凛と咲く花の季節に。

ハマハマ

『綺麗に咲きましたよ』

 たったそれだけの伝言では分かろう筈もない。

 しかし儂は、なんだかんだで辿り着いてしまうんじゃ。

 

「叔母上! こちらでございましたか!」


 そう声を掛ければ――


「おぅ、卯月うづきどの。ここじゃここじゃ」


 そう言って、ふうわり華が咲いた様なこの笑顔を、この儂に向けてくれる叔母上の居場所にな。



 儂らの住む屋敷の裏山。その中ほどの、白い花の咲く木を見上げておったのじゃ。

 

「ほれ、どうじゃ卯月どの。綺麗に咲いたと思わんか?」

「これは見事にございます。え、と、木蓮モクレン、でございましたか?」


 儂の言葉にな、倍も歳の離れた叔母上はニマ〜っと微笑んで言ったんじゃ。


「この花は木蓮の様には咲かぬのです。これは辛夷こぶしという花」


「こ、ぶし……?」


紫木蓮シモクレン白木蓮ハクモクレンより小さな花。けれどもパッと花開く様が可憐であろう?」


 ……確かに。

 木蓮の様にでろりと分厚い花弁ではない。

 木蓮に比べれば小さく薄い花弁を放射状に、パッと開いた姿には凛々しさをも感じられる。


 それはこの、叔母上の凛と立つ姿の様に。



 姉上。

 この卯月めはどうすれば良いじゃろう。


 儂は……儂の頭の中は……、この叔母上の事でいっぱいでございます。


『シャンとせぇ卯月。欲しいなら欲しいと口にするが良い。この妾の様にな』


 儂の頭の中に湧いた姉上がそう言う。


 ちょうど一年前の春。

 このを出奔した姉上。

 その姉上ならば、そう強がりを、言いそうだ。


 いやいや強がりじゃ。

 姉上は、よう言わんかったではないか。

 嫁に貰うてくれ、などとは。


 ふふ。

 今ごろ海の向こうのどこかで、お供の長月どのと笑って暮らしておられるだろうか。

 首尾よく夫婦めおととなられただろうか。



「どうされた卯月どの? 何か良き事でも?」


 しもうた。

 知らぬ間にニヤついておったか。


「いやなに、姉上が島を出たのも一年前のちょうどこの時期。ならば辛夷こぶしが咲いておったのかな、と」


「弥生さまか……。刻限の二年までもう一年。あと一年で無事に婿を連れて戻られるか、どうか」


 そうじゃ、そうであったわ。

 皆は姉上が島を出た理由をそう聞かされていたんじゃったな。


「姉上は戻りませんよ」

「……は?」


「姉上は従者の長月どのと夫婦になる為に島を出たのです。この事は儂と父上しか知らぬ。なんなら共に島を出た長月どのさえ知らされておらぬ事」


 驚いた顔の叔母上はしばし固まり、常日頃の彼女に似合わず声を荒げて言った。


「しかし! それではこの島の当主は――!」


「儂がおる。刻限まであと一年。儂の元服まで二年。足りぬ一年は父上がのらりくらりとかわしてみせると仰せだ」


 ずいぶんとぬくくなった風が辛夷こぶしの枝を揺らす。花弁を飛ばす。


 頭の中の姉上が言う。『今こそ、言え』と。


「儂は姉上の代わりに父の跡を継ぐ。この島の当主となる。その暁には叔母上――いや、孟夏もうかどの、儂の妻となり、儂を、支えてくれ」


 どうじゃ姉上。儂は姉上とは違って己で口にしたぞ。

 褒めてくれ、姉上。


 …………もちろん、結果は、火を見るよりも明らか。十四の儂では望み薄なんて言葉じゃ足りぬほどに――


 ――――ん?


 儂の言葉に驚き俯いた孟夏どのじゃったが…………

 まだ背の低い儂から見てもよく分かる。

 艶めく黒髪から覗く耳の先。それがどうやら真っ赤らしい。


 む? 思ったより望み、有るのか――?


