16曲目 青音レコはありもしないえろ本捜索に夢中
「おじゃましまーす」
「か、鍵開けるまで待てねえのかよ」
慣れた所作でごてごてした分厚い黒塗りブーツを脱ぎ散らし、廊下に上がる。
「いつまでも開けない君が悪い。一曲聴いたらすぐに帰るつもりだから、部屋の片づけなんてしなくて良かったのに」
究実を家へ上げなかった理由を『部屋が散らかっていて急いで片づけていた』と解釈したらしい。
「本当に聴いたらすぐ帰ってくれよ」
「あれ?君の言ってた親戚は?お土産に1/16スケール猫型配膳ロボット持ってきたのに」
「あー親戚ね?親戚はねえ……そう、今コンビニでご飯買いに行って、えっなにそのロボすっごちゃんと動いてるえっすっげすっげ」
ローテーブルに置かれたミニチュアサイズのロボットには液晶とスピーカーが取り付けられ、特有の表情と音声を流しながら縦横無尽に動き回っていた。
「君はご飯作れないもんなあ。いやあ久しぶりに来たけど変わらず機材だらけだね、これが曲の為だけの設備って言うんだから大したもんだよ……して、男子大学生の部屋に来たんだ。やるべきことは一つ」
「曲聴くんだろ?」
「ベッドの下捜索っ!!」
「曲聴くんだろ!?」
スライディングするが如くベッド下に滑り込もうとした究実を阻むべく、身体を横に――丁度ベッドの中を見えないように割り込んだ。
「やっぱりそこにあるんだね!?男子大学生なら誰しもが秘めるえっちな本というやつが!!」
「はあ!?違げぇし!!んなもん一冊もねえし!!」
訂正のつもりがなんだか『まるで本当にえろ本を隠してる』みたな声色になってしまう。えろ本じゃなくてアンドロイドを隠してるのに。
「嘘をつけぇ!!男の子のベッド下と言えばえろ本だろう!!えっぐいえっちなやつ見せろ!!二次元派か!?三次元派か!?」
「いつの時代の男子の話してんだ……今の男の子は全部インターネットなの!電子書籍派なんだよ!!」
「はあ!?電子だとぉ!?紙のありがたみを忘れたとは言わせんぞ!!」
「それをロボット工学の権威が言うか!電子の方が都合が良いんだよ!!」
「都合だあ!?どんな都合だよ!!」
「そりゃあ……色々あるだろ」
「色々って何さ!ちゃんときっちり答えたまえ!」
歯切れが悪くなったらしっかり噛みついてきやがる。
ちらと背後のレコを見れば瞳がピンク色に変わっている。やたらめったら目線を動かし、何かものを探しているような――分かったこいつえろ本探してるわ。無えってここには。
「言うまでベッドの下を諦めないぞ」
最悪だ。俺の社会的死が確定した。
天才様の頭脳を誤魔化せる気もしないし、選ぶ道は二つ。
えろ本が何故電子だと都合が良いかを答えて、究実から白い眼で見られるか。
ベッド下に隠したレコを引っ張り出して、究実が血眼で分解してゆく様を見るか。
はなから選択肢などない。
「…………紙だと捲りずらいだろ、汚れないし、コンパクトだし、一冊目から二冊目への移動もスムーズだ」
「待て。君は何の話をしている?」
「っ…………だから!えろ本を使うときの話をだな!」
「『使う』?………………………………………………………………あ?ああ!!ああああああああああ!!!!!!」
彼女の類稀なる頭脳は言葉の意味を知らずとも俺が何を言わんとしているのか理解したらしい。
顔を真っ赤にしてその場にへたり込み、「いやちがうんだ」「ちょっとききたかっただけで」うわ言をぽつぽつ呟く。
ざっくり要点をまとめると『男子の部屋に入ったときの定番の流れをやってみたかっただけ』らしい。漫画かアニメの影響だろう。
「普通えろ本があるかどうかのくだりで終わるもんな。まさか都合を聞くとは思ってなかった」
「うう……私だって可也君がそんな奴だとは思わなかったよ……不潔だ、不浄だ、不遜だ」
「いつ俺が思い上がったよ。男なんてみんなこんなもんだ、そんな幻想ぶち壊れてしまえ」
「ああ理解した。君はとんでもなくえっちなやつだったんだな。俄然興味が湧いてきたな、そんなえっちな君はどんなえっちな曲を作ったのか」
「そう着地すんのね。はいはい、いいですよ。是非聴いてってくださいな」
口調がかしこまってるだけで本質は男子中学生と変わらないな。
背中を押して回転椅子に座らせ、スピーカーで曲を流す。
何度も聴いた、聴き過ぎてどこもかしこも悪く聴こえてしまう曲が始まる。爽やかで、鮮やかで、子気味良い調子のインストにレコの歌声が乗る。軽快でありながら、歌詞には重みがまとわりつき、つい昨日の思い出が綴られていく。
