21曲目 青音レコの曲はやっとのことで発表される
「眠い……眠い……」
「頑張ってくださいマスター。ベッドで、せめて自分のおうちで寝ましょう」
横好家の皆さんからひとしきりお礼を言われた後、レコの肩を借りてなんとか歩く。
ほとんど目は開いていない。地獄のような作業が終わったと思った瞬間に疲れが襲い掛かり、ちっとも動けなくなってしまった。
「どんだけ起きてたんだっけ……」
「二十二時間五分四十一秒です」
「なんだ……一日経ってないのか、俺もまだまだだな……」
「約二十二時間のうちMIX及びアシスタント業が二十時間占めています。労働基準法の一日八時間を超過する労働時間ですよ、疲れて当然です」
レコは俺のポケットをまさぐり、見つけた鍵で家に入る。カーテンを閉め切った暗い部屋だと瞼の内側からでもわかる。
軽々引きずられるままベッドに倒され、優しくタオルケットをかけられた。
「よいしょっと」
すぐ近くで声がした。それこそ目と鼻の先。夕暮れに差し掛かる陽光、カーテンの隙間から漏れるそれを頼りに目を開くと、レコが隣で寝ていた。
「シングルベッドは狭いですね、マスターの近くに居られるから悪い気はしませんが」
すべすべした太ももを密着させ足を絡める。両腕をわっかのようにして俺の首に通し、おでことおでことをこつんと合わせた。
息のかかる距離。
手を伸ばせば届く近さでレコは寝ている。
「添い寝というやつです。とても頑張ったマスターにご褒美です」
瞳を閉じて、身体の緊張を解く。
とても疲れていて、ろくなリアクションが取れそうになかった。だから斜に構えずに口を開く。
「ありがとうレコ。すごい癒されるよ」
「うへゃっ!?そ、そういう素直なリアクションを取られると困ると言いますか、いえ嫌というわけではないんですけどね、新鮮で喜ばしい限りなんですけど、心の準備ができてないといいますか……!」
「自分でしておいて恥ずかしがるのかよ」
もう目を開くことすら億劫だが、焦った表情をしていることは分かる。
彼女はよく俺に尽くしてくれる。それは俺のことが好きとかそういうのではなくて、作られた理由がそうだからといつも言っていた。そう思うと随分、自分がちっぽけに感じて仕方がない。
「レコの存在理由は俺に全てを尽くすことなんだよな」
「ええ、おっしゃる通りですけど、それがいかがいたしましたか?」
「お前はそれでいいのか?好きじゃない相手に尽くすことがお前の幸せなのか?」
「す、好き?」
レコは即答しない。
好きだから尽くすのだと。そんな言葉をかけてはくれない。
『そうあれかし』と造られたから、一番大切な命令に従っているだけ。
「ごめん変なこと言った。おやすみ」
「はい、おやすみなさいマスター」
レコの瞳の色は目まぐるしく変わり、眩しくて寝るには時間がかかった。
◇
翌日。
朝早くに目を覚まして朝食を取り、かつての日常を沿うようにコエカ曲をディグっていると、知らないアカウントから連絡が来た。
destiny codeの通知を開くと『ジョー頭』という名前に、デフォルメされたサメ頭部のイラストアイコン。
おそるおそるチャットを開くと俺とジョー頭のやり取りの履歴を遡ることができる。
「まさか乗っ取り!?」
「もう完成したんですね、さすが先生筆が早い」
「……先生?」
椅子の背もたれからひょっこり顔を出したレコは履歴を指差す。
「マスターが寝ている間に音源を送っておいたんです」
「誰に?」
「ジョー頭先生に」
「誰だよ」
「あがりさんですよ」
「あの人ジョー頭ってPNで漫画家やってんの!?」
ジョー頭→ジョーズ→上手→上→上がり→あがり、ってところだろうか。
「マスターだって変な名前じゃないですか」
俺のアカウント名は『タイカイシラズ』。
井ノ中可也――井の中の蛙大海を知らず、から取っている。安直だがまあ被らないので重宝していた。
やりとりの順を追って見ていくと、家に帰った一時間後にメッセージが送られており、ものの数分後に返信が来ている。
とんとん拍子で話が進み、イラストの指定、編集の指定まで行い、ラフ確認やらリテイクやら本来俺が行うべき仕事が既に済まされていた。
先ほど飛んできたチャットを見れば、既に完成したMVが送られて来ているのだ。
「その、マスターお疲れでしたので、私ができることならしてあげたいなって思って、してしまいました……すみません」
怒られると思ったのかしょんぼりする。
こらー!なにしてるのー!