 孟夏どのはわざとらしくしわぶきを挟んで仰った。


「んっ! んんっ! う、卯月どの、私は貴方の叔母。それに年齢こそ倍ですよ? 冗談は止して下さいな」


 そう言われることはハナから分かっておる。

 その上で求婚しておるんじゃ、儂は。


「叔母と言っても血の繋がりはない。それに歳の差などは特にどうでも良い。儂の目には孟夏どのしかうつっておらんのじゃ」


 青年期の長い我ら鬼にとって、十四の歳の差などモノの数にも入らん。

 本気で言うたと伝わる様に、腹に力を込めて言うてやった。

 その甲斐あってか、今度は孟夏どのの頬が僅かに朱に染まる。


 しかし。

 けれど、やはり、などと小さく呟く叔母上は再び俯く。


 気持ちは分からぬでもない。

 来年の春も、十年後の春も、ここに凛と咲く辛夷こぶしの花を見上げてつもりなのだろう。


父の弟叔父上が亡くなられて四年」


 儂の言葉に叔母上が僅かに顔を上げる。だから言うてやる。


「もう、良いではないですか」


 孟夏どのの未来を、死んだ叔父上が縛るべきではない。

 叔父上を忘れられぬ孟夏どのも、もちろんいるのだろう。


 けれどそれでは、儂が困るんじゃ。


「もう、前を向きませぬか? 新しい事を始めるのに、春――この辛夷こぶしが咲く春は、最適でしょう?」


 儂のこの言葉に、俯いたままの孟夏どのは特に反応を見せぬ。


 少し頭を揺らした様に見えたが、小さく首を振った様にも、小さく頷いた様にも見えた。


 有りなのか、無しなのか。

 らちが明かぬのでな、歩み寄った儂は孟夏どのの手に、己の手を伸ばす。


 その手に触れた一瞬に、びくりと孟夏どのの肩が僅かに跳ねる。


 その様子ひとつ取っても、この方の魅力が溢れとる。儂の目にはやはり、この叔母上しか映らんのじゃ。


 彼女の手を優しく掴み、一歩二歩と誘い言う。


「返事は急がん。よく考えてみて欲しい」


 その言葉には、こくんとはっきり頷いてくれた。


「孟夏どの。顔を上げて見てみられい」


 素直に従い顔を上げた叔母上。

 その眼前で、小ぶりながらもパッと綺麗に開く辛夷こぶしの花が叔母上を見つめるはず。


「来年か、再来年の春。この辛夷の木の――、凛と咲く花の下で、お返事聞かせて頂けましたら、この卯月、幸せにございます。できましたら、『否や』でなく『応』であったれば尚――


 頭の中に湧いた姉上が、ぽかりとゲンコツとともに言う。『長いわバカ!』


 ――もとい。来年、春に、お返事下さいませ」


 ぷふぅ、と叔母上の口から笑いが漏れる。


「分かりました。来年、この凛と咲く花の季節にお返事致します」


 頬を少し朱に染めた、辛夷に負けず劣らず凛と立つ叔母上がそう言い、さらに続けた。


「卯月どのの名が四月を意味するのは知っておられよう?」

「当然です。儂らの一族は『月』の名から名を取る事が多い」


「ふふ。ならば四月の異名は知っておられるか?」

「異名……いや、卯月以外には全く存じ上げませぬ」


 うふふふ、とひとつ微笑んで、叔母上が言った。


「卯月、麦秋、清和に鳥待月、まだまだいっぱいあるんですよ」

「それは知りませんでした。けれど、なぜ急に?」


「この叔母にも分かりませんが、なぜか知っていて欲しくなっちゃって」

「何を?」


 繋いだままだったお互いの手。

 それを叔母上が僅かに強く握って言った。


「孟夏、というこの名も、四月を意味するんだと、いう、事を、です」


 頬染めた叔母上が、そんな、事を。


 これは、有り、なんじゃなかろうか。

 満開の辛夷こぶしの前で理不尽にも思う。


 早よう咲け、来年の辛夷よ。






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※木蓮のイメージは個人の感想です。


☟表紙用の近況ノートです。辛夷の花。

https://kakuyomu.jp/users/hamahamanji/news/16818093075069264441

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凛と咲く花の季節に。 ハマハマ @hamahamanji

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