第32話 ボルーク卿
ある日のこと。
授業の合間の休憩時間に、モーゲンがアルマークにこんなことを聞いてきた。
「アルマーク、庭園のボルーク卿の石像の話、知ってる?」
「ボルーク卿?」
アルマークは顔をしかめた。
「ボルーク卿……って誰だっけ。聞いたことあるようなないような」
「あれ? 授業で習ったでしょ……去年の話だっけ。アルマークがまだ学院に来る前だったかな」
考え込むモーゲン。アルマークは、庭園ねぇ、と呟く。
「あの庭園、ちゃんと見てないけどたくさん石像があった気がするよ」
「うん、たくさんあるんだけどね。ボルーク卿の石像は、ほらあの迷路の植え込みの中の」
「ああ……」
アルマークは頷いた。
学院の正門を入ったところから校舎まで続く広大な庭園は、たくさんのお抱えの庭師たちによって整備されている。
初日にアルマークがジードと歩いた庭園だ。庭園は木々の影に隠れ、途切れたりしながら、なんと寮のすぐ近くまで続いている。
寮から街へ出るときは、校舎の方へ行くよりもこの庭園の中を通った方が近道なので利用する学生も多い。
その中央部分は、大人の背丈くらいの植え込みが左右対称に複雑な模様を描いており、その間をたどる小道はさながら迷路のようになっている。
そしてその迷路を抜けた先に、確かにローブをまとった学者か魔術師、といった趣の石像が一体置かれていた。
この庭園はかつてこの辺りがノルク島を治める領主の館の敷地であった名残りだという。
そういえば、とアルマークは思い出した。
かつての領主の名前が確か、ボルーク卿という名前だった。
「思い出したよ。この島は今ではガライ王の直轄地だけど、それを王に寄進したのが」
「そう。ボルーク卿さ」
モーゲンは得意気に頷いた。
「やっぱりアルマークも聞いてたんじゃないか」
「ごめんごめん。とっさに出てこなかった」
アルマークはモーゲンに謝りながら、心の中で反省した。知識を詰め込みすぎて、まだ頭のなかできれいに整理できていない。これじゃ覚えたとも理解したとも言えない。
「で、そのボルーク卿がどうしたって?」
アルマークの問いに、モーゲンは急に声を潜めて、真剣な表情をつくって見せた。
「ここだけの話だよ……」
「もったいぶるなぁ」
やや呆れ顔のアルマーク。
モーゲンは、いやいや、と首を振る。
「茶化しちゃダメだよ。真面目な話なんだ」
「わかったわかった。で?」
「ボルーク卿の石像がね」
「うん」
「夜になると、喋るんだって」
モーゲンは、どうだ、と言わんばかりにアルマークの顔を見る。アルマークとしては、なんとも答えようがない。
「そうなんだ」
そのアルマークの反応に、モーゲンは思い切り不満そうな顔を見せる。
「えーっ、アルマークもっと驚いて怖がってよ」
「いや、そう言われても……」
アルマークは頭を掻く。
「これって、怪談話みたいなものかい」
「そうに決まってるだろ!」
モーゲンが大きな声を出したせいで、「どうしたどうした」「なになに」と言いながら、ネルソンやウェンディ、リルティたちが集まってくる。
「どうしたの、モーゲン。何の話してるの?」
尋ねてくるウェンディに、モーゲンは
「ちょうど良かった。みんなも聞いてくれよ! アルマークってば全然張り合いがないんだから」
と答え、またアルマークの方に向き直る。
「いいかい、想像してみてよ。夜中、人気のない真っ暗の庭園で、ぼそぼそと誰かの喋る声がする。アルマーク、君はその声を聞いて、誰が喋ってるんだろう、と不思議に思いながら庭園のなかを歩く。どうも声は迷路の奥から聞こえてくるようだ。ただでさえ迷いやすい迷路、そのうえに夜の闇だ。苦労してあちこち迷いながら、君は徐々に声に近付いていく。そして、迷路を抜け、声の主にたどり着いた!と君が思った瞬間……」
モーゲンは言葉を切って、ぐっとためを作ってから言葉を続ける。
「そこには誰もいない。ただ、ボルーク卿の石像だけが静かにたたずんでいるんだ……」
「おー」
とネルソンが声をあげ、ウェンディがパチパチと拍手する。リルティはモーゲンの話の途中で両手で耳を塞いで離れていってしまった。
「まるで自分の目で見てきたような言い方だけど……」
アルマークは言った。
「モーゲンの体験談なのかい」
「何言ってるんだよ」
モーゲンはさも心外だ、という顔をする。
「僕にそんな勇気があるわけないだろ。1組のやつから聞いたのさ」
「なんだよ、人から聞いた話かよ」
ネルソンが呆れた声を出す。
「モーゲンの話かと思ったぜ。じゃあ石像が喋るのを聞いた訳じゃないのか」
「何で僕が一人でそんな怖い目に遭わなきゃならないのさ」
「偉そうに言うなよ。……でもその話、気になるなぁ」
ネルソンの目がキラキラ輝いている。
ネルソンは、とても気のいい、裏表のない飾らない性格の少年だが、ほかのクラスメイトに比べて子供っぽい面を多分に残している。
モーゲンの怪談じみた話に彼の少年心がくすぐられているのが、ありありと分かる。
「なぁ、みんなで今夜ボルーク卿を見に行ってみようぜ」
「嫌だ」
モーゲンが即答した。言い出しっぺの割に身も蓋もない断り方だ。
「そんな怖いところに好き好んで行く人の気が知れないよ」
「なんだよ、お前が言い出したんだろ? つまらないやつだな。アルマークとウェンディは行くだろ?」
「いや、別にそんなに興味は……」
「私も……」
アルマークとウェンディが立て続けに断ると、ネルソンはがっくりと肩を落とした。
「ウェンディは仕方ないとして……アルマーク、お前ならこの男のロマン、分かってくれると思ったのにな」
「悪いな、ネルソン」
アルマークは謝る。正直、今は怪談話よりも日々の訓練だ。ネルソンには悪いが、瞑想の時間を無駄にしたくはない。
「わかったよ。しょうがない。俺一人で行って、声の正体暴いてくるよ」
「えっ、危ないよ」
ネルソンの言葉にウェンディが慌てて止める。
「大丈夫だって。夜の森ならともかく、庭園だぜ?ちょっと先に行けば正門があって守衛のジードさんたちが詰めてるんだ。危ないことなんかないよ」
ネルソンは自信満々だ。
「さっそく今夜行ってくるぜ。ま、声の正体が何なのか、楽しみに待っててくれよ」
アルマークがウェンディを見ると、ウェンディもアルマークを見て諦め顔で首を振った。
翌朝、朝食の席で会うと、ネルソンの顔は土気色をしていた。
「ネルソン、すごく顔色が悪いぞ。大丈夫か?」
アルマークが声をかけると、ネルソンは充血した目でアルマークを見た。
「アルマーク……モーゲンの話の通りだった」
「え?」
「迷路の奥から声がして……行ってみたら、ボルーク卿の石像だけしかなかった。誰もいなかったんだ……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます