【12】ノアの授業
夕食の時間も過ぎ去った午後20時、見慣れてきた暗い通路の奥、私は静かにノアの部屋のドアを叩く。
しかし異性の部屋に入るというのは少し緊張するもので、少し強めに叩いてしまった。
「ノア、来たよ。いるかな?」
そういうと、扉の奥からドタドタと慌ただしい音がして「はーい!」と応答がある。
そうして扉が開かれるとノアがまた嬉しそうな顔で出てくる。しかし珍しくいつもの体格に不釣り合いな重装備のフード付きコートではなく、ラストが着ていた様な研究者を思わせる白衣であった。
「あれ…?いつもとは服装が違うんだね。」
「あっはい!教育者っぽい感じの服が無くてですね……。ラストに借りてきたんです。」
なるほど、ノアは形から入るタイプということかな?
それよりも話の節々から察してはいたが、やはりノアとラストは仲が良いのだろう。
恐らくノアは気が付いていないが、ラストだけノアは呼び捨てで呼んでいる。しかしその事を指摘すればまた顔を赤らめ話にならないかもしれないので、そっと胸にしまい込んだ。
「それで、なんだっけ?神秘の話だよね。」
「あっそうです!椅子……は今は使えないので、私のベッドに座ってください。」
そう言われて部屋に置かれているデスクを見ると、椅子の上にまで様々な本や資料が所狭しと置かれていた。ノアの真面目な部分が垣間見えた。
そうして金属質の部屋の角に置かれたノアのベッドの上に座ると、扉をロックしてから私の右側に密着する形でノアも座る。
「ノ、ノア?」
「気にしないでください。」
いつもの笑顔から変な圧を感じた。
「それでは、簡単に"神秘"について説明しますね。簡単に言えば神秘というのは物理法則や人智を超越した謎の能力、平たく言ってしまえば魔法の様なものです。」
「魔法…?」
「はい、神などの上位存在を除けば人類のごく一部の人々が保有しています。」
「ノアも持ってたりするの?」
そう言うと、何故かノアは少しドキッとした顔を見せる。そうして少し戸惑った様相を見せた。
「えっ、あっそうですね。一応私も神秘を持っています。」
「へぇ、どんな……って聞いていいのかな?」
「えぇと、まぁ先生なら大丈夫かな」
そう言うと、ノアはベッドから立ち上がり虚空へと手を向ける。すると黒い渦のようなものがノアの手を包み、暫くするとノアの手中に愛用しているトマホークが現れた。
「すごい……!ホントにどうなってるか分からないや。」
初めて見た神秘が人の価値観を変えるように、目の前で見せられた摩訶不思議はいとも容易く私の好奇心を引きずり出し、離さない。
それを見て何故かノアは懐かしいものを見たように微笑む。
「ノア?どうかしたの?」
「いえ、やはり先生は先生なんだなぁと。」
ん〜?と首を傾げても、終始その意味については教えてはくれなかった。
「あっそういえば。」
「どうかした?」
「先生はノーマンさんからどのくらいこの世界のこと教えて貰いましたか?」
そう言われて私はノーマンとの会話を反芻する。そういえばエフェスの神と出逢い早い内に調査を終わらせてしまったので、毒霧以外には神という上位存在がいるということしか私は知らなかった。
そうしてノアに神の事や未知の文明の痕跡があるなどの話をすると、笑顔のまま小さく苛立ちを見せる。
「なるほど…ノーマンさん、サボりましたね……。」
「えっと……ノア?」
私がそう聞くとノアはハッとした表情を見せすぐに笑顔を取り戻す。
「えっ…あっはい!ええと…そうですね、ノーマンさんの話した情報だけですと不足感が否めないので、丁度いいですし私が説明を……。」
「お邪魔するよ」
「ぴっ!?」
唐突にロックしたはずの扉が開き、ラストが現れる。ノアはビックリしたのか変な声を出して私の袖を掴む。
「ラスト?どうかしたの?」
「いや何、おおかた仕事の方が終わったのでね。こうして手助けに来たわけだよ」
まだ心臓が高鳴っているままのノアはラストに向かって叫ぶ。
「ちょっとラスト!鍵閉めたでしょ!?なんで入ってこれるの!?」
「何を言う、ここのシステムを作ったのは私だろう?なら合鍵ぐらいすぐに作れるのさ。」
「プライバシー!?」
抗議するノアに対して、ラストは高らかに笑う。
あぁ、仲睦まじくて良いな。どうにもこの2人を見ていると気持ちが緩む。そのせいか堪えきれず笑ってしまった。結構思いっきり、自身でも久しぶりと感じる程に。おかしいな、微笑ましくはあるがこんな大笑いする程に面白いものではないはずなのに。
「おや、珍しい事もあるものだね。」
「先生っ!?ちょっとラスト、何か先生に変なの盛ったでしょ!?」
