モーゲンとクレープ
第119話 クレープ屋の誘い
ノルク魔法学院の生徒たちにとって、お菓子は必需品だ。
もちろん、日持ちの利く焼き菓子は生徒たちが寮の自室にストックして夜のひそやかな楽しみにする大人気のお菓子だったけれど、校舎や寮の食堂ではなくノルクの街の路地で、買ってその場でかじりつくクリームたっぷりのクレープは、特に低学年の生徒たちにとっては何物にも代えがたい楽しみの一つだった。
さざ波通りには何軒か、生徒たちの足繫く通うクレープ屋がある。
食通をもって鳴る初等部三年二組のモーゲンは、もちろんそれらすべての店のほぼすべてのメニューを網羅している。
その日の気分と体調、天候、気温によってモーゲンはその日食べるクレープを決める。
そして店で実際に買う段になると、結局そのクレープだけでなく、最低二つは余計に食べてしまうのだった。
そんなモーゲンが、新しいクレープ屋がオープンすると聞きこんできたのは、毎朝の武術大会の練習にも徐々に慣れてきたある日のことだった。
「そのクレープっていうのが、ほかのお店のとは全然違うらしいんだよ」
朝の教室で、モーゲンはさっそくアルマークを捕まえて力説した。
「何が違うんだい」
食べ物に興味のないアルマークは、お義理程度に訊き返す。その話の相手は自分では不適当だろう、とモーゲンに申し訳ない気持ちもあった。
「ええと、あれかな、全然違うっていうからには」
一応、アルマークなりに自分で新しいクレープを予想してみた。
「中に入ってるものが変わってるのかな。たとえばスジウネの煮物とか」
「スジウネ」
スジウネは見た目も味も癖の強い野菜だ。モーゲンは絶句する。
「……どうしてそんな発想になるのか分からないよ」
スジウネのクレープの味を想像したモーゲンは、顔をしかめて舌を出す。
「中に入れる具材はどのお店もいろいろと工夫してるけどね。甘いのもしょっぱいのもある。でも違うんだよ、そのお店は」
「何も具材が入ってないってことかい」
「いやだよ、そんなハズレクレープ」
モーゲンはため息をつく。
「粉だよ、粉」
「粉?」
要領を得ない顔のアルマークに、モーゲンはふっくらとした頬をさらに膨らませる。
「アルマークにもわかるように説明するね」
「頼むよ」
「普通のクレープを作る時に使われてるのは、一般的なガライ小麦の小麦粉と牛乳と卵なんだけど」
「うん」
「そのお店のクレープは、アルサラ麦の粉を使ってるんだ」
「アルサラ麦?」
その単語は、アルマークも聞いたことがあった。
「アルサラ麦って、もっと北のほうで食べられてる麦じゃなかったかな。中原のフォレッタ王国のほうで」
「そうなんだ」
モーゲンは頷く。
「アルサラ麦は中原のフォレッタ王国とかウィルコール王国で主に食べられてる硬い麦なんだけど」
「うん」
「その粉で作ったクレープの皮は、食感がもっちもちで弾力があって絶品なんだって!」
「硬い小麦で作ると、もちもちになるのか」
アルマークは腕を組む。
「そういえば、ここに来る旅の途中、フォレッタで食べたレンゾっていう家庭料理がそんな食感だったよ。あれはクレープの皮よりもずっと厚かったけど」
「そう。さすがアルマーク、よく知ってるね」
モーゲンはイルミス先生よろしく、アルマークの知識を褒めた。
「このお店もそのレンゾからヒントを得たみたいなんだけどね。あれをもっと薄くしてクレープにできないかって」
「なるほど。それなら確かに」
アルマークは微笑んだ。
「普通のクレープよりも腹持ちがよさそうだね」
それを聞いたモーゲンはがっかりした顔をする。
「確かに腹持ちは大事だよ。うん、大事だけど」
「僕、何か変なことを言ったかい」
「ううん、いいんだ。それよりもアルマーク」
モーゲンはすぐに気を取り直した。
「確か今日はイルミス先生の補習、お休みだったよね」
「うん、そうなんだ。先生は武術大会の関係の会議があるんだって」
武術大会には国王をはじめとするガライ王国の重鎮たちが学院を訪れる。そのため、警備にあたる衛士たちだけでなく、教師たちにもそれ相応の役割が与えられる。
「そう、この時期の先生たちって結構忙しいんだ」
学院生活に関してはアルマークよりも二年長じているモーゲンは訳知り顔で頷くと、にこりと笑った。
「だから、今日の放課後一緒にそのクレープを食べに行こうよ」
「いいよ」
アルマークは答える。それから、少し心配になって尋ねた。
「でも、君は今夜クレープだけで足りるのかい。いくら皮がもっちりしているっていっても」
「え? アルマーク、まさか僕がそれを夕食の代わりにするとでも?」
「あ、違うのか」
「当り前じゃないか」
モーゲンは心外だと言うように首を振る。
「クレープだけで一晩過ごすだなんて、そんな無謀な真似を僕がするわけないじゃないか。考えただけでお腹がすくよ」
「じゃあ、おやつってことだね」
「もちろん。夕食はちゃんと寮で食べるよ」
それを聞いてアルマークも安心する。
「他に誰か誘うかい」
「トルクとレイラ以外なら誰でもいいよ」
モーゲンは自分の怖がっている貴族出身の生徒二人の名前を挙げる。
「まあ、二人とも誘ったって行かないと思うけど」
「そうだね」
アルマークは苦笑した。
「とりあえず、ネルソンとレイドーに声をかけてみようか」
「そうしよう」
モーゲンは頷いた。
「なんだそりゃ、めちゃくちゃうまそうじゃねえか!」
ネルソンの大きな声が教室中に響き渡り、モーゲンはこういう反応を求めていたんだと言いたげな、満足そうな顔をした。
「行くよ、行く行く。絶対行くよ。な、レイドー」
ネルソンに肩を抱かれたレイドーは、
「僕もかまわないけど」
と言って、意味ありげにアルマークを見る。
「でも誘うのは僕らだけでいいのかい」
「え?」
アルマークはきょとんとする。レイドーは爽やかに笑った。
「せっかくイルミス先生の補習が休みなんだろ? それならもっと他に誘いたい生徒がいるんじゃないかなって思ってね」
「もっと他に?」
アルマークはますますきょとんとする。レイドーの笑顔が大きくなる。
「ええと、誰だろう」
「ああ、そうだよな」
ネルソンが相変わらずの大きな声で言った。
「大勢いたほうが面白いもんな。バイヤーでも誘ってみっか」
「あ、いや、そういう意味じゃ」
「バイヤーは行かないって」
モーゲンが残念そうに言った。
「昨日、寮で誘ったんだけどね。この時期にしか見られない植物を見に森に行くからだめだって」
「そうか。それなら仕方ねえな」
ネルソンはぽりぽりと頭をかいて、教室の反対側で話している女子たちにちらりと目を向ける。
「じゃあ、ノリシュたちでも誘ってみるか……?」
その言葉にレイドーが「いいね」と反応する。
「ああ、そうか。女子を誘うっていう手もあるのか」
アルマークは微笑んだ。
「それなら僕はウェンディを誘いたいな」
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