第34話 迷路の奥

 迷路に足を踏み入れると、左右から迫る植え込みのせいで足元が全く見えなくなる。ウェンディは手を軽く振って、鬼火を3人の頭上に浮遊させた。魔法の炎で、3人の足元がくっきりと照らされる。

「聞こえるな」

 ネルソンが小声で言う。アルマークは無言で頷く。

 何を言っているのかは全く分からないが、確かにぼそぼそと小さな声がする。その声は遠くから聞こえるようでもあり、近くから聞こえるようでもあり。ただ、方向としてはどうもこの迷路の中から聞こえてくるようではある。

「くそ、もうちょっとで聞き取れそうなんだけどな」

 ネルソンが舌打ちした。

「うん。耳の遠いおばあちゃんになった気分」

 とウェンディ。確かに、とアルマークは思った。母音がいくつか断片的に聞き取れるのだが、そしてどうも意味のない発音ではなく、一繋がりの言葉になっているようなのだが、声の距離が安定せず、しかも、なぜか言葉の周囲にざわざわという余計な雑音が混じり、意味を伴って耳に入ってこない。耳の遠い老人には音がこんな風に聞こえるのだろうか、とアルマークも考えた。

 それにしてもネルソンは大したやつだ、とアルマークは感心する。ぶつぶつと声に毒づきながらも、全く歩を緩めず、

「次を右だ」

「そこの角を左」

 とまるで歌うように淀みなく指示を出す。この迷路は結構複雑だった気がするが。

「すごいな、ネルソン。道が全部頭に入ってるのか」

 アルマークが聞くと、ネルソンはどうということもなさげに肩をすくめ、

「一年の時にここで毎日かくれんぼしてたからな。自然に覚えちまったよ。別にボルーク卿のところじゃなくたって、この迷路の中ならどこにでも行けるぜ」

 と答える。

「男子はこの迷路好きだもんね」

 とウェンディも頷く。やはり校内のことに関しては、もう二年以上もここで暮らしている彼らに一日の長がある。

 アルマークは頭上の鬼火を見た。魔法の炎は風の影響など受けないのか、まるで無風の屋内のようにきれいな形を保ったまま3人の足元を照らし続けている。なんでもないように見えて、これを全てウェンディがコントロールしているのだ。すごい技術だ、と内心舌を巻く。

 それにしても気になるのは、風だ。

 アルマークは思った。この迷路に入るときから、微かな風が吹いているのをずっと感じている。

 庭園の中央にあるこの迷路。地形から判断すると、もしかして。

「そこを右だ」

 ネルソンの声でアルマークは考えを中断した。心なしか、声が近くなっている気がする。

「もうすぐゴールだぜ」

「すごい、一度も道を間違えてない」

 とウェンディ。

「声も近くなってるな」

 アルマークは言いながら、耳を澄ます。

 ざわわ、ざわわ……し、た、……ざわわ……のが、……で……、ざわわ……

 もどかしい。あと少し、聞こえそうで聞こえない。

「そこの切れ目を左だ」

 ネルソンが植え込みの切れ目を指差す。指示通りにそこを曲がると、ぱっと視界が開けた。

 たどり着いたのは迷路の中心部分。四方を植え込みに囲まれた小さな広場だ。その中央に、ローブをまとった物言わぬ老人が立っている。かつてのノルク島の領主、ボルーク卿の石像だ。

「声が……!」

 ウェンディが小さな悲鳴をあげた。無理もない。さっきまで断続的に聞こえていた声が、この広場に入ったとたん急速に遠ざかっていくのを3人は感じた。

「昨日と一緒だ! 声が逃げちまう」

 ネルソンが言いながら、石像の裏手に走っていく。

「くそ、誰もいない!」

「そっちの出口は?」

 とウェンディ。広場に通じている道は、3人が今来た道と、石像の背後のもう一本の道だけだ。

「誰もいない。逃げたのか?」

 ネルソンの悔しそうな声がする。

 アルマークは、声の主を探す二人を見ながら、ずっと気になっていた違和感の正体に気付いた。

「……風だ」

 アルマークは呟いて、足元を見る。鬼火に照らされた足元に、アルマークは背後から吹くごくわずかな風をずっと感じていた。しかし、さっきまで一方に向かって吹いていた風が、この広場で拡散するように四方に広がって消えた。

 つまり。

「ウェンディ、ネルソン!」

 アルマークは叫んだ。二人がぎょっとしたように振り返る。

「風を……風を集めてくれ!」

「風を……?」

「二人ならできるだろ? この広場から流れ出ていく風を呼び戻すんだ!」

 ネルソンが合点のいかない顔をするが、すぐにウェンディが声をあげた。

「ネルソン! 風曲げの術!」

「え? あ、お、おう」

 ウェンディは素早かった。ごめん暗くなるよ、と言いざま、指を振って鬼火を消すと、両手を大きく広げて風曲げの術を発動する。

 風曲げの術。自分で風を吹かせる風の術とは違い、元から吹いている風の向きを変える術だ。

「うへ、習いたての術じゃん。うまくできっかな」

 言いながらネルソンもウェンディに倣う。

 さすがは小さな天才たちだ。アルマークは、二人の魔術で、吹き抜けようとした風が広場に再び集まってくるのを感じた。

「声が!」

 ウェンディが驚きの声をあげる。

「声が聞こえる!」

「ほんとだ!」

 ネルソンも叫んだ。急速に遠ざかっていったはずの声がまた聞こえ始める。

「ネルソンはそのまま風をこっちに吹かせてて。私は反対から風を吹かせて、声をここに集める」

 ウェンディはネルソンに素早く指示すると、体の向きを変え、大きく手を振る。二つの風が広場で混じり合い、声が今までにないほど明瞭に耳に届いた。

『それでね、私思ったの。このままここにいてもお腹すくだけだし、いったん寮に帰ろうって。そしたら、リルティったらね……』

 3人は同時に顔を見合わせた。誰かの声に似ているどころの話じゃない。声の主を3人ともよく知っていた。

「……ノリシュ」

 ウェンディが呟いた。

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