第4話 乳化剤。
『すまなかった』
弟が愛を注いでいる事は分かっていた、家族としてだけでは無く、番としても。
もう子の母親なのだからこそ、それ位は許すべきだと考えていた。
けれども、その愛が彼女の負担になるんじゃないかとも、危惧していた。
もし、俺なら、俺の立場なら。
愛し愛される事こそ、却って重荷になるんじゃないか、と。
姉だけを愛し、姉だけに愛されたかったのなら、俺達の愛は邪魔にしかならない。
「最初は、復讐心からなんです、私を置いていった番への復讐」
『それが分かるからこそ、必要最低限にしていたんだ』
カビに影響され、Ωとして俺達を愛してしまったなら、せめて心だけでも守りたかった。
思い出や記憶、それら全てが侵食されない様に。
「はい、ありがとうございました」
『けれど、俺らは甘えていたと思う、君に愛される努力をしなかった』
「それは配慮の」
『いや、君の存在にも、全てに甘え、完全に努力を怠った。向き合うべきだった、君を苦しめる気は本当に無かった、ずっと大切にするつもりだったんだ』
《Ωの辛さは違うんだって、気付くのが遅くてごめん。愛されてると思えないと辛いよね、ごめん》
「いえ、私は」
『君の中の番より、俺達を選んで欲しい、努力する』
「母親の役割は、産んだ者として」
『君に家族のままで居て欲しい、コレからもずっと』
「一緒には」
『番のままで居て欲しい、俺じゃなくても良い、弟の番としてでも構わない』
《兄さん》
『行動も何もかも、出来るだけ変える、君の意に添える様に』
《兄さん》
もし俺も、彼女を愛していると伝えてしまったら、弟を裏切るようで言えなかった。
けれど、それこそが裏切りだった。
『愛してる、番としても』
《難しいとは思う、でもほら、2人がかりだから》
近くにΣが居るお陰なのか、久し振りに番と居られるからか。
私は落ち着いている、大丈夫、もう邪魔をしない。
「その愛は、子へ」
《会えない時、君程じゃないだろうけど、それなりに僕らも辛かったんだよ。ね?》
『不安で、堪らなく心配だった』
「すみません、確かに連絡を」
《君のせいじゃなく、僕らはもう形が変わったんだから、君も含めての家族なんだよ。会いたかったし話したかったし、触れたかった、ちゃんと僕らは番なんだよ》
「それも、解除さえすれば」
《完全には無理だよ、君の血の入った子供が6人も居るんだもの、子供と会わない様にしない限りは無理だよ》
「でも、カビの影響は」
《上の子達、本当にピアノが好きなんだよ、もう取り合い。君の演奏会の映像を流すと近寄って、ママってちゃんと言うし、背格好が似てる人をママって追い掛けちゃうし。食べ物も、あんな青臭いきゅうりが好きで、スイカをあげると白い部分まで食べちゃって。忘れるのは無理だよ、顔だって似てるんだから、大きくなったら余計に無理だよ》
『帰って来て欲しい』
《子供の為だけじゃなくて、僕らの為にも》
涙は凶器、愚か者の使う武器。
だからこそ、困らせない為にも、堪えていたのに。
「私は、変わってしまったんです」
《うん》
「もっと、ちゃんと、元αとして、理性的に」
《色々と抑えてくれてたんだよね》
「私は、私の為に、だから、邪魔にならない様に、お弁当の、バランになれる様に」
《バラン?》
『あぁ、あの緑色の』
「その、そう、なれるように、邪魔をしない様に」
《あぁ、でもせめて乳化剤じゃない?僕らも君も生き物、ある意味で流動体なんだし》
「でも、私は、バランのままでいたかったんです」
《よしよし、ごめんね、辛い思いをさせて本当にごめん》
『本当に邪魔だと思った事は無いんだ、前も、今も』
「でも、それは、私が、Ωだからで」
