31曲目 青音レコは別れを言う
「言動には気を付けてください。フォローするにも限界がありますから」
「ごめんなさい」
曲の意図を理解してくれたのが嬉し過ぎて本音を口走ってしまった。
誰の言葉よりも、知り合いですらない一人の曲を聴いてくれた方の言葉あんなに響いてしまうなんて思っていなかった。
顔の見えないファンの声が聴ける――そんなメリットもオンリーイベントにはあるのかもしれない。
「お、この曲良さそう。すみません新盤一つ」
「お兄ちゃんは本当にコエカが好きですよね」
財布からお札を取るそばからにゅっと顔を出すレコ。唐突に現れた話題のコエカP(偽者)に売り子さんとサークル主に動揺が走る。
「そう言えば、コエカ聴いてるとこ見たこと無いんだけど」
「何回も聴いてるじゃないですか。お兄ちゃんから勧められた曲を目の前で」
CD受け取り、「今から聴くのが楽しみです」と言葉を終わらせて次の目的地を探す。
「カラオケのときが最後だろそれ。後で一緒に聴こうよ、俺の曲のボーカルなんだから勉強は大切だぜ」
「ふへへ」
「急になんだよ気味悪い」
「いやあ私ってとってもお兄ちゃんに尽くせてるなあと思って」
「何回か言ったと思うけど、お前は十分俺に尽くしてるよ」
レコは瞳のオレンジ色にする。頬を赤く、緩めて、くねくね身悶える。
「ずーっとこうやって一緒に居たいです」
紅潮させた頬の色は戻って、真剣に口をつく。
「『マスター』と一緒に遊んだり、『マスター』と一緒に曲を作ったり、『マスター』と一緒に暮らしていたいです」
その真剣さには少しだけ、寂しさが混じっているような気がした。
「言われなくてもそのつもりだよ。まだまだ俺の曲に粗はあるし、目標に届いてるわけでもないし、お前がいなくちゃ今更曲なんて作れない」
「マスター!」
「ここでマスターって呼ぶな。お兄ちゃんにしとけ」
「お兄ちゃん!?」
その声に、俺は苦虫を噛み潰したような顔になり、レコは瞳と顔を暗い青に染める。
「お前っ、なんでここに!?」
「君ってそういう趣味だったの!?いや別に否定はしないけどさ。趣味嗜好は人それぞれだし!プレゼントの扱いをとやかく言うつもりはないし!」
彼女がここにいるなんて有り得ない。コエカへの興味なんてありやしないロボット工学の天才が、わざわざイベントにまで来る必要なんて無いのだから。
短い赤銅色の髪を後ろでひとまとめにして仕事着――白衣を着こなす。授業中や研究室にいるときの姿、仕事用のビジュアルに変わっていた。
「でも人前で兄妹プレイはちょっと」
「ぷっ、プレイじゃない!これには深ぁい理由があってだな!体裁を整える為に仕方なく兄妹の振りをしてるんだよ!!」
「そんな言い訳しなくても。存分に楽しんでくれているようで、開発者としては楽しみ方はなんであれ、何よりという気持ちが強いね!」
「だから違うって!!」
俺とレコに襲い掛かっている境遇について必死に弁解した。
「なあんだそうだったのかぁ。兄妹設定の方がずっと面白かったんだけどねぇ」
「なんにも面白くねえよ……で、なんでお前がここにいる。俺の熱心な布教活動が実を結んだって感じじゃないし、仕事か?」
「おっとバレたか。青音レコから聞いたのかな?いやこの格好か、明らかに仕事モードだしねぇ。ご明察、私はちょいと野暮用でここに来たのさ!」
野暮用。
レコには伝えているらしいが、用件を俺に教えてくれない言い回しだ。
視線を隣の彼女に向けても顔が青いまま首を振るだけで教えてくれない。
匙――ドクターの情報は制限されているせいだろうか。
「にしてもコエカオンリーイベントで仕事って、コエカたちの量産体制でも整えるのかよ」
「まさか!量産できるほど雑に造っちゃいないよ。一つ一つ私手づから造らないと高品質なアンドロイドはできないね……専門はロボットだからちと言葉の綾があるな。方向性は間違っちゃいないがね!」
「ふぅん、天才様の考えることなんてさっぱり分からんな。そうだ!せっかく来たんだから一緒に回らないか?楽しいぞ!」
「ハイテンションだねぇ、初めて見たかも。たそろそろ仕事に着手しておきたいから遠慮するよぅ!青音レコもまた後でね」
にまにま笑って匙は俺の横を通り過ぎた。
「また後で?」
埋まっていた片手が寂しく、柔らかいレコの手が離れてしまう。匙と同じ方向に、追いかけるようにして人混みの中に消えていった。
「レコ?」
息遣いが。本来アンドロイドには不必要な息遣いが聞こえた。何度も練習やレコーディングで聴いた声だ、間違えるはずがない。
「ごめんなさいマスター。また明日からの私をよろしくお願いいたします」
制限のせいで言葉にはできない――けれど、泣く寸前のような過呼吸がまるで助けを求めているようで、
「レコ!どこ行くんだよ!」
先の事件から彼女はよく目立つ。どこにいるかはよく分かる。けれど追い付ける気がしない。
手を繋いでいたから一緒にいられただけで、ひとたび手放せば群衆に囲まれてもう一度会うことは叶わない。
人混みを押しのけ何度も何度も彼女の名前を呼ぶ。
「レコ!!青音レコ!!」
ここが街中なら機能する呼びかけだ。場所が悪かった。
ここでその名前は一つの合成音声を指し示し、極めて一般的な名詞と化す。
誰もが半狂乱のオタクがいる程度にしか思って、道を開けてくれない。
必死に。必死に頭を回す。
「タイカイシラズっ!!!おい、聞こえてるんだろ!!!俺の妹に会わせてくれ!!!!」
それは俺の嘘。
彼女はコエカであって、コエカPでも妹でもない。
お前のSOSに俺は気付いていると気付いてくれる――そう思ったのに。
ここが街中なら機能しない呼びかけだ。場所が悪かった。
ここでその名前は巷を騒がせる話題のコエカPの名前で、機能し過ぎてしまう。
レコの存在を認知していなかった人々にもリーチしてしまい、人混みは掻き分けても掻き分けても増殖する無類の防壁となってしまう。
防壁を乗り越える術はなく、もはやレコがどこにいるかなんて分からなかった。
「レコ……」
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