2. Onthology -Sの選択

 クセソーティアソは慣れた早足で新・新秋葉原駅に向かう。


「やっぱ寒いなあ、ルチアに会えたら、光源を貸してくれるかな」


 進むにつれ、アブレイズクロックに頼らなくていい程に周囲が明るさを増していた。彼の住むナイトブリックスラムではどんなに夜空に目を凝らしても届かない、似非太陽の光が仄かに振り注いでいるのだ。


「羅列太陽系はやっぱ見るだけで安心するな……」


 世界が光を失った夏、最初は宇宙ガスの塊だった点が五十年をかけて、何者かの手により複数の小さな太陽に進化した。これは地球の技術を超えた誰かによる人工的な操作だと考えられている。「羅列太陽系」と呼ばれるこの星の集まりは、十三個の矮星から成り、太陽に似た光を放つ。地球からは冠のように見えることから「冠の星」とも呼ばれ、本物には及ばずとも、光を必要とする世界に十分な明るさを与えていた。


 空に見惚れながら歩いていると、顔見知りの少女が「クセソー! 今日もお使いなの? 」と手を振って駆け寄る。 赤いワンピースはボロボロで、唇から一本欠けた前歯が覗くが、それでもひたむきな瞳で見上げてくる彼女は可愛かった。


「気をつけてね、今、私達みたいな下層の子供の拉致事件が相次いでいるんだから。侵食の印を知ってるでしょ、上層エリアに入ったら身体がボロボロになってもう戻れないんだよ……心配だよ」

「お前こそ早く帰れよ、この時間帯に防寒バリアがなかったら凍死しちまうぞ」

「それはクセソーもでしょ! なら一緒に帰ろ!」

「駄―目! 俺はひまわり商店街にまだ用事があるんだ」


 組まれた腕をぶっきらぼうに振り払うが、心配される面映ゆさに頬は赤らんでしまう。


(くそ、もっと優しくしたいのに)


 幼さ故に少年はルチアに対していつも素直になれない。

「何よ、またブラックマーケットにラディアントオーアを売りに行くの? 本当に気をつけてよ……すぐに帰るって約束して!」

「俺はたくましき下層民だぜ、ちゃんと無事に帰るさ。……明日会うから待っていてくれって」

「わかった、約束!」


 目を合わせないまま指切りをする。軽く手を挙げて先へ行く背中を、ルチアは半ば満足、半ば不安な面持ちで見送る。


 光源の吸収を効率よく活用するため、上層民住宅街の「ひまわり回転街」と呼ばれる特殊な高級建築物が地球一のどの街でも築造された。


 ひまわり回転街はその名の通り、向日葵のように光の方向性を感知し、日差しという光源を真向かいに浴びるよう精密に回転する。


 街の区全体を動かすための凄まじいエネルギーを消費する一方、上層民は潤沢な日光のおかげで、寿命も長く精神健康度も高い。だが生まれつきの下層民が、それだけの量の光を吸収すれば身体がスラムに戻れない。戻れたとしても臓器不全による苦しい死が約束される。人々はそれを侵食の印と呼び、恐れていた。


 クセソーティアソは顔を上げ、目前に迫ってきた向日葵の巨大な花弁の動きを目で追う。

「すげえな、ロボットみたいだ、毎日この日光を浴びられるなんて想像がつかないや」


 羅列太陽系の光を一身に浴びる回転街からは、うっとりするような眩い光が溢れている。


 それに、これほど離れても仄かな暖かさが伝わってくる。


 比べるまでもなく、彼の住むナイトブリックスラムは、まるで漆黒の絨毯を敷きつめたかのような重苦しい空気に包まれ、鼻をつく悪臭が漂っていた。劣化した建造物や崩れかけたレンガが、泥濘まみれの道に点在する。そのみすぼらしさは、背筋を伸ばして生きようという気力を根こそぎ奪ってしまう。自分で己の人生を切り開く気概がないわけでもない。ただ、ひまわり回転街の住人には必要ないだろう膨大な努力を強いられることを思うと、その不公平さに心が折れそうになる日もしばしばあった。


 不幸の中にある恵みを信じる。大好きな祖母がおまじないのように唱える言葉を自分も繰り返してみる。それでも溜息が漏れてしまう日々を過ごしていた。

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