第30話 焼き菓子

 自室で瞑想をしていると、ぐう、と腹が鳴った。

 もちろん今日は夕食は食べられなかった。

 しかし、昔は夕食どころか一食も食べられない日も珍しくなかった。

 アルマークの部隊が母隊から切り離されて、まる二日間泥水だけをすすりながら行軍したこともあった。

 だが、人の体というものは怠惰にできているんだな、とアルマークは思った。辛いことにはちっとも慣れないのに、楽なことにはどんどん体が順応する。今日だって、朝も昼もちゃんと食べている。なのに夕食を一食抜いただけで、もう空腹で集中力が途切れそうになっているのだ。

 これじゃ訓練にならないな、と心の中で舌打ちする。確かに魔術師が、空腹だから魔法が使えません、では話にならないが、今は少しでも質の高い訓練がしたい。

 モーゲンにお菓子でも売ってもらおうか、とアルマークは考えた。モーゲンは休日のたびに街に繰り出し、少ないお小遣いをやりくりして大量のお菓子を買い込んでいるのだ。ただでくれ、と言うのは図々しいが、ちゃんとお金を払うと言えば売ってくれないこともないだろう。

 そうと決めたら時間がもったいない。善は急げだ。アルマークが小遣いのコインを持って立ち上がったタイミングで、こんこん、とドアがノックされた。

 ちょうどよくモーゲンが訪ねてきてくれたかと思ってドアを開けると、ドアの前にはウェンディが立っていた。

「あれ、ウェンディ?」

 意外な来客にアルマークは驚く。いつもの見慣れたローブ姿と違い、就寝前だからなのか、柔らかい生地のゆったりとした服を着ているウェンディに、アルマークは何故だかどぎまぎしてしまい、目のやり場に困る。

 そんなアルマークの気持ちを知ってか知らずか、ウェンディは

「今日、リルティと一緒に遅くに帰ってきたって聞いたから……もしかして夕食食べてないのかと思って。こんなものしかないんだけど……」

 と言いながら、何かを包んだ布を差し出してくる。

 アルマークがお礼を言いながら受け取ってそっと開いてみると、小さな焼き菓子がいくつも入っていた。

「えっ、こんなに。悪いよ」

「この間、街に行ったときに買いすぎちゃって。私だけじゃ食べきれないと思ってたところなの。アルマークに食べてもらえれば助かるなーって」

 ウェンディはそう言い、笑顔のままでアルマークから少し距離をとる。もう返そうとしても受け取りません、という意思表示だ。

「そういうことなら……」

 とアルマークは受け取った。おそらく、買いすぎたというのは気を使わせないための嘘だろうということはアルマークにも分かったが、そこまで言ってもらってむげに断ることはできない。

「ありがとう。ウェンディにはいつも助けてもらってばかりだ」

「それは私の台詞。あ、この星型のやつがおいしいよ」

 ウェンディはアルマークの手元を覗き込んで焼き菓子の一つを指差したあとで、

「瞑想の邪魔しちゃ悪いよね。じゃあまた明日ね」

 と言って帰っていった。一応彼女が角を曲がるまで、と思って見送っていると、ウェンディは角を曲がり際にもう一度振り向いてアルマークに小さく手を振り、「頑張ってね!」と小声で言ってくれた。

 ウェンディが去ったあと、ドアを閉めたアルマークが焼き菓子を一つ口に放り込み、こういう菓子は意外と腹に溜まるから三つくらいにしておかないと眠くなるな、などと考えていると、またドアがノックされた。

 今度こそモーゲンか、と出てみると、モーゲンとはまるきり正反対の華奢な体。今度はリルティだった。

 リルティは驚いた顔のアルマークに、

「今日はありがとう。夕食抜かせちゃったから、これ」

 とやっと聞こえるほどの小さな声で言いながら、布袋に入った焼き菓子をアルマークの手に押し付けてきた。

 アルマークが何か言おうとする前に、

「星型のがおいしいから。じゃあね」

 と言い残し、逃げるように去っていった。

 アルマークは部屋に戻り、星型の焼き菓子二つを見比べながら、しばらくはモーゲンのお菓子を売ってもらう必要はなさそうだな、と考えた。


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