろうし、償いの気持ちも未だに有るだろうけれど。

　それに甘んじる。

　きっと、本当に嫌なら彼は選ばない、どうにかして逃げ口上を考える筈。

　姉さんは、あのまま黙って甘んじていれば良かったのに。