19曲目 青音レコはエロ同人誌に描かれる

『00:00』


「私のお古だけどちゃんと使えるから」


 タブレットを俺とレコに一機ずつ手渡し、あがりさんは一通りの作業の説明を終える。


 ベタやトーンの貼り方塗り方に留まらず、失敗したときはすぐに言う、分からないところはすぐに聞く等のアシスタントの心構えを教えてくれた。


「データそれぞれに送るからよろしくー」


 デスクについてPCを起動させる。液晶タブレットや複数枚のディスプレイ、俺の機材周りとはまた違った充実さだ。


 うつらうつらもしなくなり、首を項垂れさせ夢の世界に飛び込んだらっかちゃんをサクラは抱えて、「寝かせてきます」と囁いた。


 子供にこの時間はつらかろう。


 それに、これから始まる地獄をあまり見せたくない。


 まもなく清書された漫画原稿が送られてきた。起動したお絵かきソフトで指定された箇所にベタやトーンを貼っていこうと……


「あの、あがりさん」


「何も言うな」


「いや、あがりさん」


「何も、言うな」


「…………」


「私だってさあ!?本当は見せたくなかったんだよぉ!?むー!もごもご!」


「何も言ってないのに」


 あがりさんの口にサクラは手を突っ込み声を封じた。青筋を立てて空いた手で指差す。人差し指が向いているのは、布団の上で寝息を立てる幼女。


「マスターを起こしたら許さないわよエロ漫画家」


「は、はひぃ」


 握り拳を半分入れられ、涙目になりながらこくこく頷く。


「やっぱり三原則って存在しないんだ」


 声を潜めた不用意な発言に鋭い眼光が届く。俺は無害ですよ、と言わんばかりに微笑み、サクラはようやく鞘を納めた。


「笑顔きもっ」


「助けてレコ、俺こいつ嫌いになる」



 

 また睨まれているような気もするが、話を戻そう。


 借りたタブレットに目を落とすと、実に美麗かつ繊細に描き込まれた漫画の一ページが映し出されている。


 それがたった一人の手によって作り出された世界観で、それが目の前におわすあがりさんによって描かれたということに気分が高まってしまう。


 興奮する。いやマジで。


「…………」


 そのページでは青音レコと男性がくんずほぐれつ乳繰り合い、肌面積を通常よりも露わにする。というか裸だ。


 裸の男女が登場する漫画なんて俺は一種類しか知らない。


 漫画は漫画でもエロ漫画。それも同人誌。


 ということは、


「締め切りって印刷所の期日だったりしますか?」


「よく知ってるね。午後五時過ぎたら割増料金になっちゃうんだよ」


「イベント参加する感じですか?」


「コエカオンリーにね」


 俺たちのこの会話は意味があるように見えて、ただの確認作業であり、これといって意味のある言葉ではない。気になったら自分で調べてね!


 通常耳にすることのない言葉の数々にインターネットに接続できないレコは首をかしげて、サクラに横好家のWi-Fiパスワードを聞いて、膝を叩いた。


「知らなくても良かったのに」


「私がこんなあられもない姿になってるのに気にならない訳がないじゃないですか」


 正論だ。心なしかレコの耳が赤い。


「ごめんね、嫌だった?」


「かなり嫌です。嫌ですが、この男性をマスターと思い込むことで不快感は解消可能、というか興奮できます……ぐへへ」


「なんか腹立つ。あがり、いますぐ私との百合本にできない?」


「絶対間に合わなくなるよ!そんなご無体な!」


 再び大きな声を出して理不尽に口を押えられるあがりを横目に俺は人生で初めてベタを塗った。



 ◇



『03:00』


「あんたって器用よね。言われた作業テキパキこなすし」


 握っていたペンを思わず落とす。ピンク色の長い髪が俺の腕や頭にかかり、見上げるとタブレットを覗き込むサクラの姿があった。


「サクラって人を褒められるんだ……いやごめん、レコのこと大好きだから必然的にマスターである俺のことが大嫌いなのかと」


「妄想力猛々しい。私は先輩に尽くしたいけど、先輩に尽くされているあんたを羨ましいなんて思うわけ無いじゃない。それは先輩の造られた理由を否定することになるでしょ」


 造られた理由。


 人間で言うなら、存在理由。


 生まれたときから定められた運命を彼女らは疑わないのだろうか。


「何か勘違いしてるようだけどアンドロイドに感情なんてないのよ。無数のプログラムに従って強引に表現してるだけで――私から言わせれば、自分で生まれた理由の探さなきゃいけない人間の方がよっぽど可哀想ね」


