3. ライターズ候補の秋葉原ナイトダイブ

 ベッドから落ちるドカっという音と鈍い痛みで、十七歳のクセソーティアソは目を覚ました。


 心臓の音がうるさい。喉はからからに乾き、水も空気も足りなかった。また過去のことを夢見た、いや悪夢に苛まれたと言った方が正確かもしれない。ホームデバイスの無機質な声が告げる。

「おはようございます、本日は平光展時代六一年七月一日 午前何時です。本日の予定を読み上げますか? 」

「いや……、大丈夫だ」

 汗だくの身体を引きずり、窓から見下ろすと、いつも通りの街の明かりが眩く煌めいている。スラムで暮らしていたあの時の自分なら、目が焼けていたかもしれない。


 秋葉原駅の新・新電気街の中央大通りから五分。講武稲荷神社跡隣の高層マンションの百十二階―――かつて焦がれていた、ひまわり回転街。自分が住むなんて、想像したことすらなかった。


 豪奢な内装の部屋も、青色が落ち着紺碧の色彩に塗装された家具も、世界政府に進呈されたものだ。国の税金でこれほどの贅沢を受けとっても良いのだろうかと、未だに居心地の悪さを覚える時がある。

「……ルチア、ピラースばあちゃん、ごめん」

 思わず呟く。



 十六歳のあの日、クセソーティアソの人生は変わってしまった。

 坂道を下り、回転街の入口へにある石造りの二連アーチ橋に差し掛かった――その時だった。突如、眩い光の柱がクセソーティアソの前に現れた。気温は急上昇し、少年と周囲の人々は熱波に包まれた。フード付きパーカーが風に膨らみ、クセソーティアソの顔が露わになったが、驚いてそれどころではない。クセソーティアソの目前に、林檎ほどの大きさの飛翔するナノマシンが現れたのだ。「それ」は轟音を立て、旋回し始める。


「ウゴクナ、ニンゲン」


 機械の唸り声が頭を貫き、クセソーティアソは電磁波と火花の渦に巻き込まれた。胸が苦しく、頭が砕ける。あんなに明るかった腕のアブレイズクロックの光源も消え去った。機械は空から物を創り出し始める。層を重ねるごとに、やがてそれは抱えるほどの大きさの石になった。


 彼は石を受け取ったことで、世界政府の特別保護対象となる「光源生成選定候補者」となった。通称、ライターズ。そのきらびやかな通称とは裏腹に、窓に反射する己は、鈍い表情で見つめ返している。

「……寝ても寝ても隈がとれないな」


 くっきり刻まれた青い陰の上には、大きい榛色の瞳。そこを彩る睫毛は筆で一本ずつ描かれたかのように太く、濃い。くりくり跳ねる前髪と、艶のあるスイスブルートパーズの長髪は、癖が強くまとまりが無い。潤った肉厚の唇と色白の肌。エルフのように先端の長い耳や美しい顔立ちの反面、高く鋭い鼻と輪郭は凛々しさを醸し出している。


 クセソーティアソは十四歳から十六歳まで、軍事団体の兵士として身体訓練を重ねたが、成果はそれほど身についていない。全体的な印象はかなり細身だ。自分の子供っぽい体が好きではなかった。


 眉間に皺を寄せ軽く一息、居間とつながるドアの後ろに目を向ける。

「あ、やべ。洗濯していないし」

 床に放った汚い衣類の下で、鉱石が点滅灯のように光線を放っている。この埃にまみれ転がされている石が、実は計り知れないほどの価値を持っているとは誰も思わないだろう。

「読書灯にもならないポンコツ石め、なんでこれを持つことがヒーローなのか全然わかんねえ。……昨日窓から投げ捨てたのに、ちゃっかり戻ってきてるし」


 この石の正体はオンソロージーS、これを預かったことで、少年は世界政府からライターズ候補第一号に任命された。この世の光を取り戻すために生まれた戦士、人類の希望だと急に持て囃されたのだ。下層民スラムとその人々に別れを告げ、都心の新・新秋葉原ブロックひまわり回転街に引っ越す権利を得られた。けれど――、


「帰りたい……。ちくしょう。ルチア、おばあちゃん、俺のこと裏切り者と思ってるのかな」


 クセソーティアソは、過去に囚われたままだった。

 それに問題は、この石である。外に出ようと思っても、石が起動してナノマシンと共にどこまでも追いかけてくる。


「ヒーロー扱いされても、立ち向かう悪党も命懸けのミッションもないし、俺は一体どうすればいいんだ……」


 懊悩する少年をよそに、窓の外からはゲームセンターの目まぐるしい音、通りすぎる歩行者のかしましい話し声が聞こえてくる。旧・旧ラジオ会館のネオンの看板の光が暗い室内をぼんやりと照らす。半ば諦めのような溜息をついた。


