第121話 それぞれの昼休み


 ウェンディをクレープ屋に誘う。

 隣の席同士なのだから、簡単なことだ。

 と、アルマークは思っていたものの。

 今日に限って、その話をするタイミングがなかった。


 もしもアルマークではなく、それがネルソンだったら、授業中に平気で放課後の話を持ち掛けて、ウェンディには困惑され、先生には注意されながらも、目的を果たせていたかもしれない。

 けれど、一途に真面目な生徒であるアルマークには、授業中に関係のない私語をするという発想はそもそもなかった。

 彼は今日も一生懸命に授業を受け、ウェンディにそっと話しかけるのは先生の話がどうしてもわからない時だけだった。

 そうこうしているうちに、午前の授業は終わってしまった。


 午前最後の授業を終えた三年一組担任教師のウェシンハスが教室を出ていくと、生徒たちの間には弛緩した空気が流れた。

 アルマークは教科書を鞄にしまい、ちらりとウェンディを見る。

 そうだ、食堂へ移動する前にクレープ屋の話をしてしまおう。

「ねえ、ウェン――」

 アルマークが隣席の少女にそう声を掛けようとした時だった。

「おい、アルマーク」

 急に大きな体に視界を遮られた。

 顔を上げると、トルクが立っていた。

「やあ、トルク」

 トルクの後ろには、デグとガレインもいる。

「どうしたんだい、三人で」

「昼飯を食った後で、ちょっと面貸せ」

 トルクは不機嫌そうに言った。

「武術のことで話がある」

「話? なんだい」

「だから、昼飯の後でって言ってるだろうが」

 トルクはアルマークの言葉にかぶせるように言った。

「人の話を聞かねえ野郎だ」

「今、ここでは話せないようなことかい」

 トルクは呆れたように肩をすくめる。

「こんなところでだらだら話してたら、昼飯を食いっぱぐれるだろうが」

「じゃあ一緒に食堂に行こうか。食べながら聞くよ」

「食堂で話してたら、ほかのクラスのやつに聞かれる」

 トルクは鼻を鳴らす。

「ああ、なるほど」

 武術大会で不利になると思っているのだ。負けず嫌いのトルクらしい発想だった。

「それがまずいんだね」

「ああ」

「分かったよ。じゃあ、食事の後で」

「武術場の裏の木のところに来い」

 そう言うと、トルクは身を翻した。デグとガレインが嬉しそうにその後に続く。

 トルクは一度振り返って念を押した。

「忘れるなよ」

「うん」

 トルクたちが去っていったときには、もう隣の席は空っぽになっていた。

 トルクと話している間に、ウェンディはほかの女子と一緒に食堂に行ってしまった後らしい。

 いつの間にか教室にはアルマークしか残っていない。

 と思ったら、まだ一人だけ目立たない男子生徒が残っていた。

「ピルマン、食堂に行かないのかい」

「ああ、うん」

 自分の鞄をあさっていたピルマンは、浮かない顔をしていた。

「実は、これから寮に帰ろうと思ってるんだ」

「えっ。具合でも悪いのかい」

「いや。忘れ物をしたんだよ」

 ピルマンはため息をついた。

「午後の授業に間に合うように、急いで取りに帰らないと。食堂でのんびりお昼を食べていたら、寮との往復が間に合わないからね」

 ピルマンは窓の外を恨めしそうに見やる。

「この学院を作った人に文句を言いたいよ。どうして寮と校舎をこんなに離して作ったんですかって」

「それは僕も前から思っていたよ」

 アルマークはピルマンに同情する。

「君の忘れ物、もし僕が持っているものなら分けてあげられるんだけど」

「ああ、貸してもらえるようなものなら、僕だってほかのクラスに聞きに回るさ」

 ピルマンは悲しそうな顔をした。

「でも僕が忘れたのは、宿題のレポートだからね。人に借りるわけにはいかない」

「宿題か。それは確かに貸せないな」

 アルマークは腕を組む。

「でも、昼食を食べないで大丈夫なのかい。午後の授業で倒れちゃわないかい」

「寮の部屋にお菓子のストックがあるからね。それで我慢するよ」

「お菓子……」

 その言葉で、アルマークは思いついた。

「そうだ、それなら放課後、僕たちと一緒にクレープを食べに行かないか。アルサラ麦を使った新しい食感のクレープなんだって、モーゲンが」

「ああ、それはモーゲンが好きそうな話だね」

 ピルマンは微笑む。

「そうだね、午後の授業が終わった後にまだノルクの街へ出る元気があったら、僕も行くよ」

「分かった。モーゲンに言っておくよ」

「うん」

 二人はそろって教室を出た。

 並んで階段を降り、食堂へ向かう渡り廊下の前で、ピルマンと別れる。

「じゃあ気を付けて」

「ああ。行ってくるよ」

 ピルマンが手を振って、寮への道を歩き出す。

 それを見送ってからアルマークは食堂へと向かった。

 もう渡り廊下に生徒の影はない。すっかり出遅れてしまった。


 案の定、食堂の席はほとんど埋まってしまっていた。

 アルマークはウェンディの姿をはるか向こうに見つけたものの、とてもではないが、混み合う生徒たちの間を縫って近づける状態ではなかった。

 そもそも、席が空いていない。

 結局、賑やかに食べている一年生たちの間に一つだけ席を見つけて、どうにか身体を押し込んだ。

「あ、この人見たことある」

「ほんとだ。一緒に瞑想やった人だ」

 一年生たちに指さされて、アルマークは苦笑いしながら食事をかきこむ。

 さっさと食べ終えてしまおう。

「どうして瞑想に来なくなったの?」

「三年生だから?」

 一年生たちの無邪気な質問に、アルマークはあいまいに頷く。

「ヴィルマリー先生に怒られたんだよ。三年生は混ざっちゃだめって」

「えー、かわいそう」

「僕もこの前、怒られた」

「私も」

「そうか。一年生も大変だね」

 そんなことを話していると。

「アルマークじゃないか。また僕たちに混ざりに来たのか」

「やあ、エルド」

 遠くから声を掛けられて、アルマークは微笑んだ。

「違うんだ。ちょっと来るのが遅れたら、もう席がここしか空いていなかった」

「なあんだ。またアルマークと一緒に授業を受けられるのかと思ったのに」

 エルドの隣でシシリーが残念そうな顔をする。

「私の霧の魔法、見せてあげたかった」

「霧の魔法、僕も練習を始めたよ」

 アルマークが言うと、エルドが得意げに右手の人差し指を立てる。

「僕は灯の魔法の練習を始めている」

「エルドはすごいんだよ。もう新しい魔法の練習を始めちゃったんだから」

 シシリーは自分のことのように鼻の穴を膨らませる。

「そうか、さすがエルドだな」

 アルマークは頷く。

「僕も頑張らないと」

「そうだぞ、アルマーク。一回一回の訓練を疎かにせず、常に全力で取り組むことだ。そうすることで、自分の魔力の質が掴めるようになる」

 それと同じ言葉を、アルマークは以前、魔術実践の授業中にイルミスの口から聞いたことがあった。

「うん、そうするよ」

 アルマークは神妙に頷く。

 一年生に囲まれて昼食を終えたころには、もうウェンディがどこにいるのかは分からなくなってしまっていた。



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