 サクラは高飛車に髪をかき上げて、高慢に微笑む。


 俺にはそれが『だから心配しなくていい』と言っているように見えた。


「私はあんたのこと別に嫌いじゃないから」


「サクラ……」


「器用なんだし、背景描いてみない?」


「えっ、俺に描けるかな」


「問題ないわ。いくらでも私が教えてあげるし、どうせベッドシーンしかないから似たような絵ばっかになるもの」


 サクラは居候になってここ数日アシスタントとして背景やモブを描いていたらしい。

 器用、というか化物じみた学習力。アンドロイドすげえ。


「いいよ。頑張ってみる」


「その調子よ」


 現在の作業を一区切りさせて、データを受け取る。


「なっ……」


 それは確かにベッドシーンだ。ベッドシーンではある……のだが、


「ちと装飾が多すぎやしないですかね?」


 シャンデリアに天蓋付きベッド、カーペットやら戸棚やら冷蔵庫やら、引きの構図で滅茶苦茶多い指示が入っており、とても素人に描かせる量共に構図ではない。


「知らない?最近のホテルは大体こうよ、ったく童貞はこれだから」


「アンドロイドに性交渉の有無を問われるのも腹立つがお前絶対俺のこと嫌いだろ!?」


「大きな声出さないで起きちゃうでしょ」


 むぎゅっ。


 柔らかい手のひらによって口が塞がれる。


 身内でない人間の口腔内に拳を突っ込むのは憚られたのか、少女と言って差し支えない小さな指先で唇を封じた。


 ぐいと押されているものの、その力さえ優しく、あがりさんは羨ましそうに、レコは恨めしそうに視線を送っている。


「私のマスターですよ。取らないで頂けますか」


 レコが俺の頭を胸に抱いて強引に体勢を崩させた。


 後頭部にふにゅっと最高級クッションでさえ表現できない柔らかさを感じる。咄嗟に起き上がろうとするもサクラの倍はあろう力で拘束され、身動きが取れない。


「なっ!?先輩に迷惑をかけるつもりは一切ないです!……井ノ中可也、絶対に許さない」


「待て待て待て待て!サクラさん?俺は人間だぞ?アンドロイドの剛腕の前では塵に等しい非力な生き物だぞ!」


「だから今から塵にしてあげようっつてんの」


「まずいまずいまずい、あがりさん!助けて!この殺戮マシーンなんとかして!」


 デスクに向かう眠たげな女性は一言。


「サクラも参加させていっそ三人にしようかな」


「「絶対にやめて」」


 俺とサクラの声が揃った。



 ◇



『07:00』


 人間はぶっ続けで似たような作業をしていると壊れるものである。


 「ちょっとコーヒー」そう言って立ち上がったあがりさんは窓から逃げ出そうとし、サクラに捕まっていた。


 俺は眠気のピークに達して気絶する頻度が増えてきた。ペンギンには数秒寝ては数秒起きるを繰り返す種類がいるらしいが恐らく俺の近縁だろう。


 頬の一点に湿り気と熱気を感じる。吸い込んだり吐き出したり生温い呼吸がほんのすぐそばで、


「うおっ!?」


 意識は覚醒し、明順応のうちにきょろきょろ見回した。


「ふへへぇ勝手に寝ちゃ駄目ですよマスター。また寝ちゃってたらほっぺにちゅうしますからね」


 顔を紅潮させたレコは潤んだ瞳で艶めかしく自分の唇に触れた。頬に触れると確かに濡れて――殺気を感じた。


 ボギィッとサクラは握っていたペンを真っ二つにして「やだ私ったらおっちょこちょいさん」などとのたまう。


 おっちょこちょいで済むか!


 デジタル用ペンなんてプラスチックの塊だぞ!?


「はっはっはっなんだかもう起こしてもらわずに済みそうな気がするよ。レコちょっと離れてもらえる?命が惜しいんだ」


 握撃で潰されたペン。俺は『あんまり調子乗ってると次はお前がこうなるぞ』という意味であると解釈した。サクラの瞳、紫色だし。


「それはつまり、おうちに帰ってからのお楽しみってことですか!?やだマスターったら大胆過ぎ!」


「解釈は人それぞれだけどそれだけは違うよ。断言するよ」


 殺気に満ち満ちた視線が消えたかと思えば、再び逃走を図ったあがりさんを捕えて帰ってきた。ぎちぎちに麻縄で縛られている。


「可也くぅん、助けてぇ」


「逃げ出す元気があるならはよ描いてください」


「くぅん……」


 犬みたいに鳴いて、ちょっと年上らしい成人女性は椅子に縛り付けられていた。


 サクラは容赦がないし、あがりさんはプライドがない。



 ◇



『09:00』


 薄いカーテンから日の光が差し込んでくる。時計を見ても実感の湧かなかった『徹夜明け』をじわじわ認識して、どっと気だるく疲れが増す。


「ん……ふわぁ……姉ちゃんとサクラおはよお……あと、可也兄ちゃんとレコも……じゃあおやすみ」


 パジャマ姿のらっかちゃんはまた横になった。すかさずサクラが持ち場を離れて布団を引き剥がし、洗面台へ身体を押す。


「もう九時よ、起きなさい」


「うむう……あのねサクラ、今日は友達んちで一緒に遊ぶの。お絵かきしようかなって」


「良い予定ね。帰ったら何描いたか教えてほしいな」


 その様は実に姉妹らしく微笑ましい。


「ははは……もう終わらないんだ、私は青音レコのえっちなシーンを描きながら死ぬんだ……」


 実際の長女はとっくに壊れてうわ言を吐いているが。こんなに憔悴していいるのに筆は一切止まらない。


「あがりさんって漫画好きなんですね」


「え、好き?どうだろうなあ、改めて聞かれると自信ないかも」


「でも好きじゃなかったらこんなに綺麗な絵を描けないですし、こんなに長い時間机に向かってられませんよ」


「正直義務感で描いてるけどね。私の漫画を待ってるファンの為に、あとは新刊を落とさないことで私の名誉を守る為に」


 先ほどのうわ言とは違う、心からの言葉だ。


「では、漫画が嫌いなんですか?」


「いいや?原稿の作業は結構苦痛だけどね、でも生活がかかってるからちゃんと描くんだよ」


 正直俺は衝撃を受けている。


 好きを詰め込んで作品を作ることが創作において最も大事で、実力を付ける最短ルートだと思っていた。


 だが現実はどうだ――そこまで好きじゃないのにこんなに良いものが作れてしまう。えっちで綺麗な漫画が描けてしまう。


 俺の情熱は間違いだと、そう言われているような気さえした。

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