【2】ノアの誘惑

冷たく薄暗い通路を進むと、そこには頑丈そうな鋼鉄の扉が佇んでいた。


「これは?」


そう聞くと、アスカは意外そうな顔をして応える。


「これはダウンへの入り口よ。本当に何も覚えていないのね……ちょっと残念だわ」


静かな横顔には何処と無く哀愁が漂っていた。

暫く待っていると、重々しい扉は意外にも軽快な排気音を響かせ、その二重扉の奥を見せる。

そこには血に染まり赤黒くなったノアが立っていた。


「お疲れ様、ノア。怪我とかは無いかしら?」


「……はい、どこも損傷はありません。やはりアークの演算精度は凄まじいですね」


「"ラスト"の最高傑作というのは伊達じゃないわね。」


歓談を進める二人の会話に割り込むように質問を挟む。


「ラストって誰?」


「えーと…アスカと同じく技術者ですね。研究方面は違いますが…結構良い人ですよ。先生とも仲が良かった様ですし」


「なるほど……?」


説明になっているようでなってない気がするが…まぁいいかと自身を諌める。


「あっそうだ。先生〜!」


突如として、ノアが朗らかな笑顔で両手を上げこちらに向かってくる。

何をするのかは薄々気付いたので、そういうものかと気にせず受け入れようとすると、アスカがノアを止める。


「ノア?そんな血まみれで先生に抱きつく気?」


ハッとした表情の後、少し不満げな顔を浮かべてノアはアスカを見る。


「むぅ…分かりました。シャワー浴びてきます……ではお先に」


そう言って私達の横を小走りで抜けていノアを見送った後、私はアスカの方を向く。


「私達も行こうか?」


「そうね、それもいいんだけれど……そろそろ遊撃部隊が帰ってきそうなのよ。その子たちのお出迎えもしなくちゃね」


「遊撃部隊?」


「まぁ…部隊とは言ったけど一人なのよね。彼女が勝手に呼んでいるだけで。あっ、噂をすればね」


アスカが向いた方向を見ると、先程と同じように重厚な扉が開く。

扉の奥にはアスカと同じように角の生えた金髪の女性が居た。女性が私を見る。

腹部や腕部などが露出した軽装、目のやり場に困る服装だった。


「よォ、戻ったぜー。……ん?なんだァ?教官じゃねぇか!珍しいな、こんな所に居るなんてよ!最近部屋に籠りっきりだったから身体鈍ってねぇか心配したんだぜ?」


思ったよりも低い声でそう言って肩を組んで軽快に話しかけてくる者に、私はどうするべきか戸惑う。


「ヴィオラ、先生が困ってるでしょう?それと貴方はまだ知らないだろうけれど、先生は記憶の大半を失ってしまったみたいなの」


「……あ"?なんでだよ?」


少し不機嫌そうにヴィオラは問う。


「原因が分かってないの。今は記憶を取り戻す為に色々試してみようと思っているわ」


「ン……オレは教官の腕が鈍ってなけりゃそれでいいんだが…。そこら辺は大丈夫なのかよ?なんにせよ教官の知見とかは要るだろ?」


「それもこれからね」


「んーそうか!まぁいいや。オレは休憩室て休んで来るわ。なんかあったら言ってくれよなー」


「そうね。ありがとうヴィオラ」


そう活気に満ちた反応をして彼女は去っていった。通り過ぎていく強風のような子だった。


「あのヴィオラ?って子は私とどういう関係だったの?」


「そうね……丁度いい組み手仲間と言った所かしら?」


「組み手……」


そう不思議そうな顔をしているのを読まれたのか、アスカが私の顔を見る。


「実感が湧かないのかもしれないんだけれど、先生は強いのよ?それこそノアが言っていた通り、彼女達よりも圧倒的にね」


「えぇ……?」


「ふふっ、まあいいわ。そろそろ私達も戻りましょうか……あら?あれは……」


そう言って奥の方を見たアスカにつられて私も奥を見ると、遠くからこちらへと小走りで向かってくるノアの姿があった。

まだ髪を乾かしていないのか、タオルを首に巻きながらも水に濡れしっとりとしていた。


「ノア?どうかしたの?」


私がそう聞くと、ノアは少し恥ずかしそうに応える。


「あ、あの……先生、私の部屋に来てくれませんか?」


「ん…どうして?」


「あっいや…その…色々と、あるんです!」


少し恥じらいを見せながらも一歩も譲らない気迫に、少し押される。


「そ、そうなんだ?」


ふふっ、と傍らで見ていたアスカが笑う。


「いいじゃない。何か思い出すかも知れないし」


……完全に面白がっている様子だ。

それにしても、本人からの意向とはいえども異性の部屋に入るのは如何なものか……。

ノアにそう伝えると、不思議そうにこちらを見る。


「ふぇ…先生、嫌でしたか…?前はよく一緒に寝たりしていたのに…」


しおらしくノアは言う。

…まて、"前はよく一緒に"?


「……ノア?えっと…よく一緒にって…」


「あぇ…」


そう問うと、自身が何を言ったのかを理解したのか、ノアは顔を紅潮させて固まる。

そうして暫くすると「す、すみませんっ!!!」と一言残して立ち去ってしまった。


「これは…部屋に来いってことかな?」


「えぇ、行ってあげたら良いんでしょうね。大切なものを貰えるかもしれないわよ?」


何故かアスカは"何か"を知っているかのように話す。


「何があるか知っている感じの話し方だね?」


「ふふっ、これでもダウンの皆との付き合いは長いもの。………そうね。先生、ノアの部屋で何を見ても誰も責めないで。これだけはお願いね」


「う、うん…?」


先程までとは一変して真剣な面持ちで語るアスカに、私は違和感を感じる。

ノアの部屋に何があると言うのか…?

一抹の不安を抱きながらも、私は部屋を抜け出しノアの部屋へと足を運んだ。

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