14曲目 青音レコのハグは柔らかい
――で、できた。できた?できた!うおっしゃああああああああああああ!!!できたああああああああああああ!!!」
口を半開きにさせて歌詞を考えに考え、二番まで作り終えた文字がメモソフトに羅列されている。
ディスプレイの隅にある時刻表示は既に三時を回る。えっと。確か十時頃に歌詞を考え始めたから……五時間!?
「もうそんなに経ってたのか……」
「おめでとうございます、マスター」
背後からの声。レコが拍手をしながら歌詞の完成を喜んでくれていた。
「起きてたんだ、寝てても良かったのに」
「アンドロイドに睡眠は必要ありませんから。マスターこそお眠りになられてはいかがですか?」
「まだまだ俺は元気だよ!できるだけ早く仮歌録りたいし」
仮歌とは、ボーカルに曲を渡す前に作曲者が先に歌い、録音すること。これをボーカルに聞いてもらうことでイメージや音程を掴みやすくするのだ。
本来コエカ曲を作る際にはなくてもよい工程だが、相手がアンドロイドなのだから仕方がない。
防音シートを部屋中に貼ってあるから深夜でも歌って大丈夫!多分!クレームが来たらそのときに考えよう。
「あまり根を詰めても体調を崩すだけですよ。休憩しませんか?私軽食作ります」
そう言って立ち上がったレコはとてとてとキッチンに向かい、戸棚にしまったフライパンを取り出す。
冷蔵庫からは卵を一つ。今日ではなく前に買っておいたものだ。
しなやかな銀髪のかかる横顔は美麗で、まるで献身的な美少女のよう。
俺の為を想う気持ちと歌への想いは本物だ。ふざけ過ぎるのが難点ではあるが、それ以外は本当にまともな――れろ、と舌から垂らした唾液をフライパンに敷いて中火で卵を炒め始めた。
「何やってんだよ!?」
椅子から飛び降りてレコに駆け寄る。
「言ったじゃないですか、私のエネルギー源の油を使うって。ちゃんと料理用です」
「なまめかしい出し方してるなんて知らねえよ!これただの目玉焼きじゃないよ!?もっとえっちな料理になってるよ!?」
「えっちだって思うのは個人の自由ですけど私の責任にされるのは心外です。えっちな目玉焼きが嫌ならえっちなスクランブルエッグにしましょうか?」
「大事な部分が変わってねえ!」
言葉を聞かずにフライパンの隅にウインナーを二本転がした。
「焼くなー!!」
テーブルには形の少し崩れた目玉焼きとウインナー、市販のロールパンが並ぶ。
「下から出てくるよりはずっとえっちじゃないと思いますよ」
フォークを握りながら作ってくれた料理を凝視する俺に微妙なフォローをくださる。
これはえっちな食べ物じゃない。あれは唾液じゃない。食用サラダ油を使用したごく一般的な軽食だ。せっかくレコが作ってくれたんだ、食べない方が失礼じゃないか。昨日も同じ工程を挟んだ料理を食べたから大丈夫!
半熟目玉焼きの目玉を割りながらフォークで切れ目を入れて、一口分取り、ちぎったロールパンの上に乗せる。
はぐっ。
「どうですかお味は」
「……美味しいよ。全然食えるのが腹立つ」
料理の腕は中途半端に良いんだよなあ。
卵の殻は取り除かれており、焦げない程度に焼かれた卵は塩コショウが効いていて、柔らかいパンとの相性が良い。
フォークをウインナーに刺し、ケチャップをたっぷりかけて頬張る。大味だが、先の目玉焼きとパンが大人しい味である分塩味がほしいところに来ている。
「というかマスターは女性の唾液をえっちなものって捉えてるんですね……へんたい」
「食べるの止めてやろうか」
パンをかじり、じと目を向けた。
完食。
「ごちそうさま」
レコの皿洗いを見届けてから、仮歌を録る。
途中途中で彼女の「ほお」とか「へえ」とか歌声を聴いたことに対する感嘆がいくつも入ってしまったが仮歌だし、どうせレコと俺以外聴かないのだし気にしない。
「マスターって本当歌上手いですよね。バズったらセルフカバーして、自分で歌うようになるんじゃないですか?」
「触れずらいところをズバズバと行くなあ……俺はコエカが好きなんだよ。そんなことしない!」
「絶対にですか?」
「…………」
「なんで黙るんですか!?ちょっと!?嫌ですよ!ずっと私に歌わせてくださいね!!」
両手でもみくちゃにしてくるレコに無理矢理ヘッドホンを装着させて曲を聴かせる……大人しくなった。危ない危ない。
「ひとまず歌ってみて」
歌詞も覚えてもらって、マイクの前に立たせる。
呼吸を整える素振りをして歌い始めた。アンドロイドは酸素を必要としないはずだから、これはルーティンのようなものなのだろう。『これから歌うぞ!』という意気込みのような。
◇
「やっぱ棒だな」