「なっ、そんな事はしないぞ!?ナツじゃあるまいし!」
そう言い合いながらじゃれ合う二人。そうして時間を過ごしていると、何かを忘れているような気がした。
「あれ、そういえば何か教えてもらう筈だよね?」
そう言われて思い出したのか、二人は揉み合うのを止めて、私を見る。
「あっ…すみません。忘れていました。」
「すまない、私ともあろう者が取り乱した。まぁ君にもこうなった責任はある気はするが……まぁいいだろう。」
そう言って一つ咳払いをした後、ラストは部屋に投影されたホログラムと共に説明を始める。
まず映し出されたのは、大きな地図であった。
この大陸の事であったが、海の項目は見えずただ森で途切れているだけだった。
「これがこの大陸の地図です。確認できているだけではこの森に囲まれた地域だけが人類が生存可能な所です。」
「この基地はどこにあるのかな?」
そう言われるとノアは地図の左側、森のギリギリに指をさす。
「この端っこですね。」
そう言われて気がついた。この地図で表されている範囲は、自身の想像よりも何千倍も大きなものだった。
「この大陸での生存可能区域は大まかな楕円形になっており、横長の直径でおよそ4000キロとされています。その中でも年中雪が降り積もる場所や火山地帯、他にも様々な国や帝国があります。」
「結構な辺境にあるんだね。」
「はい、生存可能区域に入っているとはいえ、森からここまでは約10キロもない程度です。」
「それって近いの?」
「正気じゃないです。だからこそ本拠地を隠し通せているとは言えますけど……。どこの組織も最低限で50キロは離れて本拠地を置きます。」
真面目な顔をしてノアは苦言を呈す。
顔から察するに、本当にこの近さは異常らしい。
「なんというか、この世界は不思議だね。変に人類に厳しかったり、かといえば神秘っていう力をくれたり。」
そう笑いながら言うと、ラストが口を挟む。
「まるで箱庭だよ。それも悪意のたくさん詰まった。我々を逃がさないための設備にも見える。」
「そうなんだ…。」
そう言われてふと思う。大陸の外にだいたい存在するもの。
「海ってないの?」
そう聞くと、2人は困惑した顔をする。
「ん…?先生、聞きたいんだが、ウミ…とはなんだ?」
「え?」
私は仰天した。そうして話を聞くと私達の認識に相違点が見つかった。まず無命の森がほぼ無限に広がっている以上その奥の調査は出来るわけもなく、その全てが未知であるということ。
…つまり誰も海を知らない。
いや、"知るわけが無い"。
不意に背筋に寒々しいものを感じた。何故私は海を知っているのか。この大陸にいる誰もが知らないのに。
知らないわけが無いとどうにか2人に説明を試みた。しかし、
「海……途方もなく続く水の原、そんなものがあるのか?いや、湖の延長線と考えれば…。」
「海ですか…?いや、聞いたこともないですね。」
と言うばかりで、まるで話にならなかった。
自身にまとう奇妙な悪寒を払うべく、一時休憩として2人に部屋で休んでいるように伝えた後、私はノーマンを探した。情報屋で知見が広いノーマンなら何か知っているのではないかと思ったからだ。
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食堂の扉を開くと、奥のスペースでノーマンはいつも通りパスタをすすっていた。
「ノーマン!」
「ん、あぁリーダーじゃねぇか!どうかしたか?」
いつものように気さくに挨拶するノーマンに、私は疑問をぶつける。その間もパスタをすすることはやめない。
「海って知ってたりするかな!?」
唐突にノーマンは食事を辞め、驚いた感情を押しこめるようにして私を見る。
「……どこでそれを?」
「えっいや、元々知っているというか常識の範疇というか……。」
「そうか。リーダー、このあと時間貰うぞ。おーい厨房連中!バックヤード貸してくれ!」
そう言ってノーマンは厨房へと部屋を借りる旨を伝え、しばらくすると「こっちだ。」と言いながら戻ってきた。私はノーマンについてバックヤードへと向かった。
入ってすぐ横、野菜を入れる木箱を椅子替わりに座る。
そして話を始める前に、ノーマンに約束事を押し付けられた。
むやみに口外しないこと。何やら大変なことになるそうだ。なぜかと聞くと「そういうもんなんだ。」と詳しく教えてはもらえなかった。
「よし、誰もいないな。リーダー、ノア達を待たせてるんだろうから単刀直入に言うぞ。この世界に海はねぇ。それも概念ごとだ。」
「……はい?」
海が概念こと存在しない。そんなことはあるのだろうか?それならば、なぜノーマンは海のことを知っているのか?