《番で家族だよ》
『死んでも俺達は家族だと思ってる』
「でも、お姉ちゃんの事が」
《家族だもんね、当然だよ》
『無理に忘れなくても良い、許さなくても良い、俺も同じ事が起きたら絶対に許さない』
《うん》
「でも、私」
『もし嫌でなければ、ちゃんと家族旅行をしよう、復讐と、自慢と』
《全部しよう、ちゃんと家族写真も撮りたいし。もう少しで七五三なんだし、着物を選びに行こうね》
『それに美容室も、気付けなくて悪かった、本当に疎くて』
《爪も綺麗にして、また練習して、演奏会のドレスも新調しよう。一緒に選ぼう》
「私、怖い」
《そうだよね、本当にごめんね》
『本当にすまなかった、悪かった、もっとちゃんと家族になろう』
まるで夢の様だと嬉しくなって、それがまた怖くて。
夢なら早く覚めて欲しくて、けれど夢であって欲しくなくて。
私は、本当に家族になる事が、堪らなく怖い。
《あ、また言うの我慢してるでしょ、言わないとくすぐるよ》
僕らが自分勝手だったせいで、彼女を余計に傷付けた。
だからこそ償う為に、だけじゃなくて、彼女は番で家族だから。
「いえ、別に」
《はい嘘ー》
「ひゃっ」
《ほら、言わないと本当にくすぐるよ》
「どうして、私を愛してるのか、全く意味が分からないので」
《何でそう思うかが分からない》
「私がそう思っていた様に、お2人は、2人で完璧な存在だった筈ですから」
《んー》
『2人で十分だと思っていた、過不足は無いなと、けれど完璧だとまでは思っていなかった』
《そうそう、そんな感じ》
「じゃあ、やっぱり支配下に置かないと不安だから、では」
『それも無いとは言い切れない、けれど、すまなかった。同じαのまま、スライドしていると勘違いしたままだった』
《寂しいとか会いたいとか、僕らが感じる程度だと思ってた、増幅されても理性で何とかするだろうって。だから、寂しいって言われても寧ろ嬉しいし、不安だって言われても嬉しいよ》
「この不安は、別に、私が頑固なので未だに納得が」
『分からせられない俺らが悪い』
《そうそう、愛を注がれるべき器に僕らがゴミを入れてヒビまで入れた、だから修復は僕らの領分。君はゴミやヒビ、傷の有る部位を言う役割なの》
「良い例えかも知れませんけど、そう言い切るのは」
《コレが僕達の考えだから、そこは理解するしか無い》
『だな』
「何からの受け売りなんですか?」
《あータイトル何だったっけ》
『ソロモンの千夜一夜物語、だな、ほら』
「あぁ、童話から、読み聞かせを?」
《読書感想文用に買ったヤツ、追々読ませようかなと思って》
『あぁ、アレか、家に有ったんだな』
《父さんの棚に、お前のだろって。親に借りパクされてたのすら忘れてた》
「その時は何を?」
『コレだな』
《株式会社PE、魔王様は前世交代請負人?知らないんだけど》
「知らない事も有るんですね」
《まぁ、偽装の為にもね》
「もし、自分の子がそうだったと気付いたら、どうしますか」
『見えない所で、俺らに知られない様に、幸せになってくれれば構わない』
《だね、子に迷惑を、誰にも迷惑を掛けない様に》
「そう、ですね」
確かに僕らは、彼女を意図的に避けていたと思う。
知れば、理解してしまったら、もっと好きになれると分かっていたから。
だからこそ、蔑ろにした。
だからこそ、どんなに愛情を示しても、どんなに情愛を示しても直ぐには受け入れられない。
最初に甘えて裏切ったのは僕達、人として扱わず、変化を無視した。
彼女が我慢すればする程、彼女が僕らと距離を置こうとすればする程、僕らは辛い。
人としては勿論、家族としても、番としても。
きっと、だからこそ無視していた。