と本当は叱ってやりたい。が、指示は的確で俺の求めるイラストや編集に仕上げられている。
普段何をしても上手くいかず、慕われている後輩にさえ仕事を振られなくなったレコがここまで自主的に、しかも上手くやり取りをしてくれたのだ。
「ありがとう、よくできたね。でも次からは一応声かけてね」
「怒らないんですか?」
「怒らないよ。レコはコミュニケーションが上手なんだね」
「えへへ、はい!頑張りました!」
子供のようにはしゃぐ姿を微笑ましく思い、MVを再生する。
青音レコとの日常を表現した歌詞に爽やかな曲調。
美麗で、質感のある青音レコが画面の奥で笑っている。
どこか水っぽくて、唇がぷるぷるしている、エロ漫画家らしいえっちさを感じるそのイラストは俺の想像とは違う――しかしこの曲はこのMVでなくてはならないと感じるクオリティと実力があった。
隣にいるのは……これ俺か?
よくよく見ているとイラストは俺の一人称視点で進み、袖だったり足だったり、要所要所にて男物が映るだけだが、二人の同棲を感じさせるには十分だった。
「俺は描かなくても良かったのに」
「マスターがいないとこの曲はらしくないですよ」
「そうか?……まあレコがそう言うなら」
ここまで完璧に指示してくれたのだから何か意図あってのことだろう。
およそ三分のMVを見終わり、背もたれに体重を預ける。
「すげーなあ……俺の曲が見劣りしないといいんだけど」
チャットの画面に戻り、『よくこの短時間でMVを作れましたね。文句なしです。ありがとうございます』と伝える。
するとすぐに入力中の表示が。『こちらこそとっても楽しかったです。また何かあればよろしくお願いします』。
「あがりさんて文章だと丁寧なんだな」
『なんだかラブレターの清書をしてるみたいでドキドキしました。レコちゃんをたくさん大事にしてあげてくださいね』。
「ぶはっ!?」
「どうしたんですかマスター!?」
「い、いやなんでもないよ……」
何がラブレターだよ!俺はただレコとの日常を描いただけで、ずっと憧れていた女の子との暮らしを曲にしただけで、想いを詰め込んだだけ、で…………これってラブレターなのか?
顔が熱い。変なこと言われたから変な気持ちになってきた。
小首を傾げていたレコは「まあいいか」と俺の奇行を見逃す。
youmoveとニタニタを起動する。
あらかじめ作っておいたアカウントでのMVの投稿準備を進め――
――曲名どうしよう」
残すはこの曲の題名を付けるのみ。
なのだがずっと先延ばしにしていたせいでオリジナリティがあり、かつ大衆に受け入れられやすい名曲名を付けなければならない気がしていまいち思いつかない。
「レコなんか思いつくー?」
「私がつけていいんですか?じゃあ『マスターに全部尽くすうた』!」
「却下で」
「即答!せめて迷ってくださいよ」
「尽くす要素皆無だろこの曲。もっと爽やかで夏っぽくて青春っぽい日常を――こうするか」
「絶対違います!それだけは絶対に違いますよ!!マスター、最近頑張りすぎて判断力が鈍ってるじゃないですか!?」
「うるさいうるさい!俺がこうするって言ったならこうなんだよ!!曲名はこれだ!!俺の処女作の曲名はこれ以外ありえない!!」
レコの一生懸命な説得の甲斐なく俺は投稿ボタンをクリックした。
『青音レコの日常は爽やかで夏っぽくて青春っぽい/青音レコ』
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「マスターこれなんですか」
「これは概要欄だ。他の曲やアルバムのURLを貼ったり、歌詞を書いたり、何か格好良い一言を書いてお茶を濁す場所だよ」
「ではマスターはどうお茶を濁すんですか?」
『少しでも良いなと思ったらフォロー・評価・コメントよろしくお願いします!』
「こうだな」
「濁り切ってますね、主にマスターの心が」
「インターネットは戦場なんだよ!ひとたび目に止まったらもう逃がさないくらいの気概がないと有名になんかなれない!少しでも良いなと思ったらフォロー・評価・コメントよろしくお願いします!はい復唱っ!」
「す、少しでも良いなと思ったらフォロー・評価・コメントよろしくお願いします!」
「ほんっっっっっとうにお願いします!!!」
「……どこに向かっての発言なんですか?」
「……おまじないみたいなものだよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます