29曲目 青音レコは可也の兄でタイカイシラズということにされる
「え」
「ちょっ多い多い!全員このサークル目当て!?」
十数は下らない同胞が一直線にやってくるなり列が作られ、遠くでは『最後尾』のプラカード背負った雄姿が見える。
「はぁい新刊二冊と既刊一冊ですねー!少々お待ちをー!」
普段は出さないサクラのあざとい猫なで声。彼女は小慣れた手つきで種類と冊数を聞き、勘定も完璧に済ませていた。
その間僅か数分。
俺は悟った。これが壁サー、これが大手サークル。休む暇などありはしない!
「口はいいから手を動かして。新刊二冊と既刊一冊、ほら早く!」
「はいはい……!ってどの既刊だよ」
「私のいちゃらぶ本」
そういうこと言えちゃうんだ。
新旧様々な同人誌が山積みにされた中からサクラの注文に合う一冊、そして新刊二冊を渡してしまう。
どちらの表紙もあられもない姿になったサクラとレコ……いや駄目だ、集中力を乱すな。
綺麗に飾り付けられた机の上には新旧全て十冊以上平積みされていたはずだが、見本誌以外全て売れてしまっている。
接客モードのサクラがちらちら睨んでくるんだけど。はよ並べろってことか?
段ボールからごそっと抱えた同人誌の束、そっと彼女に差し出せば、あっという間に並べられてしまう。あれ結構な重さだぞ。
列の終端、最後尾は依然遠い。
しかし行列の人数が増えたかと言えばそんなことはなく二十人前後をキープしていた。
この人数の多さもだが、特筆すべきはサクラの接客能力の高さである。
同胞の注文を決して聞き逃さず、セクハラや不躾な発言は華麗にスルーし、応援や感想には笑顔の対応。
年齢確認は証明証を視認して数秒立たずに終わらせ、未成年であれば即列から外す。釣り銭は微妙な金額だったとしても即刻用意し、頒布までがとてもスムーズだ。
焦っていたり急いだりしているようには見えない。ただ全ての動きが洗練されていて無駄がなかった。
どんなベテラン売り子でさえ、無意識の癖やヒューマンエラーにより数秒のロスは起こってしまう。
アンドロイドに癖はなく人ではない――故に、最高速。
少し後ろに控えるジョー頭さんはやることがなくなって来る同胞にいちいち声を掛けていた。楽しんでくださいねーとか、お買い上げありがとうございまーすとか。
「いや俺を手伝って?」
「これもサークル主としての立派な仕事だよ」
「確かに作者本人から話しかけられたら嬉しいけど!」
品出し勧誘にあえなく失敗したので黙々と作業に戻る。
「え、えっと身分証……はい確かに……これと、これと……どうぞ!あっお釣り!?えっと、ええっと……!」
慌ただしい声がサクラの隣から。長い銀髪を振り回して精一杯の接客をするレコだ。
サクラが五人は対応しているうちにやっとこさ一人を捌く。その実力差は歴然であるものの、こればかりはレコは悪くない。
初めての作業、焦っても間違えても当然。あまりにできるサクラと並んでしまっているからすっとろく見えるものの、俺が代わってあげてもスピードは変わらないだろう。
「あ、ありがとうざいました!次の方どうぞー!」
やりきった表情で次の注文を聞いていく。
やはり動きは鈍い。しかし誰一人として文句を言わない、それどころか同胞の表情はどこか柔らかかった。
「そうか」
頑張る女の子は可愛いよな。
それもコスプレしているならなおさら。
コスプレじゃなくて一応本人……まあ一般のイメージからはかなり掛け離れた性格をしているけど。コエカというジャンルの懐の深さでカバーしているのか。
青春を取り戻すような歌声――現に俺は青春を取り戻しつつある。
レコのおかげだ。
「あのっ!」
注文を終えた同胞が声を掛ける。レコが対応していた方だ。
あわあわと同人誌を描きおろし紙袋に入れていく彼女をよそに、何故か視線はまっすぐ俺を向いている。品出しの手を僅かに緩めて聞く体勢を取った。
「ここにタイカイシラズPがいるって本当ですか!?」
「ぴっP!?そんなPを付けられる程の立場じゃないんですけど、いやあ参ったな、タイカイシラズPか……良い響きだなあ……」
「ってことはあなたが!?」
同胞の目は輝いている。
おいおいそんなに見つめられちゃ困るぜ、サインとか書くべきなんだろうか。というか書きたい。
「こほん。いかにも俺がタイカイシラズです。呟き見てくれたんですね、ありがとうございます。そこまで言うならサインを書いてあげなくもなくもないというか、」
