18曲目 青音レコはフリーWi-Fiに接続するリテラシーの低さを誇る
「うん、良い曲ね。初めて作ったとは思えないくらい」
あがりさんは俺のスマホを返して、後で曲を送ってほしい旨を伝えてきた。
お手伝い。
久しぶりに聴いた単語だ。俺だってコエカに毒される前、およそ小学生くらいのときには両親の肩を揉んだり、お皿を洗ったりしてお駄賃を貰っていた――お手伝い料として。
俺から見て、丸テーブルの斜め前に座るちょっと年上の年齢不詳のお姉さんは『お手伝い』の対価として『MVを作る』と、そう言ったのだ。
「MVというものはイラストを描けるだけじゃ作れなくて、映像編集の技術をいるわけで、あがりさんが漫画家だとしても作れるとは正直思えないんですけど」
「漫画家になる前は映像編集の仕事をしていたから問題ないさ」
「うってつけというわけですね」
どうしたら映像の仕事をしていた人間が漫画家に着地するのだろうか。そしてあがりさんは何歳なのだろうか。
「して、そのお手伝いというのは?」
「漫画のアシスタントをしてもらいたい」
「漫画はよく読みますけど、ちっとも絵は描けませんよ。然るべきプロのアシスタントを雇うべきでは」
せっかくの申し出ではあるが、俺たちが手を加えたせいでクオリティが落ちたとなっては井ノ中可也の名折れだ。一曲さえ世に出しちゃいないがいっちょ前にクリエイターとしてのプライドはある。
しかしあがりさんは見当違いと首を振った。
「背景やモブを描けっていうんじゃないよ。ベタを塗ったり、トーンを貼ったり、そういう単純な作業ならできるでしょう?」
「ベタ?トーン?」
「ベタは黒く塗ること、トーンは柄の入ったシールみたいなものを貼ることです」
首を傾げたレコにサクラが注釈を加えた。
「自分で調べればいいだろ」
「ここWi-Fi届かないんです」
「うちのWi-Fi使ってたのか!?」
「カラオケに行ったときはフリーWi-Fiに繋がってました」
精密機械はあんまりフリーWi-Fi使うなよ。
何故か誇らしげなレコからあがりさんに視線を変える。彼女の瞳は冗談のようなにやついたものではなく真剣で、この誘いに嘘はないと信じることができた。
「分かりました、やります。それでいつ締め切りですか?」
「明日」
「は?」
「明日の午後五時」
「はあ!?」
渾身の威嚇をしてしまった。
いくら漫画を描いたことのない人間とは言え、彼女がどれだけ切羽詰まった状況であるのかくらい、数々の創作物――漫画を描く漫画や小説を書く小説、いわゆる作中作の作品――に触れてきたから理解できる。
「限界進行だ……」
「よく知ってるね。ラフ六枚、白紙四枚、表紙未完成って感じでぜーんぜん出来てないの!もう笑っちゃうよねえ!あっはははははっ!!」
咄嗟にポケットからスマホを取り出し、『23:20』。残り時間十七時間四十分。
スマホから目を離すと丸テーブルから少し離れて土下座するあがりさんの姿があった。
「な、なにしてるんですか」
「お願いします!手伝ってください!もう猫の手も借りたい状況なんです!格好つけて『手伝わせてあげるー』みたいなこと言ったけどぶっちゃけ心の中でガッツポーズしてました!!」
俺が少しだけ頼りになる大人だなあと思っていた女性は、うとうとと舟をこぐ妹と居候させているアンドロイドの目の前に初対面の大学生に頭を下げていた。
いや、初対面ではない。本当に初めて会ったのはスーパーであり、先に土下座をしたのは俺だった。
「顔を上げてください」
テーブルを半周してあがりさんの手を取る。
「手伝いますよ、不束者ですがよろしくお願いします」
「可也君!」
「「なっ!?」」
俺とレコの声が揃い、あがりさんはがばっと俺に抱き付いていた。
服越しにもその大きさが分かる豊満な胸、細い腕を腰に回し、顔を下腹部へ押し付けた。コーヒーを常飲して僅かに高い体温に釣られて、徐々に俺の体温も上がって――
「ぶえええええええええええんっ!!ありがどおおおおおおおおおおおおっ!!!」
顔をぐっしゃぐしゃにして顔の穴という穴から体液を漏らすあがりさん。ラッキースケベ的展開に胸躍らせる感覚は同時に吹き飛び、「こうはなるまい」と溜息をついた。
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