27曲目 青音レコの涙は生理食塩水で出来ている
昼下がりのじりじり照る太陽は次第に崩れ、夕焼けに染まりながらも未だ大気にその熱は残る。
「ぐええー気持ち悪ぃ……レコぉその服貸してくれぇ……」
「分かりました!」
「分かるな。冗談だから」
その場で上着を脱ぎ、へそがちらと見えるレコの両腕を押さえた。
プールの開放時間を過ぎて四人で帰路につく。水着を着ていた三人は元の服に、そして水着を持っていない俺はそのびしょびしょの服を着たまま歩いていた。
一応絞ってみたものの水を十分に含んだ衣類は重く、蒸し暑くて気持ち悪い。
「プール楽しかったね!」
「そうですね。可也を撃って、先輩の水着を見られて、マスターと遊んで、かけがえのないひとときでした」
「俺だけ攻撃的過ぎない?」
「可也お兄ちゃんと青音レコはどうだったー?」
「楽しかったよ。らっかちゃんが誘ってくれたおかげだ、ありがとう」
「私からもありがとうございます。マスターは出不精で引きこもりがちですから」
「でぶ?」
「らっかちゃん、出不精だよでぶじゃないよ。この健全な男子大学生の肉体美が見えない?」
「見えない!」
「ああそう……」
「安心してくださいマスター!濡れ透けの今のマスターは十分えっちなので筋トレとかしないでいいと思います!」
「濡れ透けとか外で言うなよ!?」
「なに言ってるんですか先輩!先輩の水着姿の方がどすけべでした!こんな男の濡れ透けより先輩の濡れ透けの方がえっちですよ!」
「ぬれすけ?」
「らっかちゃん、今のやり取りは全部忘れていいよ。生きていく上で不必要な語彙だからね」
説明なんて一つもない誤魔化しだったが、小学生女児は屈託のない笑顔で「分かった!」と激しく頷く。
なんて純なんだ。幼き命の清さに自分がじめじめした汚らわしい何かだと勘違いしてしまいそうになる……らっかちゃんは自分の姉がエロ同人作家であることを知っているのだろうか。
それにしても今日は楽しかったな。
本当に青春を取り戻したような気になって、心がうずうずとし出す。
早く曲を作りたい。
このモチベーションが消える前に一刻も早く作詞作曲に取り掛かりたい。まだインストの貯金があるからもっぱら作業は作詞になるだろうけど。
図らずしもバズってしまった曲のこともある。受け入れ難いけどこのチャンスをドブに捨てる気はない。ブームが過ぎる前に、できるだけ早く新曲を投稿したい。
「どんな歌詞にしようかな……」
「新曲ですかマスター?」
「一発屋で終わりたくないから。前曲とある程度統一感があって、それでいて別物な曲を書きたいんだよね」
前回の要素を歌詞に踏襲するとするならレコとの日常を落とし込めばいい、今日のプール遊びのこととか。
最初は入るつもりのなかったプールに引きずり込まれて、並外れた水鉄砲の撃ち合いに発展して……え、これ歌詞にすんの?
というかレコとの思い出じゃなくて四人の思い出だし、サクラの話も強烈に記憶に残っている。今回も作詞に時間がかかりそうだ。
「そうだ!」
数歩先でらっかちゃんと談笑するサクラに声を掛ける。
「ねえサクラ!次の曲歌ってくれない!?」
良い歌詞はまだ思いつかないけれど、別物な曲を作るにはボーカルを増やすのが手っ取り早い。これで四人の思い出を再現することもできる。
「ええ?」
「うわすげえ嫌そう。頼むよサクラにも歌ってほしいんだ」
苦虫を嚙み潰したような表情を俺に向けて、
「サクラ歌うの!?すごいすごい!!私いっぱい聞くね!!」
ぴょんぴょん跳ねて大喜びするらっかちゃんを見てその表情を多少柔らかく崩す。腕を組んでうんうん唸り、溜息をついた。
「いいでしょう。マスターの期待には応えたいですから。ですが、」
ちらと後ろを見る。俺より後ろ――レコを見ている。
「あのままでいいわけ?」
水滴が地面へ落ちる。
それは濡れた俺の服じゃない。
レコはぽろぽろと涙を流していた。瞳は深い深い青色に沈む。
「……ま、マスタぁ……もう私はいらないのですか?もう歌わせてもらえないのですか?家事もできないし……歌も棒読みだから……サクラに乗り換えるんですか?」
上擦る声で必死に言葉を紡ぐ。
存在価値が失われたと言わんばかりに泣いて、両手で目を擦る。
「そ、そんなわけないだろ!?なんでそんな話になるんだよ、俺はただサクラにデュエットを頼んでただけで」
「ふえ?」
「はあ?」
ぴたりをレコは動きを止めて、呆れかえったサクラの声が背に刺さる。
「俺がなんでレコ以外の曲を作るんだよ。今日のことを歌詞にするならボーカルは一人より二人の方が良いと思って依頼したまでだ」
深い深い青色に染まっていた瞳はほのかに淡い青色に戻り、まだ少し上擦る声でにへらと笑う。
「良かったあ……そうですよね!マスターは私以外の声で曲なんか作りませんよね!」
「紛らわしいわ!!」
「ごめんね。これからはちゃんと言葉にして伝えるよ」
「私も早とちりしてしまいすみませんでした。マスターの新曲楽しみにしてますね」
サクラは濡れた俺の襟を引っ張り説教モードに入ろうとして、
ほとんど同時にレコとサクラに電話がかかった。
アンドロイドである彼女らは耳に指を沿えることで通話をすることができるのだ。レコは顔色一つ変えず沿えて、サクラは嫌そうに押し当て、俺は難を逃れる。
「おはようあがり、今何時だと思ってるの?それに”これ”で電話掛けてこないでって再三言ったよね」
「ドクター?今はマスターとプールに行ってきた帰りですが、どうされたんですか?」
「別にいいけど、マスターはどうするの。連れていけないでしょあんなとこ」
「行ったのは小学校のプールですよ。いえ用件を聞くくらいなら問題ありません」
「オンリー明日だよ!?急に頼んでも断られるだけだって……いやそんなことないかも」
「そんな!急過ぎます!記録が残ったって記憶が残るわけじゃないですかっ!!」
ほとんど同時に電話を切る。
レコは小さな声で「……ィコール」と呟いた。イコール、何が等号なのだろうか。
二人の顔色は反転したように、サクラ以上にレコは青ざめて唇が震えている。
「レコ、大丈夫?」
「マスター…………いえ、何でもありません。マスターに迷惑をかけるわけにはいきませんから」
「迷惑だなんて思わないよ。今の電話って匙――ドクターからのだよね。あいつが何か言ったのか?」
「大したことではないのでお気になさらず」
「……いつでも相談に乗るから、話したくなったら話してよ」
レコは頑なだった。誰にだって人に言いたくない悩みはある。強引に聞くのは自己満足で、彼女から切り出すのを待つ方がよっぽど健全だ。
サクラはサクラで微妙な表情をしている。
面倒事を抱え込んでしまってどう向かい合うべきか迷っているような。
立てた聞き耳を信じる限り、彼女はあがりさんと話していたようだ。良かった、ぶっ倒れたと聞いたからてっきり過労なのかと。
「あのさ、二人はコエカオンリーに興味ない?」
世間ではあざとさに定評のある桃音サクラ。彼女の笑顔は引き攣り、言われているところのそれは皆無であった。
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