「なんでノーマンは海のことを?」
「ん?あぁ俺は、なんていうか…出自が特殊でな。すまん、深くは言えねぇ契約なんだ。」
「そうなんだ…。」
気にはなったが、深く入り込みすぎるのも悪いかとわたしは引き下がることにした。
疑問だらけでモヤモヤしている私の心境を悟ったのか、ノーマンが私を励ます。
「すまんなリーダー。教えるとか言っておいてこんなザマでよ。ただリーダーならいつか全てを知る日がくる。これは確信だ。その日まで我慢な。」
「……?分かった…?」
「おう。それじゃ、俺はまだ仕事があるからここいらで。じゃあな!」
私の不安も全て消えぬまま、ノーマンは去っていった。
仕方がないのでモヤモヤした気持ちを抑えつつノアの部屋へと戻る。
扉を開けるとそこにはラストの姿はなく、ノアだけがベッドに腰掛けていた。
少し眠いのか薄く目を開きウトウト…と首を揺らしていた。
「あれ…ラストは…?」
「ふぇ!?」
小声で呟いたつもりだったが、ノアは起きてしまった。
「あっごめんノア、起こしちゃった?」
「はひ!?いえ!大丈夫です!」
起きたばかりだからか呂律が回っていないノアは慌てながら私を見る。そうして察しのいいことに、ラストの居場所を気にする私の心も見抜いたようだった。
「あっラストは最終調整とかいうのがあるそうで戻りました。それよりも、話の続きですね……。」
「あっ、ちょっとまって。」
そうして私はノアを止めた。もちろん理由がある。ノアはここ最近働きすぎなのではないかと思ったからだ。椅子の上にまで置かれていた資料や、気を抜くと寝てしまうような現状を見ると少し不安にもなる。それに、今日は多くのことを詰め込みすぎて疲れてしまったというのも本心だ。
「今日はここまでにしない?ノアも疲れてるみたいだし。」
「えっ、でも……。」
真面目なノアは自身の疲れよりもこちらを優先しているようだった。しかし、私も同様にノアのことを心配しているのだ。
「真面目なのはいい事だけど、体調崩した大変だからね。私は未熟だけど大人なんだし、もっと甘えてもいいんだよ?」
そう言うとノアは戸惑った表情を見せる。甘えてもいいとは言ったが、気楽に甘えられる歳でもなかったのかもしれない。
「えっと、では…はい。お言葉に甘えて少し休みますね」
「うん。そうすると……ん?わっ!?」
言い終わるまでもなく、私は突然ノアにベッドに引きずり込まれ座らされた。そうして先程と同じように私に密着する形でノアは座る。
そうしてコテン…と私の肩に倒されたノアの頭からは、ふわっと甘い匂いがした。
「ノア?」
「ふぁ……すいません。最近ちょっと休みが無くて。甘えてもいいんですよね。少しだけ、少しだけですから……このままで……」
堪えきれない眠気に誘われながら一言だけそう言うと、ノアは寝てしまった。
「こう見ると、まだまだ子供なんだなぁ…。」
不意にそう思うと、なにか温かく微笑ましいものを感じた。
私はあまり揺らさないようにしながら上着を脱ぐと、静かにノアに被せた。
「うーん。ベッドに横になった方がいいけれど、起こすのは悪いし……今晩ぐらいはこのままでいいかな。」
すぅすぅ…と静かな寝息をたてるノアは、その信頼を表すかのように私に身を任せる。倒れないように右腕でノアを支えると、私は左手でタブレットで後日使う資料の確認を始めた。
「おやすみ、ノア。」
石造りの基地の静けさの中で、その冷たさはどこにも無く、温かな夜は更けていった。
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「……ノーマン。いるか?」
ラストの研究室、相も変わらず暗い部屋の中で、手持ちのランタンを持ったラストの目が静かに光る。
「あいよ。てか最近よく俺を呼ぶよな?なんか企んでんのか?」
「あぁ、君は森でエフェス…最高位の神の一柱に邂逅したそうだな。」
「あぁそうだな。それがどうかしたのか?」
「君は私が何をしていたのか知っているだろう?遂に私の研究の一端が完成した。」
それを聞くと、ノーマンの表情が変わる。真剣な面差し…仕事に接する時の表情だ。
「見てくれ。」
そうしてラストはテーブルの上に置かれた2m程の大きさのアタッシュケースを開ける。
中を見るとノーマンは微妙な表情をした。
「ダメだな。これじゃヤツらは殺せねぇ。扱いが難しい上に使いこなすまで時間がかかりすぎる。それに、こんなんじゃローの神にすら勝てるか怪しい……。」
「なら先生が使ったら?」
ノーマンの批評は、そこで止まった。そうして少しすると、ノーマンはラストを見てニタリと笑う。
「あ〜そうか。いいね、最高だ最高。てことは、やっと打って出るのか?」
「あぁ、もう逃げ回るのは終わりだ。ノーツからの暴虐に受け身になるのも終わりだ。」
嬉しそうにラストは高らかに笑う。普段笑うタイプではないのに、込み上げる嬉しさを隠せないと言った風貌だ。
「くっくく……。アスカの借りを、君の腕の借りを返してやろうじゃないか。なぁ……先生?」
2人の狂喜に傾倒した笑いは、静けさに溢れた地下に溶けていった。
ノアと私の崩壊世界 きびだんご先生 @Kibidano_Sensei
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