第12話 とても堅気には見えない一連の行動が謎を呼ぶ



 五月も終わりを迎えた穏やかな朝のことだった。

 黒塗りの見るからに高価そうな外車が自宅前に横付けされた時、幸はとうとうその筋の人たちが借金を取り立てにきたのかと腰を抜かしそうになった。

 まさか我が家の財政状態がそれほどまでに逼迫していたとは。

 そんな驚愕の事実を前にしたとなれば、スマホの着信に雇い主の名前が表示されても、のんきに応対に出てる場合じゃない。声潜めなきゃ。気配消さなきゃ。

 で、事が起こっても立てこもれる場所ということでトイレに潜んでおよそ十分。今度は家のチャイムが鳴った。

 こんな時に母の恵美子が留守にしているのは不幸中の幸いか。

 ピンポーン。

 ……

 ……

 ピーンポーン。

 ……

 ……

 ……

 ピンポンピンポン。

 ……

 ……

 ……

 ……

 ……

 プルルプルル。

「ちょっ! は、はい佐藤です!」

 先ほどスマホを握りしめすぎて、勝手にマナーモードが解除されていたらしい。

 幸は光の速さにも負けじと電話に出た。

「氷室だ。お前今どこで何してる」

 するとものすごい不機嫌な声が受話器の向こうから聞こえてくる。いつもより低い声はいつも以上に格好良いのだが、その分威圧感は五割増しとなっている。

 根性なしの幸としてはいつもならここで謝罪の嵐だが、

「で、電話切ってもいいですか?」

「あ?」

「今、家の玄関にヤクザさんが来ててですね。ちょっと息を潜めないとまずい感じなんですよね!」

「頭大丈夫か」

 辛辣だ。

 だがこんな台詞、この雇い主の性格を考えれば朝の挨拶程度。実に爽やかな「今日も良い天気ですね」レベルだ。何のこれしき、幸は食い下がる。

「とりあえず氷室さんの声は忘れてません、大丈夫ですお気遣いありがとうございます」

「……良い度胸だ」

「で、今ほんとに切羽詰まってるんで、落ちついたら掛け直します」

「いつ落ち着く予定なんだ」

「えーと、ヤクザさんが今日のところは諦めてくれたら、ですかね」

「そのヤクザとやらが諦めなかったらお前、今日の出張はどうするつもりだ」

「あ」

 咄嗟に二の句は出てこなかった。たっぷり十秒程をかけて幸は言い訳を考えたが、しかし

「忘れてただろう」

 何某かのごまかしを思いつく前に、あっさり氷室に先手を打たれた。

 まあ元より頭の回転はこの雇い主の方が倍速以上なので、致し方ないといえば致し方ない。

「いえ、忘れてたわけじゃないんです。えーとそうか、出発の時間が十時だから、もう家出ないと間に合わないのかーと思ってちょっとフリーズしてました。すいません、普通に出勤するつもりでいまして出張自体は忘れてたと言えば忘れてたんですが、ただ働く気は十分にあったわけでして」

 仕方なし幸は正直に吐いた。

 口答えはかろうじてできても、ずばり切り込まれてその場で切り抜けられるほどまだ根性は座っていない。

「お前ってやつは」

 たっぷりのため息と共に、完全に呆れている声だ。

「や、大丈夫です出張行けます! 待って下さい五分で準備してすぐ家出ます!」

「ヤクザはいいのか」

 そんなこと言われても既にそういえばの話題である。

 幸にしてみればヤクザも事だが、出張を忘れてた方がよほどデカイ。ヤクザは別途何とかするとして、今ここで仕事を首にされちゃ非常に困る。

「えーと、この家の住人じゃないフリします」

「本当に単純だなお前。結局やるなら最初からそれ試してみれば良かっただろう。まあお前程度にヤクザも騙されるとは思えんが」

「ほっといて下さい! 色々と!」

 畳みかけられて負けを認めたのは幸だった。

「というわけで電話切りますね」

「あ、待て」

「でも準備」

「五分でできるとか嘘をつけ。待っててやるから茶くらい出せ」

「は?」

「ピンポン鳴らしてるのはヤクザじゃない。俺だ」

「は!?」

 どうしてそういう肝心なことを一番最後に言うのか。

 今日二度目の度肝を抜かれ、幸は光の速さを越えて玄関に走った。


*     *     *     *


 まさかの盲点だったのだ。

 この雇い主がわざわざ迎えに来てくれるなど夢にも思わなかった。

 確かに昨日、氷室は幸に「家はどこか」と聞き、「わかった、じゃあ十時にな」と言っていた。けれど一つ申し立てできるとすれば、決して氷室が「迎えに行く」とは言わなかったことだ。そんなんで分かれと言われても、幸は氷室じゃないので分かるわけがない。

