10曲目 青音レコの腕力はゴリラを越える
「家帰ってから開けるんだぞ」
「はあい」
購入品をいっぱいにつめたビニール袋を両腕に抱えながら、ソフビの入った箱を振ったり光に透かして見ている。
昨晩の色気のあるレコはどこへやら、ずっと子供っぽくて人間味が強い。
本当の彼女は一体どちらなのだろうか。
もし彼女が使命感だけで俺を求めているなら止めなければならない。
「見て下さいマスター!渋滞してますよ!!車が!!渋滞!!!」
興奮気味に赤信号に捕まった自動車の群れを指差す。
あー違うわこいつ。色気づいたガキなんだ。
英語の授業で『六』を英語発音するたびに振り返る中学生と何も変わらない。
「渋滞にいやらしさを覚える奴はこの世でお前だけだよ」
青音レコの爽やかで青春に引き戻してくれるようなイメージが次々破壊されていく。
勘弁してくれ、俺はレコの声を生かせるような歌を作りたいのにこのままだとコミカルでちょっとエッチな曲を作ってしまう。
「……いやその前に歌詞を考えないと」
昼下がりから時間が過ぎ、うだるような熱線は衰えて肌に汗をにじませる程度に収まる。夕方にもいかない曖昧な時間だからか来たとき以上に人通りは少ない。
渋滞は横断歩道を塞いでいた。
ここを通らなければ少し遠回りすることになり、できれば通り抜けしたいもののぎっちり詰まった自動車の群れの隙間を進む気にはなれない。
「どうします?自動車をどかしましょうか」
「どかす?」
「こう、持ち上げて」
彼女は自動車に向かい、塞がっている両手をすくい上げるように持ち上げる。
「車を?」
「はい」
「持ち上げる?」
「はい」
「いやいやいや、さしものレコと言えど車を持ち上げるなんて、」
俺に見せてくれた通り、レジ袋をぶら下げた両腕を車体の下に差し込み、フォークリフトよろしくあっさりと持ち上げてしまった。自動車が、鉄の塊が一メートル近く宙に浮いている。
「ストーップ!レコさんストーップ!降ろして!今すぐ車を降ろしてー!!」
◇
「車持ち上げるの禁止!人間ができないことするの禁止!」
「アンドロイドなのに人間らしくなれと!?じゃあ私ただのコスプレ女!」
全力で謝罪した後、迂回ルートを通る。その道は繁華街に差しかかるため視界には飲食店等が増えてきた。
「レコはこれからも出かけたいんだよな」
「もちろんです!もっとお出かけしたいです」
「アンドロイドなんて一機もいない人間だらけの世界に、だ。お前の思う倫理や道理が通用しない世界で人と一緒に暮らすには我慢しなくちゃいけないことが沢山あるんだよ」
「……私はマスターと一緒にいられるのであればそれでいいです」
「それは無理なんだよ。スーパーに行けば店員さんにレジ通してもらうし、いきなり子供が頭突きすることもあるし、俺以外と全く関わらず生きていくのは不可能なんだ。だからもっと人の世界に馴染まないといけない」
「それは命令ですか」
「命令じゃない。お願いでもない。レコが人の世界で生きていく上で必要な心構えを提案したんだ」
「よく、分かりません」
目を伏せて彼女は呟く。
分からないことはないだろう。『人は一人では生きていけない』という道徳に近い現実を飲み込めるかどうか、という話だ。
インターネットでは最早古典とも言うべき話であり、インターネットから情報を得るレコが知らない――分からないはずもない。
これは納得の問題だ。命令したって意味があるとは思えない。
「いつかきっと分かるときが来るよ」
繁華街には飲食店だけではなく、カラオケ店もある。よくあるチェーン店で、店構えを見る限りかなり小さい。
通り過ぎかけて――憂いを帯びたレコの横顔が視界に入る。彼女はこの人間だらけの世界で浮いているし、青音レコとして歌の実力もまだまだだ。歌の練習をして上手くなれば少しは気がまぎれるだろうか。
「ここ入ろう」
「カラオケですか。でも買い物帰りですよ」
「最近のカラオケは持ち込み可の店も多いから。このチェーンは大丈夫だったはず」
「持ち込みはできても放置してたら腐ってしまいます」
「缶詰ばっかなんだから問題ないよ。ほら行こ」
片方のレジ袋を取り上げ、空いた手を掴んで店の中に連れていく。これも命令と認識したのか、車も持ち上げられる剛腕で引き留めることはしなかった。
フリータイム二人ということにして部屋に向かう。アンドロイドに身分証明等できるはずなく、俺の学生料金より幾ばくか高い。
案内された部屋は狭く、二人か三人用らしい――適正人数とは言え足を延ばせない広さは少し窮屈だった。
大きな画面にアーティスト紹介が流れ、ドリンクバーで注いでおいたジュースが一杯テーブルに置かれている。
「何を歌うんですか?」
「俺は歌わないよ」
「はい?」
「レコが歌うんだよ。調教してほしいって言ってたし、もっとレコの歌声聞きたいし」
マイクとデンモクを手渡すと、困惑の色が窺えた。
「でも曲なんて知りませんよ」
「それもそうか。じゃあ色々聞いてみようよ」
ワイヤレスイヤホンの片方を自分の耳に付けて、もう片方を彼女の手のひらに乗せる。
くすりと笑って隣に座る彼女はこちらへ身を寄せた。柔らく冷たい二の腕が触れて背筋が自然と伸びる。
「なんで近づくんだよ。有線じゃないだろ」
「こっちの方が雰囲気出るじゃないですか。青春っぽいでしょ?」
確かにイヤホンを二人で聞くみたいなシチュエーションに憧れはあるけど!!