究実はこの曲に何を思うのか。
「私には音楽のことはちっとも分からんがね、」
一番サビが終わって、二番Aメロに入る間。
「君がこの曲を作ったってことにとても感動してるよ」
にこりともしない。アルバイト中も授業中でも見たことのない真剣な表情で、スクロールするだけの画面を見つめていた。
「いやあ良い歌を聴かせてもらったよ!君のコエカの妄想力ってやつは度を越してるよな、ありありと夏の日の思い出が想像できちゃったぜ」
「はは……そりゃ良かった」
本当に青音レコと過ごした一日を歌詞にしました、なんて言えるか。
「んで、いつこれは公開するんだい?MVはまだみたいだけど」
「あっそうか!?ミュージックビデオ作らないといけないのか!?」
曲を作ることに手一杯でその後のことを全く考えていなかった。
動画投稿サイトに投稿するには何かしら動く絵が欲しい。
別に無くても投稿自体はできるが、コエカ曲はインパクトがあったり可愛らしかったりするMVとセットで捉えられることが多い。イメージを固めてもらうには有効な手段だ。
「コエカのMVは大抵イラストだろう。誰かアテはいるのかい?」
「い、いない……」
イラストを描いてもらう。
MVを編集してもらう。
どちらも俺はしたことのない作業だから誰かに依頼することになる。即ち金がかかる。ただでさえ金欠なのに。機材なんて買ってる場合じゃなかったか!?
「あちゃあ。じゃあこの曲が世に出るのはもっと先か、惜しいねえ」
絶望の真っただ中にいるというのに、軽口の叩くような調子で笑う――まるでなんとでもなるいう風合いに。飛び級に飛び級を重ねる天才様は凡夫の挫折など知りようもないらしい。
玄関へ向かい、夏にはそぐわないブーツを履き始める。
「送るよ」
「親戚がコンビニに行ってるんだろう。待ってやらなきゃ可哀想だ」
「そ、そうだったな。ごめん、一人で帰れるか?」
「問題ないとも。親戚によろしく伝えておいてくれ、ロボットの土産が気に入るといいんだけど」
「きっと気に入るよ」
親戚なんていないからレコが気に入るかどうかを考えて返す。
留め金を留め終わり、ジッパーを引き上げて、究実は扉を押した。
生温い夜風が部屋の中に吹き込み、エアコンの効き具合を緩める。
「あと、ベッドの下に隠れてた青音レコにも」
理解できない言葉の羅列。
「は?」
「じゃあまたねぇ」
ゆっくり閉じる扉の前で立ち尽くし、鈍い音を立てて閉じる扉――「待てよ!!」
薄い隙間に夜を映すそれを強引にこじ開けた。裸足で廊下に出て周囲を見回す。コンクリート造の廊下と塀が左右に続き、一階へ降りる廊下にはちろりと赤銅色の髪が揺れていた。
「どういうことだよ匙!」
すぐにでも問い質してやりたい。追いかけようと一歩踏み出し、
「近所迷惑なんですけど。夜中に叫ばないでくれる?」
隣の部屋。俺と究実を隔てるように開いた扉は彼女を見失わせた。
背伸びをしたり、扉と塀の隙間を覗いてみたり、追いかけようにも追いかけられないもどかしさにやきもきとする。一瞬ここから飛び降りて捕まえてやろうかとも考えたが、運動神経のない俺がすれば自殺行為だろう。
「聞いてる?ちょっと、もしもーし」
「あ、ああ。すみません、ちょっと友人に話があったんですけどもう行っちゃったみたいで」
『お前のせいでな!』そう言ってやりたかったけれど、隣人トラブルは今後の生活を狂わせかねない。俺におおよそ非があるのだしここは我慢……。
諦めて、視線を声へ向ける。
ピンク髪の低身長な少女。釣り目でネコミミの中からツインテールが生えており、声質はあざとい猫なで声で少し馬鹿にしたような感じ。
長く太いピンク色のネクタイをスカートまで垂らし、服装は全体的に近未来チックだ。
「うん!?」
爪先から頭のてっぺんまで舐めるように凝視し、少女は引き気味に「な、なによじろじろ見て。けーさつ呼ばれたいの」と警告する。
いや間違いない。こんなことってあるのか?彼女だけではなく他にも仲間がいたのか、それもこんな身近に。
「桃音サクラ、だよな」
それはコエカの一人の名前。
月夜の晩、生温い風に季節外れ桜がひとひら舞っていた。
俺と同じ声量の少女――サクラの絶叫がアパートにこだました。
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