「ジョー頭さんと付き合ってるって本当ですか!?」
俺は吹き出した。
ほとんど同時にジョー頭さんも吹きだし、サクラは信じられないものを見る目を俺に向け、レコは完全に停止する。
動揺が一斉に周囲に伝播する。まずいぞ……こんな根も葉もない嘘が広まるのは想定外だ。
「ま、まさかあ。ただの知り合いですよ、実にビジネスライクな関係で」
「噂になってますよ。お二人は付き合っていて、それでMVを頼み、スタッフを頼まれる仲だって」
ジョー頭さん――あがりさんは美人だし、容姿だけで言えば年齢が俺とそう変わるようには見えない。うら若い二人の関係は、例えビジネスライクだったとしても”匂わせ”に見えてしまうのだろう。
「本当になんともないんですよ。助け合いの延長線上にある相互補助というか、ただの近所付き合いというか」
「……そうなんですか?」
こりゃあれだ。下手な否定は肯定に映るってやつ。
これ以上噂が広まるのも、真実味を帯びるのも避けるべきだ。
俺のコエカ色の頭脳はフル回転した――その間僅か〇.二三秒。
「ってのは冗談でぇ、こっちの売り子さんがタイカイシラズさんですよ!やだなあちょっとした冗談じゃないですか!俺は一介のスタッフですのでぇ!」
「へっ!?」
レコの両肩に手を置き懇願するように視線を送る。
「なあ!そうだよなあタイカイシラズさん!あなたがタイカイシラズさんだもんねえ!そうだよねえ!」
「は、はい!私が、私こそがタイカイシラズです!寸分違わず、一分の隙も無く、私があの曲を作ったタイカイシラズと申します!」
その高らかな宣誓に周囲の動揺は消えて、おおっと歓声さえあがる。
「えっ、じゃああなたは?」
「タイカイシラズの兄です。俺が、俺こそがタイカイシラズの兄です。妹がイベントをどうしても手伝いたいというので不安で、付き添いで来ました」
「は、はあ。最初なぜ嘘を、」
「妹を守る為です。嘘をついたままでは妹が不利益を被りそうなので明かしました」
『女性コエカP。いなくはないけれど、どちらかと言えば男性の方が多い。コエカ自体男性の割合の多いコンテンツであるし、その珍しさから嫌な思いをするかもしれない』
そんな真っ赤な嘘の言い訳を信じてか、「疑ってすみませんでした」と追加で買っていく同胞を俺は正直怒る気にはなれなかった。
俺は嘘をついたし、元は言えばSNSの下手さが招いた事件だ。もっと気を付けねば。
「ごめんねえ、助けてあげられなくて。あの手合いは話せば長くなると思って」
「ジョー頭さんの選択が正解ですよ。俺も下手踏んだと思ってるので……レコ、じゃないかタイカイシラズもごめん、色々迷惑かけて」
「だっ、大丈夫です……正直変な気持ちになりましたけど」
多少慣れたのか、レコは接客の合間に声を返せるようになっていた。
変な気持ち。隠れ蓑、影武者、一時的に難を逃れるためにそういう役割を着せてしまった。その変な気持ちは落胆や失望ではないだろうか、だとすれば挽回したい。
「本当にごめんなさい」
「いえ!そういう意味ではなく……お、お兄ちゃんって呼んでもいいでしょうか」
「へ?」
「えっと、つじつま合わせの為に、です!ずっとマスターと呼ぶわけにはいかないじゃないですか、だからお兄ちゃんって呼んでみたいなと」
「別にいいけど。変な気持ちってそれ?」
「はい」
「なんだあ緊張した……」
「あ」
暇潰しにtubuyaitterを触っていたジョー頭さんが声を上げる。
「暇潰しじゃないよ、サークル主としてエゴサーチと宣伝は欠かせないのさ。いやあ予想してたけどやっぱ話題になっちゃってるみたい」
「話題?」
「君言ったでしょう、女性コエカPは珍しいって。私も女性エロ同人作家だからよーく知ってんだけどね、女ってだけで創作物の中身関係無しに注目されるのよ」
「もったいぶらないで教えてください。どういう意味ですか?」
ジョー頭さんはとても気まずそうに口を開く。
「タイカイシラズが超絶美人コスプレイヤーってことでまたバズってる」
俺は周囲の人間やアンドロイドに再三言ってきた。自分の実力で地位を勝ち取り、名実共に最強のコエカPになりたい、と。
説教されたばかりで申し訳ないと思いつつも、高ぶるこの気持ちを抑えきれず、とうとう言葉にして薄く漏らす。
「あんのクソオタクゥ……!!!!!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます