20曲目 青音レコは不器用過ぎて後輩から仕事を振られなくなる

『16:00』


 ここまで来ると口を開く者は一人もいない。


 人間は体力面精神面共に限界が近く、アンドロイドたちもそれに合わせて話さなくなった。


「これお願い」


「データ送ります」


 せいぜい最低限のコミュニケーションくらいなもの。


 らっかちゃんは数時間前に友達に誘われて遊びに行った。それがいい、幼女に吸わせちゃいけないひりつく空気が部屋に充満していた。 


 残り、一時間。


 原稿は終わって、残すは表紙のみ。俺たちの出番はない。


 会話が減ったのはこれも原因だろう。


 「極道入稿でも本はできるからねえ、あんまり気負わないで」そんな台詞をけらけら笑って話していたあがりさんは鬼気迫る勢いでペンを動かす。


 金に物を言わせればなんとかなる。しかしそれに頼らないのは生活のこともあるだろうが、プライドもあってだろうと俺は思う。


 カタン。


 あがりさんはペンをデスクに落とし、背伸びをした。


 開いた瞳孔は優し気なそれに戻り、大きく息を吸って、吸った息より幾ばくか多く吐く。


「サクラ、確認お願いできる?」


「っ……!はい!」


 あがりさんのデスクに近づき、漫画のページをスライドさせていく。


 漫画をよく読む人は計り知れないスピードで読み進めていくと言われているが、それ以上の速度で彼女は作業を終わらせた。


「全三十四ページ及び表紙裏表紙確認しました。不備ございません。入稿手続き始めます」


「入稿……それって!」


 期待に胸を膨らませ、あがりさんの言葉を待つ。


 数時間前に淹れた、冷めたコーヒーを優雅にすすり、


「お疲れ様。これで作業は終わりだよ」


「「やったああああああああああああああああああ!!」」


 俺とレコは感極まりあらん限りの声量で喜んだ。オレンジ色の瞳をしたレコと手を合わせて上下にぶんぶん振る。


 この喜びは様々な感情が詰まっている。



 アシスタントをした漫画が完成したこと。


 地獄のような作業から解放されたこと。


 そして、これでMVが作られること。



「やりましたね!よく頑張りましたマスター!」


「レコが手伝ってくれたおかげだよ!いやあ大変だったね!」


「いやその……白状することですね、私あんまり作業が下手だったので途中から何も渡されなくなってですね……」


「サクラさん?俺背景まで描かされたんですけどこの差はなに?」


「先輩の機嫌を取る為に作業を振るか、先輩の真実を伝える為に作業を振らないか。苦渋の決断でした、しかし全ては先輩を想う心あってのこと!!」


 言ってること鬼畜過ぎないか。レコ半泣きになってるぞ。


「ははは。あまり大声出さないでね、びっくりしてマグカップ落っことしちゃうから」


 注意するあがりさんの声にも充足感で満ちている。


 今思えば、漫画家のアシスタントなんて良い経験をさせてもらったのかもしれな、


「ただいまー!!!!見てサクラ!!!!お絵かきしたのー!!!!」


 扉を開けるなり、大声で叫ぶらっかちゃん。びくりとあがりさんは肩を震わせ、コーヒーの入ったマグカップをPCにぶちまけた!


 びちゃびちゃになったPCは異音を立て始め、画面にノイズを走らせる。


「なっ、なになに!?どうしたの!?」


「っ……!!」


 サクラはPCのUSBポートに慌てて指をぶっ差す。人差し指は刹那のうちに変形し、USBそのものになってしまった。


「せめてデータだけは!」


 ぶつん。


 PCは異音すら立てなくなった。ディスプレイは真っ黒に消え、サクラの焦る表情だけが反射している。


 静寂が部屋を纏う。


「ごめんなさい。なんかしちゃったんでしょ。ほんとうにごめんなさい。私のせいでみんな暗い顔になっちゃった」


 静けさを破ったのはぽろぽろ涙を零すらっかちゃんだった。


 声を引き攣らせ、何をしたのか分かっていないのに、自分が悪くないことにさえ気付かず、両手に大事に抱えた画用紙をくしゃくしゃに握っている。


「そんなこと、」


「そんなわけないでしょ。らっかはいっつもせっかちだね、誰もらっかのせいなんて言ってないのに。姉ちゃんがドジしただけなの」


 あがりさんはらっかちゃんを抱きしめる。きつく、強く、苦しいくらいに頭を胸に抱いている。


「何描いてきたの?これ私とらっかとサクラだよね」


「……分かるの?」


「分かるよ!良い絵ってのは一目で何が描いてるのか分かるもんだからね、プロの姉ちゃんが言うんだから間違いない。私とらっかの髪は真っ白なのによく描けたね」


「……友達が銀色の色鉛筆貸してくれたから」


「白に似た銀色で表現したんだね!これどこに飾る?姉ちゃんのお仕事の机でもいい?」


「うん。いいの?」


「良い絵を見るとね、やる気が出てくるんだよ。これに負けないくらい素敵な絵を描こう!ってめらめら燃えてくるの」


 らっかちゃんはあがりさんの腕で目を擦り、泣き腫らした瞳でくしゃくしゃに笑った。


「姉ちゃんに描けるかなあ」


「生意気だなあ、絶対描いてやるもんね!」


 二人は無邪気な笑顔を向け合う。


 俺の出る幕なんて無い、この姉妹はずっと強い。そして創作についてよく分かってる、俺なんかよりずっと。


「まーそういうことだから、また作業手伝ってくれる?」


 頬を掻いて申し訳なさそうに告げる。


 限界進行を始めたときより事態は悪化している。この十数時間の比じゃないくらいの作業量が待っているはずなのに、どこか余裕があった。


「なんか今すごい絵が描きたいんだよね」


 ああ、なるほど。


「もちろんです。こうなりゃぶっ倒れるまでアシやってやりますよ」


「あの!次は仕事振ってくださいね!頑張って期待に応えるので!」


 俺たちもあがりさんの熱に応えるまでだ。


 デスク前の椅子からサクラは立ち上がり、USBから人差し指に形を戻す。


「流れを断つようで悪いけど。データなら復旧できたわ、三十四ページ、表紙裏表紙含め全部」


 ふっ、とあがりさんは息を吐いて、その場に倒れた。



「よ、良かったああああああ……死んじゃうところだったああああああああああ…………」 

 


 その後、青音レコエロ同人誌の入稿作業はサクラが手早く終え、時刻はちょうど『17:00』を回る。

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