【1】拝啓、次の自分へ

仄暗い都市に降り注ぐ雨の中だった。

逃げる。逃げる。逃げる。逃げる。私は何から逃げてる?何のために?どうしてこうなった?

そうだ、あの子達の為だ。何故忘れてた?

ああクソっ!頭が回らない!

息を切らしながら頭を抱え考えていると、不意に足に力が入らなくなり私は倒れて転がる。


「あぐっ……」


遠くから誰かがやってくる。だがそれを確認するだけの力すら湧かない。

近づいてきた黒いパーカーを着たその者は、私を見下ろすが、暗く顔は見えない。

しかし、その者に何故か恐怖心は覚えなかった。


「…さぁ、リスタートです。先生」


その言葉に応えるだけの力は無く、私は静かに瞳を閉じるだけだった。


______________________________________


「…せい。先生!」


薄い意識の中、誰かを呼ぶ声を聞いた。

身体が鉛のように重いので、瞳だけをゆっくりと開く。ベッドの上にいるようだった。


「ん……」


「あっ!意識が戻ったみたいです!」


そう言って声の主は私の方へと詰め寄る。


「先生、大丈夫ですか!?無事でよかった…」


声の主はそう安堵の声を漏らし、黒く綺麗な目は涙目になる。

綺麗な黒髪のポニーテールが揺れ、顔のサイズに合わない大きな丸メガネを外し涙を拭く少女は私の顔を見る。


「……誰?」


そう呟いた私の言葉を理解しきれていないのか、少女は呆然と立ち尽くす。

あ…。え……?などの力のない反応が続く。


「せ…先生?冗談ですよね…?」


震えながらも見覚えのない少女は私を問いただす。

しかし、私の反応などから真実を話しているのだと悟った少女は、ベッドに手をかけて倒れ込む。


「まさか…本当に……?」


「えっと…ごめんね…」


何故か、不意に出た言葉だった。

重装備のフード付きコートを着たその少女は、その言葉を聞くと突然私に抱きつき静かに泣く。


「何も…先生は。悪くありません…」


泣きながらそう訴える少女に困惑していると、部屋の扉が開く。

入ってきたのはまた見知らぬ女性だった。

肩ほどまで伸びた赤髪と、人間ではありえない"角"が2本。そして同じように黒を基調としたコートを着ていた。

女性は静かに少女を私から引き離して宥める。


「ほらノア?先生が困ってるでしょう?」


「ひぐっ…アスカぁ…!先生、記憶が無いの…!」


「なっ!?」


ノア…そう呼ばれた少女の言葉に、アスカという医者の風貌をした女性は驚愕の表情を浮かべ、自身の隅に置いてある精密機材へと向かう。

他になにか無いかと周りを見るが、ここは医務室のような設備が密集している事だけしか分からない。


「……脳波に異常はない。ノア、本当に先生は記憶が無いの?」


「うん…」


「えっと…?」


「ちょっと先生は安静にね?」


そう疑問を述べる暇もなく、私の言葉は一蹴される。そうしてそのまま、彼女は私の検査を始める。脈、心拍数、血圧など、一般的なものからあまり見かけない機材まで導入していた。

そうしてしばらく検査を受けていると、結果が出たのかアスカは静かに椅子に座り込む。


「はっきり言って、異常は何も見られない。脳に入った弾も摘出した。でも、明らかにいつもの先生とは違う。それは分かるわ」


「えっと…そろそろ説明が欲しいんだけれど……?」


私の発言に、少し申し訳なさげにノアが反応する。


「あ、そうですよね…。すみません」


そう言ってノアは静かに私の方を向く。


「せ、先生は…私達の組織の…"ダウン"のリーダーです」


「ダウン?」


「はい…。有り体に言いますと武装組織です」


「私が…?武装組織のリーダー?」


記憶も無いままに告げられる衝撃は、虚ろな私を突き抜けていく。

考え込む暇も無く、ノアは続ける。


「先生は…ここを覚えていますか?」


「ここ……?」


そう言って周りをしばらく見ていると、ある事に気がつく。


「……地下?」


「あっはい!よく分かりましたね…。ここはダウンの本部に相当する地下シェルターです」


「地下シェルター?」


地下、それにシェルターともなれば、明確に何かから護ろうとした意思が感じ取れる。

しかし、何から?