賢くて優しい彼女が、いつか別れを選ぼうとする筈だと、無意識に無自覚に理解していたんだと思う。
別れを選ばれるのが、そうなると確信するのが嫌だったから。
《もっと甘えて、我儘を言って》
「別に、特には何も要望は」
『足の爪は手入れしないんだな』
「足は、手と周期が合わないですし」
《塗ってあげるよ、何色にしようか》
『流行りの色とか有るんだろ』
「いえ、コレは別に、生きるのには困らないですし」
《何かさせてくれないと悲しい、泣く》
『泣くな、ギャン泣きしてやるか』
《それか、抱き潰して要望を言わせる?》
『アリだな』
「いや、コレ両足塗られたら歩くのが大変ですし」
《トイレまで抱えていってあげて》
『おう、なら拭くのはお前な』
「それは本当に勘弁して下さい」
《僕達が無理矢理作り出すか》
『そっちが捻り出すか』
「もしするなら、ジェルネイルで」
『あぁ、コレか』
《どう違うの?》
「樹脂系なので剥がれ難いんです、プロスポーツ選手も使ってるそうで」
《あぁ、コーティング剤的なヤツなんだ》
「しかも直ぐに乾くと言うか、固まるので」
『この、お湯で取れるのは良いんだか悪いんだか』
「それははい、お風呂が好きなのでちょっと」
《あー、素人がやると剥がれ易いんだ》
『なら塗り直し放題だな』
「あの、気になるなら」
《償いたいし、愛情表現がしたいの、嫌なら他の事をお願いして》
『それとも何か貢ごうか』
「だから、お金は子供に」
『なら番を大切にする親の背も見せるべきだと思うが』
《僕達は兄弟で家族、君は番、子供に自慢するにも良いと思うよ?》
『しかも、通う手間は省けるし、道具を揃えた方が安い』
《要望を言わないから勝手に色も揃えちゃおうか》
「飽きたら、勿体無いじゃないですか」
《一応、それなりに稼いでる方なんだけどなぁ》
『それこそ扶養手当分で余裕で賄えるんだが、そんなに俺らは頼りないか』
「いや、そう言うワケでは」
《何色が良い?》
『赤色は怖いから他のにしてくれ』
《可愛いじゃん》
『手はまだしも足はマジで驚く、もう全種類買うか』
「いや、肌馴染みとか有るので」
《じゃあ、この水色は?好きでしょ?水色》
『真珠みたいだし良いんじゃないか』
「まぁ、好きですけど、合う服が」
《なら服も買おう、今月の分がまだだし》
『だな、扶養手当分を買わないなら、貯めて宝石でも買うか』
「いや本当に、ちゃんと考えますからあんまり散財しないで下さい」
《旅行は?何処に行きたいか言わないと1番高いのにするけど》
「姉の居る、岬に、行こうかと」
『よし、休みを申請しておく』
《だね》
彼女が素直に受け入れられるまで、僕らが努力し続ける。
それは義務で償いで、愛しているから。
《ご旅行ですか》
「はい、それとお墓参りに」
《そうでしたか、ココで大切な方を亡くされたんですね》
「はい、地元の方には大変」
《いえ、遺体が上がらない事も良く有りますし、それだけどうにもならない悩みが有るのだと理解していますから。どうか亡くなった方の事だけを考えず、今を大切に、ご家族と楽しんで下さい》
「すみません、ありがとうございます」
《いえ、では、お元気で》
「はい、ありがとうございます」
私の大切な妹には、2人の夫と6人の子供が居る。
私は離れて良かった、コレで良かったのだと、やっと胸のつかえが取れた。
《さ、行きましょうか》
『もう良いのかい』
《えぇ、もう良いの、ありがとう》
この男は私と妹を見分け、私を攫い、脅したα。
憎くて堪らない筈の、私の番。
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