第33話 庭園

「おかげで昨日は眠れなかったぜ……」

 ネルソンはげっそりした様子で言った。

「怖い思いをしたんだな」

 とアルマークが慰めると、ネルソンは眉を吊り上げた。

「はぁ? 何言ってんだよアルマーク」

「え?」

「怖い思いなんかしてねーよ! むしろ不思議でしょうがないんだよ。声は確かにしてたのに、なんで誰もいないんだよ!」

「あ、そっちか」

「気になって眠れねぇよ!」

 言いながらネルソンは朝飯をかきこんだ。食欲もあるようだ。問題なさそうだな、とアルマークは思った。



「えー、じゃあ本当に声がしたんだ」

 とウェンディが目を丸くする。

 寮から校舎に向かって登校する途中。

 アルマークはたまたま一緒になったウェンディとの間で、昨夜のネルソンの話になっていた。

「うん、ネルソンの話ではね。確かにあの人気のない庭園で、ぼそぼそと喋る誰かの声を聞いたらしい」

「その声が、あの迷路の奥から聞こえてきてたってこと?」

「どうもそうみたいだね」

「それで、迷路の奥に進んでいったら、ボルーク卿の石像のところに出た、と」

「ああ」

 アルマークは頷く。

「ふーん……」

 ウェンディは思案顔でうつむいた。

「不思議な話だね。ちょっと、興味あるかも」

 アルマークをちらりと見る。

「私も今夜行ってみようかな」

「えっ、君も昨日、ネルソンに危ないって言ってたじゃないか」

「確かに言ったけど……ネルソンまで声を聞いたっていうなら話は別。気になるじゃない。アルマークは気にならないの?」

「そりゃならないことはないけど……」

 アルマークが言い淀むと、ウェンディは笑顔を見せる。

「もし万が一危ないことがあっても、武術がものすごく強い男の子と一緒だったら安心なんだけどな。ね、アルマーク」

 アルマークも反論を試みる。

「でも幽霊とかの話になると武術より魔術の出番じゃないかなぁ。その男の子、魔術の方はからきしらしいよ」

「今はまだ……の話でしょ。その男の子、きっと誰にも負けないくらいすごい魔術師になると思うよ。それに、魔術なら好奇心の強い女の子が割と得意みたい」

 そう言ってウェンディは悪戯っぽく笑った。



 その夜、夕食後。

 アルマークは、ネルソン、ウェンディと一緒に寮の外、庭園に続く小道にいた。

 モーゲンはネルソンの話を聞いて、絶対に夜の庭園には近付かないという決意を新たにしたようだったし、リルティに至ってはその話が出そうな気配がしただけで姿を消していた。

 ランプを持って出ると、誰かに見咎められたときに面倒なので、三人ともごく自然な格好で、何も持たずばらばらに寮を出た。

 こういう時、魔術師というのは便利なものだとつくづくアルマークは思う。ウェンディが左手の人差し指の上に炎を出現させたかと思うと、その炎はウェンディの指先を離れて三人の周りをふわふわと漂い始めた。

「灯の術かと思ったら、鬼火の術か。さすがだなウェンディ」

 とネルソン。ウェンディは、これなら両手が使えるでしょ、と涼しい顔で言う。

 三人は鬼火の灯を頼りに庭園へと歩く。

「昨日もこのくらいの時間だったんだよな」

 とアルマークがネルソンに確認する。

 ネルソンは、ああ、と頷いて

「夕食のあとすぐ出たからな。間違いないぜ」

 と答える。

 しばらく歩くと、雑木林が人の手の加わった植え込みに、足元が土から石畳へと変化する。庭園に入ったのだ。

 アルマークは夜にほとんど庭園に来たことがなかったので、先日リルティと一緒に入った森のような暗さを覚悟していたのだが、庭園は意外にもそれなりに明るかった。

 森と違い月明かりがちゃんと地面にまで届くし、何よりも所々に設置されたランプの灯の存在が大きい。金属製のランプの中では魔法の灯が煌々と灯り、周囲を照らしている。

「……明るいね」

 アルマークの言葉に、ネルソンが「だろ?」と応じる。

「全然幽霊だの魔物だの出てきそうな雰囲気じゃないだろ」

「そうかなぁ……確かに夜にしては明るいけど」

 ウェンディは硬い表情だ。

「灯りが強いと、影も濃くなるもの」

 そう言いながら、これだけランプの灯がある中でも鬼火を引っ込めようとはしない。

 アルマークはネルソンと並んで歩いていたが、隙間をあけてウェンディに真ん中を歩くよう促す。ウェンディは、うん、と頷いて素直に二人の間に入る。

「ボルーク卿の迷路は向こうだ」

 ネルソンが迷いなく先の一点を指差す。

「ネルソンってやっぱり男の子だね。すごいな。よく一人で来れたね」

 ウェンディが二人の間を歩きながらそう言うと、ネルソンはまんざらでもない様子で、まぁな、などと答えている。

 別にネルソンが誉められることが面白くないわけではないのだが、アルマークは何故か、僕だって怖くないぜ、などと幼稚なことを言いたくなってしまう。さすがに子供じみているので口には出さなかったが、なんともいえないもやもやが残る。


 やがて、壁のような植え込みが見えてきた。

 アルマークたちの背よりも高いその植え込みの途中に人一人通れるくらいの切れ目があり、そこから中に入れるようになっている。

 ボルーク卿の迷路の入り口だ。

「ここが入り口だ。……今日は、まだ聞こえないな」

 ネルソンが首を捻った。その時、三人は同時に、はっと身を固くした。

 聞こえる。

 不明瞭な小さな声。

 何を言っているかは分からないが、確かに人が喋っている声だ。

「……中からだね」

 ウェンディはこわばった表情のまま、迷路の入り口を見やった。

「ああ」

 とネルソンが頷く。

「……アルマーク?」

 ウェンディがアルマークに不審そうに声をかけた。アルマークが背後を振り返っていたからだ。

「どうしたの?」

「いや」

 アルマークは前に向き直った。

「風が吹いてるね」

「え? そう?」

「風?」

 ウェンディとネルソンが不思議そうに尋ね返す。

「うん。風だ。さっきまでなかった」

 アルマークはもう一度、ちらりと後ろを振り返った後、迷路の入り口を見た。

「よし。行こうか」


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