「ひどいわね……」

 モニターに映る猛獣と人間の血なまぐさい闘いを見ながら、氷室冴子はそう言った。その隣には、松岡菜々緒がいた。

 ここ最近の大人たちの菜々緒の扱いには、目に余るものがあった。

 菜々緒は天涯孤独の身の上である。彼女を守る身内の人間は誰もいない。

 そして彼女は特殊なパワーの持ち主だ。その彼女を周りの大人たちは寄ってたかって、好き放題に扱っていた。

 冴子は録画映像を観続けていた。その映像の中で、菜々緒はヒグマと闘っていた。

 人間と獣を闘わせるなんて、人権侵害も甚だしい。菜々緒にもし親がいたら、こんな酷い扱いは絶対に許さなかったはずだ。

 ヒグマだけではない。菜々緒はゴリラとも牛ともライオンとも闘っていた。その映像も、全部記録されていた。

 菜々緒はまだ中学生の年齢である。しかし彼女は学校には行っていない。中学は義務教育であるにもかかわらず、そこには通わせてもらえていない。

 彼女は科学者たちの研究対象として、二十四時間三百六十五日の拘束を受けていた。菜々緒は右も左もわからないままに、理不尽な扱いを受け続けていた。

〝サイクロンパワー〟。菜々緒の持つ特殊能力である。

 彼女は十歳で、屈強な強盗三人を素手で殺害した。

 調べてみると、彼女は人間離れした強さを持っていた。そして彼女は特殊な訓練を受け、運動能力向上の薬物を注入され、そのパワーはますます高められた。そして菜々緒はヒグマ、ゴリラ、牛、ライオンと闘い、すべてに勝利を収めた。

 異様なパワーであった。科学者たちは、彼女に夢中になっていた。

 その当の本人の松岡菜々緒と並んで、冴子はモニターを眺めていた。

 冴子はちらりと菜々緒をみた。彼女は少し不安そうな顔をしていた。

 彼女はどこにでもいる、普通の女の子に見えた。体は小柄である。しかし性格は、底抜けに明るい。

 いや、無理に明るさを演じているだけなのかもしれない。たった一人の母親を十歳で強盗に殺されているのである。それで平気なわけがなかった。

「菜々緒さん」

「はい?」

「あなたの力はサーカスみたいに、猛獣と闘うために使われるものではないと私は思ってるの」

「はあ……」

「あなたの力を私に貸してくれないかな?」

「はあ……」

 菜々緒はキョトンとした顔をしていた。

 可愛らしく繊細そうな、暴力とは無縁に見えるこの女の子。

(あなたの力が必要なの……)

 冴子はそう思った。

 冴子は警察組織で大出世を果たした。その彼女の目には、この世界の腐敗がはっきりと見えていた。この世界は完全に腐っている。社会の上層部へと進出した彼女には、それがよく分かっていた。

 そして彼女は昔から思っていた。

(この汚い世界を変えたい……)

 四十五歳の彼女は、性犯罪の撲滅のために生涯を捧げていた。

 そして彼女は思った。

(この世界を変えるためには、圧倒的な英雄が必要……)

 松岡菜々緒にその英雄になってほしい。それが彼女の希望である。

「菜々緒さん、私はあなたに〝スーパーヒロイン〟になってもらいたいの……」

 冴子は菜々緒にそう言った。

「はあ……」

 菜々緒は訳もわからず、そう答えるだけであった。

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