「これでも頑張ってるんですけどね……そんな投げやりな言い方しなくてもいいじゃないですか」
唇を尖らせてしょげてしまう。
「アンドロイドとは言えコエカだからなあ。調教せずに済むなんてことはないんだろう……よしっ!そろそろお天道様が顔を出す頃だけど気張っていくぞ!!」
時刻は午前五時。残す作業はレコの調教とMIXだ。
MIXとは、ミキシングとも言い、ノイズを除去したり音程やパンを調節したりリズムを整えたり、大まかに曲全体を良くする作業のことを指す。
曲は完成してるのでボーカルを乗せたときに違和感がないか、音作りはこれで問題ないか、やることは少ない。
「少ないっつても時間はかけなきゃいけないけど」
「何か言いましたか?」
「なんでもない。ほら、ここの歌詞は声張らなくていいから、もっと自然に歌って」
「うぐ……独り言呟く癖にちゃんと聞いてるんですね。というかなんですかその古い有名音楽プロデューサーみたいな曖昧な指示は」
「指摘する立場になると語彙がフィーリングに寄るんだよねえ不思議なことに。悪かったよ、もっと良い言い方探すから」
夜は更け、未明を過ぎて、早朝に入る。
一つ一つのフレーズを交互に歌って、ここが違うそこが違うと指摘し、たまに文句を言われて、それでも俺もレコも中断しようとは言わずに一息に覚えきった。
俺の歌詞に少しずつ命が吹き込まれていく。レコが口にするたびに生き生きと存在を証明し、曲にぴったりと当てはまっていく感覚がこの歌詞で良かったんだと教えてくれた。
「歌詞はこれでおしまい……ふがっ!?」
「大丈夫ですかマスター」
「んああ、大丈夫大丈夫。ちょっと眠いだけだから」
アドレナリンの在庫が切れたようで途端に眠い。
思考も記憶も曖昧な中、レコの「歌いますよ」という声に慌ててレコーディングのボタンを押した。
『ある夏の日の早朝。
レースのカーテンからは雲一つない快晴が飛び込み、コエカオタクとしてこの上なくコエカ曲の似合う風景だと言わざるを得ない。
陽光は瞼を閉じるレコにもかかり、まるでMVの一幕のよう。』
『床にも付きそうな銀髪を夏風になびかせ、道路の縁石に登り、両手でバランスを取りながら進んでいた。
レコの入っていた段ボールの底に入っていたブーツを履いており、夏らしくない格好なのに強い日差しに汗一つかいていない。』
『向日葵のような笑顔を俺に向けて、食玩の棚の前でしゃがむ。表情は一転真剣になり、両手に一つずつ揺らしたり、重さを測ったり、吟味を始める。』
今日がまたやってくる。
笑うレコ、怒るレコ、驚くレコ、からかうレコ、真剣なレコ……見ることのできた彼女の全てを歌詞に起こした。
まるでホームビデオのように俺の視点でレコとの日常が描かれていく。
愛らしいコエカとしての彼女だけではなく、ポンコツアンドロイドとしての彼女についてもめいっぱい表現したつもりだ。だがそれでも伝わらない部分はある。俺の作曲者としての限界を、取りこぼしてしまった部分を彼女は拾い上げてくれる。
そんなことは教えていないのに。
曲が終わる。
RECをもう一度押して、レコーディングを終わらせた。
「やるじゃん」
「今私を褒めましたよね!?聞こえなかったんですけど、褒められた気がします!」
もう一度言えと急かすようにヘッドホンを耳から外して肩にかける。
「想像以上に上手くてびっくりした。教えた以上に俺の曲を理解してくれてて、寄り添ってくれてて、ただの青音レコじゃこうはならなかったって確信できるくらい良い出来だったよ。ありがとう」
「ふへっ!?こういうときは正直に言ってくれるんですね……その、こちらこそありがとうございます。マスターの歌を歌わせてくれて」
頬を赤らめながらも目を見て柔和に微笑む。
レコはふわりと腕を広げて俺に抱き着いた。
「お、おい」
「本当にありがとうございます。私に尽くさせてくれて」
晴れやかで、夏の朝露を思わせるような香り。その体躯の柔らかさに抗えずに顔を埋めて、白魚のような指が頭を撫でる。
「ご褒美ってやつです。私にできることはこれくらいしかないから」
まどろみの中まぶたがどんどん重くなって――彼女に体重を預けた。
「ぐへへ……私の前で眠ったのが運の尽きというやつです。さあ大人しく色んなえっちなことで尽くされて……………………」
まぶたにかかる俺の髪を指先で払い、ぎゅうっと抱きしめられる力が強くなる。それでも痛くない強さ、自動車を軽々持ち上げられるアンドロイドとは思えない優しさだった。
「おやすみなさい」
瞳を閉じた暗がりの最後にレコの言葉が届く。
ああ、おやすみ。
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