 ただしよりにもよって氷室をヤクザに間違えたのは完全なる大失態なので、この点の申し開きはできない。下手したらヤクザより質が悪いかもと思いつつ、幸は車に乗ってから最初の十分間ひたすら平謝りだった。

「俺もこれまで色々言われてきたが、ヤクザに間違われたのは初めてだったな」

「ももも申し訳ございません」

「お前の電話は楽しめたが」

 くくっと氷室の喉が鳴る。

「分かってたんなら遊ばないで最初に言って下さいよ……」

 そう、氷室は最初から幸がとんちんかんなことを言っていると理解していたと言うのだ。幸にしてみりゃけしからん話である。

 あれだけ人をビビらせといて、

「愉快だったからつい、な」

 あまつさえこれだ。



 そうして小一時間も走った頃だろうか。

 とある音が気になって、幸はミラーを見た。特に後ろに荷物は乗っていない。そりゃそうだ、家を出る時にトランクに積んだのだから後部座席にあるわけがない。

「開けていいですか?」

 言いつつ次にダッシュボードを開ける。何も入っていない。てかこの車、生活感がまったくない。佐藤家の車にはここにティッシュ箱と音楽CDが入っているというのに。

 はて。

 とすると、この音は一体どこから聞こえてくるのだろう。

 首を捻りつつ幸がきょろきょろと視線を動かすと、運転中のはずだが氷室と目があった。

「おい」

「はい」

「何してる」

「まさかとは思うんですけど、建て付けが悪いのかなって」

 一目で分かる黒塗りの高級車だ、こんな良い車に限ってまさかそんなこと。

 思いつつ、小さいけれど断続的に確かに聞こえる音は、窓が風に叩かれているようでもあり、その辺の小物――例えばサングラスとかが、収納の中で小刻みに揺れているようでもある。

 かたかた、ことこと。

 ふと気付いた時からずっと鳴っている。気になって耳を澄ませると止む。けれど意識を逸らすといつの間にかまた鳴っている。

「ライターかサングラスか、この辺にしまってないですか」

「気になるか」

「氷室さんは気にならないんですか?」

 結構鳴っているのに。

 そんな気持ちを込めて幸が言うと、氷室は特に返事をせず、少ししてから路肩に車を止めた。

 ちなみにここは山道で、休憩を取るためのスペースだ。

「そこにいろ」

「え?」

 言い残し、氷室は流れるような動作で車を降りた。

 すたすたと後ろへ。トランクが開く。そしてまたすぐに閉められる。すたすたと、今度は幸側――助手席側を、前へ。

 手に持っているのは、

「何ですかそれ」

 降りるなと言われたので、とりあえず窓を開けて幸は聞いてみる。

「塩」

「シオ?」

「と、酒」

「そっちはまあ、見るからに一升瓶なんで分かりますけど」

 そもそも聞きたいのはそこじゃない。

 ビニール袋て。それも多分Lサイズ。そんなものにラベルもなく白い粉が大量に入っていれば、あらぬ想像もしてしまう。車一つとっても分かる通り、どうやら財政状況がやたらと豊からしいこの雇い主ならやりかねない。

「どうするんですかそれ」

 次の疑問が口から滑り出る。

「お前が黙らせろと言ったんだろうが」

「すいません、言ってる意味が久しぶりに本当によく分からないです」

「この音が耳障りなんだろう。目的地に着くまで隣でがさごそやられるんなら今片付けた方がいい」

 質問はここまでだとでも言いたげに、氷室は一升瓶を地面に置いた。

 流れるような動作でビニール袋の口を開け、右手を中に突っ込み一掴み。ああ掴んだなと幸が思った瞬間、氷室が信じられない暴挙に出た。

「ちょっ、ええー!?」

 ばっさばっさ。

 大きな手で掴んだ塩を、氷室はフロントガラスとボンネットに惜しげもなくまき散らす。幸が度肝を抜かれている間に、氷室は次に酒を手にした。

 そして。

「むっ、無造作すぎですよ!? あああ、高い車に……!」

 かけたよこの人。

 どうも高そうな酒を、高いと分かりきっている車に盛大にぶっかけた。

 半分程だろうか、いいだけボンネットも酒臭くなったであろう所で氷室は一升瓶に封をした。色々と言いたいことはある。だがあまりのことに幸の口から出るのは「あー」とか「うー」とか、呻き声が関の山だった。



「錆びたりしないんですか」

「そんなヤワな塗装じゃない」

「……そうですか」

 そういう問題なのか。

 何事もなかったかのように走り出してからおよそ五分後、ようやく喋れるようになった幸の言葉に返ってきたのはいつも通りの氷室節だった。

 そして気付けばあれほど気になった音が、いつの間にか止んでいた。


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