第124話 影の噂
「いやあ、ほんとに助かったよ」
結局、途中まで不在だったことに気付かれることなく無事に授業を終えることができたピルマンは、嬉しそうにアルマークを振り返った。
「でも遅かったじゃないか。心配したよ」
アルマークの言葉に、ウェンディとリルティも頷く。
「それがさ」
とピルマンは顔をしかめる。
「寮に戻ったら、カッシスさんが入口の大扉の修繕をしていたんだ。ここは今入れないから裏口に回ってくれって言われて。それで裏口に回ったら、今度はマイアさんの花壇の道具が積まれててさ。マイアさんに捕まって片付けを手伝わされて、気が付いたらあんな時間になっちゃったんだ」
「大変だったね」
マイアの人使いは荒い。アルマークは心から同情した。
「でも、宿題は持ってこられたんだろ?」
「おかげさまで」
ピルマンは得意げに紙の束を取り出す。
「このとおり、無事に持ってこられたよ」
「よかった」
ウェンディが微笑む。
「昼食は食べられたの?」
「いや、それがさ」
ピルマンは身を乗り出した。
「マイアさんが、手伝いのご褒美だって大きなパンをくれたんだよ。それをかじりながら帰ってこられたってわけ」
「良かったじゃないか」
「へへへ、まあね。アルマークたちのおかげで遅刻もごまかせたし、言うことなしさ」
ピルマンが鼻の下をこすったところで、アルマークはウェンディに伝えなければならない大事なことがあったのを思い出した。
「そうだ、ウェンディ」
「なあに?」
ウェンディが笑顔のままでアルマークを見る。
「あの――」
「アルマーク」
不意にアルマークの前に誰かが立った。顔を上げると、金髪のクラス委員だった。
「ちょっといいか」
「え?」
「二人だけで話をしたい。次の授業が始まる前に、いいか」
ウォリスはそう言って、廊下へと出るドアを指さす。
「ええと」
アルマークはウェンディとウォリスを交互に見た。
「今じゃないとだめな話なのかい」
「だから、そう言っている」
ウォリスは有無を言わせぬ口調で答えた。
「来てくれ」
「私はいいよ、アルマーク」
ウェンディが言った。
「ウォリス、大事な話なんでしょ?」
「ああ。悪いな、ウェンディ」
「ううん。話してきて。私の話はあとでいいよ」
「ごめん」
アルマークは立ち上がった。
「なんだい」
「廊下で話そう」
ウォリスは先に立って教室を出ていく。アルマークはその後に続いた。
「夏季休暇中のことだ」
周囲に人のいないことを確かめ、ウォリスはそう口火を切った。
「君とモーゲンは帰省せずに寮に残っていたな」
「うん」
アルマークは頷く。
「でもずっといたわけじゃないよ。途中で抜けているから」
「ウェンディの屋敷へ行ったという話だろう。それはいい」
ウォリスは、鋭い目でアルマークを見つめた。
「寮で、不審なものを見なかったか」
「不審なもの?」
アルマークはきょとんとする。
「たとえば?」
「以前、モーゲンが寮から校舎への道の途中で、奇妙な影を見たという話をしていたのを覚えているか」
「ああ、覚えているよ」
アルマークもはっきりと覚えている。
確かモーゲンは、森の入口でも影を見たと言っていた。
それは邪悪な小鬼ジャラノンの影だったのだろう。
事実、その後で一年生のエルドがジャラノンにさらわれるという事件が起きてしまった。
「たとえば、それに類するようなものだ」
ウォリスは言った。
「寮や校舎の周りで、そういうおかしなものは見なかったか」
「……見てないな」
アルマークは記憶をたどりながら、あいまいに首を振る。
「それ、今じゃないといけない話なのかい」
「そうだ」
「どうして?」
「影を見た生徒がいる。そういう噂が流れている」
「え?」
「下級生の間でだ。まだ大きな動揺は起きていないようだが」
ウォリスは腕を組む。彼がそういう姿勢をとると、アルマークは自分と彼との間にある見えない壁がさらに強固になったように感じた。
「その影が最近急に現れたものか、それとも夏季休暇中から存在していたものかで、事情は大きく変わってくるだろう」
「どうしてだい」
アルマークが尋ねると、ウォリスはわずかに顎を上げて彼を試すように見た。
「本当に分からなくて聞いているのか。それとも」
その口に、嘲るような笑みが浮かぶ。
「バカのふりをしているのか」
「おかしいな」
アルマークは肩をすくめた。
「次の試験は、冬期休暇の後だって聞いたよ」
「なに?」
「どうして僕は休み時間にこんな廊下で試験を受けているんだろう」
アルマークは笑みを浮かべてウォリスを見返した。
ウォリスは一瞬険しい顔をしたが、すぐに肩をすくめて腕組みを解いた。
「そうだな。僕は君の試験官ではない。それは確かなことだ」
そう言うと、再度周囲に目を走らせて誰もいないことを確かめる。
「夏季休暇中に、君やモーゲンも似たものを見たというのであれば、その影はこの島や学院に巣食う何かの可能性が高い。だが、君たちが二か月もの間、そんなものを見はしなかった、最近それが急に現れたというのなら――」
「いうのなら?」
「夏季休暇中には存在しなくて、今存在しているもの。それは何だ」
その答えに、アルマークもたどり着いていた。
「まさか君は」
アルマークは言った。
「その影は、生徒の誰かの仕業だと?」
「あくまで可能性の話だ」
ウォリスの表情は変わらなかった。
「ところで、答えをまだもらっていない。見たのか、見ていないのか」
「見ていないよ」
アルマークは答えた。
「僕も、モーゲンも。もしもモーゲンがそんな影を見ていたら、必ず僕に教えてくれるはずだからね」
「……そうか。分かった」
「だとしたら、どうするつもりなんだい」
「調べてみるさ。君たちと違って、僕は武術大会に出ないからな。クラス委員としてそれくらいのことはやらせてもらう」
なにせ、とウォリスは付け加えた。
「またジャラノンのような魔物が出たら、大変だろう?」
嘘だ。
ウォリスはそんなことを心配してはいない。
そう思ったが、口には出さなかった。
そのとき、予鈴が鳴った。
「ありがとう」
とウォリスは言った。
「ウェンディとの話の邪魔をしてしまったな」
それで、アルマークはまた大事な機会を逃したことを思い出した。
まいったな。
アルマークは頭を掻く。
もうそんなに猶予はない。次の授業が終わった瞬間に、ウェンディを誘わないと。
だが、教室へと戻っていくウォリスの背中を見たとき、アルマークはふと思い出した。
モーゲンが一番最初に寮から校舎への途中で見たと言っていた影。
そういえば、あれはジャラノンとは特徴が一致していなかった。
だとしたら、あのときモーゲンは何を見たのだろう。
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