17.晴くんの気持ち

「ねえ、あれ、ほんとに晴くんのお父さんなの?」


 一度も利用したことのない王子駅から、俺達は都道を真っ直ぐに歩いている。俺の前で淡々と歩き続ける晴は、簡単に答える。


「うん」


 晴の前では、よれよれした白シャツにダボダボしたズボンを履いたおじさんが、くたびれたように歩いている。


 晴のお父さん。その言葉を聞いた時、俺は一瞬、傍にずっといてくれている晴に対して、生々しい感情を覚えた。晴くんは俺以外、誰にも認識されることなく、ただ孤独な存在としてこの世界から孤立し、晴はそのことを受け入れて楽しそうに世界を傍観している。それが俺の認識で、その認識と、晴くんに家族がいるという事実が、俺の頭の中でうまく合致しなかった。


 俺はいつの間にか、旅程から外れてしまったことへの焦りを忘れ、晴が一体どんな存在なのか、知りたくなっていた。晴に惹かれているのかなんなのか、よくわからない。俺が今まで出会ってきた人達の中で、晴は一番、誰とも似ていなくて、そして誰よりも明るくて、そして一番、理解したいと強く思えるほど理解ができない。


「晴くんって、家族っているんだね……。あっいや、そりゃそうなんだろうけど、想像できなかったなっていうか」


 俺はこの気持ちをどうにか言語化しようとしたけど、むずくて晴の後ろ姿から視界を逸らしてしまう。乾いたぞうきんでペンキを薄く引き伸ばしたような雲が、雑居ビルやマンション、高架橋の間から見えている。


 ――僕がそれを寂しく思うような人間なんだったら、こんな傍観者なんて仕事してないよ。


 晴くんは一体、どんな気持ちで傍観者をやってるの?


「まあ、そりゃ、元々人間だったからね。家族はいるよ。もちろん」


 晴はけろっと言う。いつもそうだ。自分の話をしようとしたら、けろっと当たり前のように話して。それなのに、天然産みたいな笑顔を振りまいて。晴くんは、本当に寂しくないの?


 それとも、人間として暮らすのが、嫌だった、とか……。


 俺はもっと、晴のことが知りたい。晴のいる世界のことじゃなくて、そこにいる晴くんの気持ちが聞きたい。

 

 俺は立ち止まって、少しだけ晴の領域に踏み入る覚悟をした。俺の足音がしないことに気が付いたのか、晴は立ち止まって、振り返った。


「りゅうくん?」


 そう言われ、心臓が跳ねる。


「あのさ、晴くん、教えてくれないか? 晴が一体、どんな人間だったのか、なんで傍観者してるのかとか、そういうの」


 初めてここで、晴は目を見開いて、わざとらしく腕を組んで困った顔をした。


「まあ、いっか。りゅうくんになら話してもいいかな」


 どういう判断基準が晴の中であるのかはわからないが、話してはくれそうだ。


「でも僕のお父さんの尾行は続けていい? ちょっと気になってることがあるから」


「やっぱこれ尾行だったんだ……。まあいいけど」


 今更引き返すのは、なんか違う気がした。これは、晴を知るチャンスだ。


 晴はまたさっきと同じペースで歩く。晴は、俺と目を合わせずに距離が遠くなった晴のお父さんを追っている。晴がどういう表情をしているのか、よくわからない。


「別に、面白い話でも何でもないんだけどね」


 晴は、話し始める。


「別に、傍観者になったのは、人間だったころの環境が理由ってわけじゃない。お母さんは僕のことを想ってくれていたし、お父さんは東京での単身赴任から帰って来た時、僕のことをかわいがってくれていた。学校でも、仲がいい人がいないとかでもなかった」


 普通の、どこにでもありそうな環境の話から、始まった。そして少し間を開けて、晴は言った。


「でもね、僕、よく言われてきたんだよ。人間味がない、ってね」

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