疑問は浮かべども、その答えに辿り着くことはない。


「えっと…ノアさん達は…」


「ノアです!呼び捨てがいいんです!」


言葉を遮るようにノアが言う。

先程まで泣いていたとは思えない、確固たる意思がこもった主張であった。


「そ、そう?じゃあ…ノア?それと…」


「アスカ、呼び捨てでいいわ。変に畏まられても困るもの」


視線を送っただけで察したのか、アスカからすぐに要望が帰ってきた。


「分かった。ノア、アスカ。ここはなんで存在するの?何故地下なの?外はどうなっているの?」


すると、少し暗い顔をしてノアが応える。


「はい…私が説明します。まず記憶喪失する前の事からですね。先生は記憶喪失の直前には私と"ノーツ"の掃討作戦に赴いてました。」


「ノーツ?」


「はい。我々ダウンの敵対組織であり世界を荒廃させた原因そのものです」


「まって…荒廃って?」


不思議に思い聞いてみると、アスカがこちらを向く。


「先生。少しは良くなっている筈だから動けるはずよ。こっちに来てもらえるかしら。ノアもね」


言われるがままにベッドから降り、ワイシャツ姿のままついていく。倉庫や黒い通路を通り抜け数分は経った頃だろうか、奥の部屋に通じる扉を開け、アスカはこちらを向く。

奥へと続く異様に広い部屋。そこは沢山のモニターや機材が立ち並び、職員と思われる人々がそれらに向き合っていた。


「ここが私達ダウンの中心部。司令部と言った方が良いのかしら」


「ここが……」


地下とは思えない程に広がる近未来的空間に圧倒されていると、何処からか声が聞こえる。


「ん…先生!?目が覚めたんですね!心配したんですよ」


その声につられるように、所々から私の無事を喜ぶ声が聞こえる。その声には安堵、敬愛が込められていた。

突然、アスカが大きな声を上げる。


「皆、聞いて。先生は回復したわ。だけれど記憶を失ってしまったみたいなの。早急に原因の解明に努めるわ。皆も、理解して先生に接してほしい」


「先生が…!?」「嘘……」


何処からかそんな声も聞こえる。


「えっと……そうらしくて…。よろしくね…?」


何を言えばいいのかすら分からず、そんな事しか言うことが出来なかった。

騒がしいまま少し時間は過ぎ、落ち着いたところで本題へと戻る。


「話を戻しますね…。モニターの映像を見てください」


そうしてモニターに出た映像を見ると、確かな異変を見た。

発展した都市。にもかかわらず人は一人として確認出来ず。それどころか雲が立ち込め暗く、深い霧が立ち込めていた。


「この霧はノーツが原因で致命的な毒性を保有しています。ノーツは自身の目的の為ならどんな残虐な行為でも平気で行います。現に…沢山のダウンのメンバーも惨殺されています」