「……新鮮な空気でも吸いに行くか」


 時刻は夜の六時。世界政府との会食の予定もない。

 その思考を読んだかのようなタイミングで、夜空の静けさとは対照的な、鋭い高音が耳に飛び込んできた。


 バルコニーから下を覗くと、ビルのすぐ下に浮かんでいる物体がちらちらと見える。オンソロージーSだ。震える小さな機械体が彼を見上げている。

「ほんとにしつこいな……宇宙人め」


 クセソーティアソは躊躇いなく窓の外にジャンプする。そう、飛び込むのだ。元兵士にとって百十二階からのダイブは自殺行為ではない。

「アブレイズクロック、頼むぞ、こいつらを後悔させてやろう」


 クロックに集積されている光源ストレージを磁力に変換し小刻みに足元に排出する。ハイドロポンプ、正確に言うとライトポンプで鉄鋼を滑走できるようになる。これは光源を磁力に変換すれば大した偉業でもない。


 凄まじい体力と光源を消耗する技だったが、少年の光源ストレージは今政府から定期的な供給を受けている。これくらいの贅沢は許容範囲だろう。


「やっと少しは運動できるぜ」


 滑り降りる途中で、両手を窓のフレームにかける。上半身をしならせると更に高く跳躍する。澄んだ夜空に飛び込む爽快感。


「ヒャッホーーーー!」


 思わず歓声をあげながら、少年は自由と開放感に浸る。裏腹に、赤山総理の険しい言葉が頭にちらりとよぎった。


「君はオンソロージーSを肌身離さないでほしい。たった数メートルでも離れてしまうと、あの石は危険を察知し、所有者を追いかけるようになっている。長期間離れ離れになった場合、最悪の可能性も念頭におくべきだから、ゆめゆめ忘れないように」と。

(最悪の可能性って……世界政府はふざけているのか)


 オンソロージーSは少なくとも六kgはあるだろう。ライターズ候補として十分に目立っているのに、石を肌身離さず持ち歩くなど、更に日常生活がままならなくなる。昼間に出かける際は大体リュックに潜ませることが多いが、面倒だった。せめて夜だけでも自由に過ごしたい。


 飛び跳ねる勢いのままビルのガラスに不時着する。一休みする暇もなく、後ろから電子音を轟かせながらナノマシンが追跡してきた。


「しつこいなあ、追い掛けっこしようぜ!」


ク セソーティアソはにやりと微笑むと、磁石力を利用し縦に疾走する、いや正しく言えば滑走している。右、左、右、左、機敏な牡鹿のように体を翻し摩天楼を踏んでドリブルする 。ナノマシンは磁石のように後を追随してくる。夜の影武者のように迷彩しながら、ターゲットを混乱させようとしている。


 クセソーティアソは猫のようにしなやかに背中を反らせ、力強く跳躍を繰り返す。隣のビルに飛び移り、勢いをつけて雲を貫く高さまで跳ね上がる。


 八〇〇メートル突破、耳をすませば南西四〇°、北東一七〇°、対象の物体が接近中とわかる。


 イグナイト東京では、羅列太陽系の僅かな光源を吸収するために千メートルを超越する建造物も散見される。摩天楼の最長部には、光源を電力に変換するアンテナが幾本も屹立していた。

 夜景に見とれながら、深呼吸で、夜の新鮮な酸素で肺の中をいっぱいに満たす。


「飛び込むぞ!」


 背後に迫る金属音の高まりと共に、心理的な緊張とアドレナリンが混ざり合う。クセソーティアソはさらに下方へ滑空した。


 これは彼の秘密だった。秋葉原ナイトダイブ。ストレスや不安、責任感に推しつぶれそうな夜に跳ぶ。

 空気は全身に怒涛のような圧力をかけるが、爽快感がそれを遥かに上回る。ぐんぐんと地上が近づき、ぼやけた街並みや通行人の解像度があがる。


「いまだ!」


 少年はアブレイズクロックにストレージされている光を磁石力に変換すると、ありとあらゆる物体にしがみつき、牽引力で減速する。そして、ふわりと優雅に道路に着陸した。

「よし、これでオンソロージーを撒けたはず」

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