第106話 点火

 


 魔術実践場を出ると、もう暗くなっていた。

 夏が終わり、日が短くなっているのが分かる。

 寮への道を急ごうとして、アルマークは自分と同じように薄暗い道を歩いてくる一人の人影に気付いた。

「レイラ」

 アルマークが声をかけると、歩いてきたレイラはあからさまに顔をしかめた。

「よく会うわね」

 皮肉めいた口調で言う。

「いちいち声をかけてくれなくてもいいのに」

 向かう場所は一緒なので、そうは言っても結局並んで歩くことになる。

「イルミス先生の補習を受けてたんだ」

 アルマークは言う。

「霧の魔法が使えたよ」

 魔法が使えた嬉しさを誰かに話したかったアルマークは、それがレイラでもお構いなしにそう言った。

「そう」

 アルマークは、レイラはきっと興味無さそうに答えるのだろうと思っていたが、意外にもアルマークの目をまっすぐに見返してきた。

「よかったわね」

 思いがけず、素直にそう言ってくれた。

「ありがとう」

 アルマークも素直に礼を言う。

 レイラは前に向き直り、足早に歩きながら言った。

「あなたが毎日瞑想の訓練をしていたことくらい知ってるもの」

 その口許が少しだけ綻んでいた。

「あれだけやれば、霧の魔法くらいは使えるようになるでしょ」

 いつになく優しいレイラの口調に、アルマークは戸惑ったが、すぐに続いた言葉を聞いて苦笑した。

「そうやって時間外に補習でやってくれている分には、私に迷惑はかからないから」

「そうだね」

 アルマークは頷く。

「でも、まだまだだけどね」

 言いながら右手をレイラに見せる。まだ皮膚がふやけてしまったままだ。

「手がこんなにびしょびしょになっちゃったよ」

 レイラは前を向いたまま、目だけちらりと動かして彼の手を見た。

「あなた、手から直接霧を出すイメージをしてるでしょ」

「え、うん。先生もそうしろって」

「私は、手のひらの少し上の空間から出すイメージをしている」

 レイラは言った。

「一旦、自分の身体から魔力を切り離す形になるから、ずっと集中し続ける必要がない。だから集中が途切れない」

 あくまで私の好みだけどね、と付け加える。

「先生の言うことはもちろん正しいけど、慣れてきたら自分に合うイメージの方法を探すことね。出来るようになった魔法だからって疎かにせず、常に研究すること。それが上達の近道」

「なるほど」

 アルマークは素直に頷く。

「すごく参考になるよ。ありがとう」

 アルマークにお礼を言われても、レイラは別に気にした風でもない。

「いつまでも魔術実践の授業でぽつんと瞑想されてると、こっちも気が散るのよ」

 そう言われて、アルマークはまた苦笑いする。

「レイラは、今日は武術の練習かい」

「え?」

 レイラは驚いたように声をあげ、アルマークの顔を横目で見た。

「どうして」

「だって、レイラが歩いてきたほうには武術場があるから。違ったかな」

「……違わないけど」

「武術大会の練習? さすが、やるときはやるんだね」

 そう言われて、レイラの顔に初めて赤みがさした。

「出るからには、無様な姿は晒したくないだけよ」

 ぶっきらぼうにそう言い放つ。

「あなたは武術のほうは得意みたいだけど」

「うん」

 アルマークは頷く。

「霧の魔法のコツを教えてくれたお礼に、僕も一つだけ」

 その言葉に、レイラがまたちらりと目だけでアルマークを見る。

「レイラ、君は構えの時、もう少し意識して半身になったほうがいい。休暇前の授業で何回かウェンディに負けたのは、動いてるうちにいつの間にか相手に正対してしまっていたからだよ」

 レイラは今度ははっきりとアルマークの顔を見た。

「あなた、授業中はいつも、ずっと離れたところで他の子と練習してたじゃない」

「遠くからでも、少し見れば分かるよ」

「分からないわ。あんなにごちゃごちゃと他の子も入り乱れてる中で。普通は分からない」

 レイラは首を振る。艶のある長い髪が揺れた。

「あなたはまだここに来て数ヵ月なのに、いろんなことが見え過ぎてる」

 レイラは、嫌悪と羨望の入り交じったような複雑な表情でアルマークを見ていた。

「どこまで見てるの。どこまで見えるの、あなたには」

「どこまでって……」

 アルマークが言いよどむ。

 レイラはしばらくアルマークの顔をじっと見ていたが、ようやく、もういいわ、と言って前に向き直った。

「……武術大会、同じチームよね」

「うん。相手は3組だ」

「私、この魔法学院で武術大会なんてやるのは時間の無駄だし、できれば出たくないと今でも思ってるけど」

 レイラは言葉を切り、燃えるような瞳でアルマークを見た。

 強い口調で言う。

「負けるのは、もっと嫌」

「うん」

 アルマークは頷く。

「私は負けないから、あなたもネルソンたちを勝たせなさい」

 そう言って、レイラは前をきっと見据える。

「目の前で相手が喜ぶ姿なんて絶対に見たくないから」

「わかった」

「約束よ」

「うん」

 アルマークはもう一度頷く。

 向こうにぼんやりと寮の灯りが見えてきた。

「ありがとう。僕も武術大会、やる気が出てきた」

 それを聞いて、レイラが声を出して笑った。

 アルマークは驚いて彼女の方を見る。

「やる気なんて他人に出してもらうものじゃない。自分で出すものよ」

 言っていることは厳しかったが、どこか楽しげだった。

 魔法の練習が第一。

 そもそも同い年の素人の学生相手に、武術で負けることなどない。

 そう考えていたアルマークだったが、レイラの燃えるような瞳に見つめられ、自分の中に火が点るのを感じていた。

 3組に、チームとして勝とう。

 素直にそう思った。



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