銀髪を耳に掛けていたずらっぽく白い歯を見せる。思わず息を呑んで、身体を半身分遠ざけた。彼女は少し悲しそうな顔をするもそれ以上詰めてくることはなかった。
いつも聞いている自作のセトリから一曲目をかける。
「これはどう?」
「私が歌ってないのに私の声が聞こえてきて気持ち悪いです」
「今に始まったことじゃないだろ」
アンドロイドにも『録音した声が自分の声に聞こえない』ってあるのか。
彼女が気に入ったと言っていた『ひよりみず』に近い、爽やかで晴れやかで歌詞は少しリアルテイストな曲をいくつか聞いて、
「どの曲が好きとかある?」
と聞く。レコは少し困ったように、
「好き、ですか?」
「この歌詞が良いなあとか、この曲調面白いなあとか、ちょっと耳に残るような感覚ない?」
「あっ、それだったらさっきの曲が好きです。歌詞が愉快で」
「これ?」
スマホの液晶を指差す。
指先が触れるのはパピパラPの『ぴーぷる』。
BPMはそこまで高くないテクノポップな曲調に人間の俗っぽい生活を歌った一曲。シニカルで真理っぽい歌詞が続くかと思えば、共感できるような悩みの吐露が続く。その音楽性に食らった者は少なくなく、かく言う俺も好きだ。
Youmoveの再生回数はそれこそ『ひよりみず』と同じくらいだったはず。
「もう一回聞いていいですか」
俺が付けていたイヤホンも貸して、聞き終わるのも待つ。
◇
「歌ってみます」
おぼつかない操作でデンモクに曲名を打ち込み、マイクを両手で握る。
「おお……」
言葉を漏らすが、彼女はちらともこちらを見ない。視線は歌詞と音程の表示される画面に。
青音レコという歌姫がダイナミックマイクを持つと様になるな。ライブ映像やイラストをいくつも思い出し、じんと感動するのも束の間、彼女は息を吸って――
――アウトロが終わる。画面は暗転して、点数を表示した。
いくつかの項目に点数が割り振られ合計百点満点中何点を取れたかのか。
彼女は震える指先でマイクを机の上に置いた。電源の切れていないマイクからはゴンと僅かな音を強く拾う。
「私、コエカ辞めます」
「大丈夫!まだ調教前だし!前歌った曲が上手くいったからって今回も上手くいくとは限らないだろ!?カラオケが上手い奴が歌が上手い奴とは限らないし!!」
必死の慰めも俯いたままの彼女には響かない。
ちらと画面を見る。
六十五点。
リズムや安定性には長けているものの、テクニックや音程でかなり点数を落としてしまっていた。
彼女の歌はやはり棒読み、というかほとんど朗読であった。お世辞にも上手いとは言い難い。
画面下の一言コメントも『歌詞は覚えられています。一度曲を聞いてみては?』という煽り様。
「ぐすんぐすん」
「大丈夫だって、これから見違えるような歌声になるはずだから」
「今は上手くないって言ってるようなものじゃないですか」
「ぐ……」
「じゃあマスターが歌ってください」
「なんでだよ」
深い青色の瞳。ぶっきらぼうにマイクを俺へ突き出し、
「そんなに言うってことは私より上手いってことですよね。証明してください。もし下手だったらめちゃくちゃ馬鹿にしてスッキリしたいです」
「全部つまびらかに言ったな」
電源の入りっぱなしのそれを貰い受ける。彼女は先よりずっとスムーズに同じ曲を入力して、画面には先に見たMVが流れる。
中高生時代は一人でカラオケに入り浸っていたけれど、大学生になってから節約節約の毎日でほとんど歌っていない。上手くいくか微妙だが、例え下手でもレコはやる気を出しそうだし。どちらに転んでも得だな。
息を吸う。ずっと聞いていた歌詞だから画面を追わずとも口が勝手に動いた――
――点数が表示される。
「もうスクラップにしてください」
ソファの上で体育座りして、顔を膝の間に埋める。
ずんと空気が重い。何を言ったところで逆効果な気がして、慌てるだけ慌てている。
九十三点。
各項目でまんべんなく高得点を取り、『プロレベル。今日中にどこかレーベルから声がかかるでしょう』一言コメントから格別の賞賛を賜わった。
上手かろうと下手かろうと機嫌が戻るという予想は大幅に外れ、三十点近い差をつけられたレコのメンタルはズタボロの様相を呈している。
「コエカ買ったってことは『歌は下手だけど曲は作りたい』ってことじゃないんですか!?」
「コエカPあるある『なんか歌が上手い』を発動してしまったようだな」
「まだ一曲も出してない癖にー!」
レコは顔を上げ、泣きべそかきながら声を荒げる。
「私必要ないじゃないですか。自分で歌ったらいいじゃないですか」
瞳から流れる涙を指で拭ってやって、
「アンドロイドも泣くんだな」
「ただの冷却水です」
漏れても大丈夫な液なのだろうかそれは。
「俺はレコに歌ってもらいたいからコエカPになったんだ。自分で歌ったんじゃ意味が無いんだ」
マイクの持ち手部分を彼女に向ける。
「もう少し頑張ろうよ。俺はレコの歌が聞きたいから」
瞳はオレンジ色に輝く。沈んだ表情から笑顔が咲き、
「はい。マスター」
俺の手ごとマイクを包んだ。
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