「これを倒すのが目的なんだね?」


「…はい!市民を護りながら我々の理念の"最善"を尽くすんです」


「良い理念だね」


「先生が考えたんですよ!先生は凄くて…強くて…皆の憧れなんですから!」


「そ…そうなんだ?あんまり実感が無いけれど…」


そんな話をしていると、突如部屋が赤く染まり警報が鳴る。

同時に何処からか声が上がる。


「伝令!ノーツの構成員5名発見!目標はここではない様ですが、市民に危険が及ぶ可能性があります!人工知能"アーク"による演算ではノアが最適だそうです!」


「…!ノーツが出たようですね…。分かりました!」


そう職員の声に応えると、ノアはゆっくりと上目遣いで私を見る。


「先生…頭…撫でて命令してくれませんか…?」


「……ん?」


そう素っ頓狂な声で答えてしまった。

しかしノアは恥ずかしさはあれど真剣だった。


「毎回任務の前にはしてもらってるんです。……そうすると、不思議と勝てる気がするんです」


「分かった。ノア、頑張って。勝ってね」


そう言って私はノアの頭に手を置いて優しく撫でる。ノアも嬉しそうに微笑み私の手を自身の頬に寄せる。


「はい!」


そう言って、今日一番の笑顔を見せた。


______________________________________


地上。静かな世界の中で霧は舞う。

一年を通して雲が立ち込め暗闇に包まれる。

その中の街灯の下で周囲を警戒しながら進むノーツの構成員達。

彼らは特殊部隊の様な武装をして、銃口を周囲に向け歩いていた。


「ここで本当にダウンの先生を撃ったってのか?何も無いぞ?血痕すら残ってない」


ガスマスク越しの男の声は少し曇ったように響く。


「ああ。だが確かに当たったそうだ。警戒を続けろ」


男達はそう言いながら周囲を調べる。

すると、遠くからカツ…カツとブーツの音が響く。

その音に反応するように、ノーツは銃口を音の方向へと向ける。


「……なんだ?」


薄暗い都市の暗闇の中、街灯の灯りの元で現れたのはフードを深く被り黒い兎の面布をしたノアだった。


「…なんだ…ガキ?」


「……ごめんなさい。死んでもらいます」


静かに少女はそう告げる。

そうして両手を下にかざすと、二つの手斧……不思議な模様をした黒いトマホークが現れ、ノアはノーツの構成員達に向かって走り出す。

その光景を見たノーツの1人が叫ぶ。


「黒いトマホークと兎の面布…!!間違いねぇ…"ラビット"だ!撃て!撃て!!」


5人のアサルトライフルから放たれる銃弾の弾幕を、ノアは軽々と壁を、電柱を蹴って躱し、あるいは斧で断ち切り、斧で跳ね返す。

その間にも着実に距離は縮まっていく。


「ダメだ!当たりゃしねぇ!バケモンかよ!!!」


そう叫んでいる間に、ノアは右手に持っていたトマホークを投げる。投げられた斧は銃弾を断ち切ってすら速度を失わず、ノーツの一人を貫く。


「……あと4人」


そこには、先程迄の弱々しい少女の姿は無かった。

冷徹に相手を見据え、揺れる面布の下で緋色に染まった瞳が暗く輝く。

既にノーツの構成員達の半分は恐怖心に支配され震えながら銃を握っていた。


「クソっバケモンが!!銃ばダメだ!刀抜け!!」


リーダーと思われる人物が叫ぶと、特殊部隊の装いらしい統一され最速化された動きでノーツの構成員達は刀を抜く。

隙を与えまいとノアは大きく踏み込み、一瞬で距離を縮め瞬く間に一人を切り伏せる。

そうしてそのまま腰を後ろに回し最後の斧を投げもう一人を貫いた。


「死ね化け物!」


斧をすべて使ったノアには、挟むように迫る男の斬撃は避けられぬように思えた。

しかし、次の瞬間ノアが後ろを振り向いた時には、しっかりと両手に斧が握られていた。


「は…?」


男達は驚きの声も途中で、そのまま刀を断ち折られ切り伏せられた。

血飛沫が舞い、ノアに静かに降りかかる。

ノアは、それを受け入れるかのように天を向いて静かに立ち尽くしていた。

……凄すぎる。というのが私の最初の反応だった。

動きも、何が起こったのかさえ殆ど分からなかった。本当に、あれがノアなのか?

先程迄嬉しそうに微笑んでいた彼女が…。

若干の違和感を感じていると、アスカが私の横からノアに繋ぐ。


「ノア、お疲れ様。お疲れのところ申し訳ないけれど、時間よ。もうすぐ夜がくる。天使が出てくるから早く戻ってきて」


「了解しました」


静かにノアは応え、通信が切れる。


「さぁ、先生。入口へ行きましょうか。頑張ったノアを迎えてあげなくちゃね?」


少しアスカは楽しそうだった。

そうだね。と何も気にしないようにして、私達は入口へノアを迎えに行った。

恐らく、この時の私は分かっていなかった

ノアの事を。私の事を。

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