第29話 ハンカチ

 校舎を過ぎ、森に一歩足を踏み入れると周囲の雰囲気が一変した。

 月明かりは木々に遮られ、気温も心なしか下がったように感じる。

 ざわざわ、と絶え間なく木々の揺れる音がする。

 二人は、リルティが見当をつけた場所へ急ぐ。彼女にとっては勝手知ったる道だ。

 幸い、森に入って比較的すぐの辺りだった。

 リルティは今日の放課後、ここに、ほかの女子と一緒に次の治癒術の実習で使う野草を取りに来て、意外に草のツルが丈夫だったのでポケットから折り畳みナイフを取り出してツルを切った。おそらくその時に落としたのではないか、という。

「よし、手分けして探そう。ハンカチの色は?」

 アルマークが尋ねると、リルティは「白」と即答した。

 リルティはアルマークに自分のランプを手渡してくる。

「アルマークはこれを使って」

「え、リルティは」

 と言う暇もなく、リルティの左手に灯の魔法が灯った。初めて魔術実践の授業で見たときに比べて遥かに素早くスムーズに炎が出せるようになっている。しかも、森の暗さに合わせて大きさを微調整している。

 あせってはいけない、とはイルミス先生にも何度も言われていることで、アルマーク自身重々承知してはいるのだが、こういうことがあるたびに、胸がうずくようにあせりを感じる。

 僕は本当に魔法が使えるようになるのか……?

 しばらく二人は無言で周囲の地面を照らしてまわった。白いハンカチなら目立つはずだが、なかなか見付からない。

「本当にこの辺なのかい」

「うん、ほら、あそこの高巻き黒爪草を採ったから……ツタが伸びてるでしょ」

 リルティが魔法の灯を自分の手から少し上に浮遊させる。それに合わせて視界が上方に開け、木に絡み付くように生えている高巻き黒爪草が見えた。

「わかった」

 再び、捜索作業に入る二人。黙々とハンカチを探すが、やはり白いハンカチは見当たらない。

 ぐすっ、と鼻をすする音がした。アルマークが見ると、リルティが涙ぐんでいる。

「どうしよう……見付からなかったらどうしよう……」

 たかがハンカチ、ということはできない。リルティにとっては本当に大事なものなのだ。こんなに臆病な子が、どうしようもなくなってランプだけ持って夜道に飛び出さざるを得ないほどに。

「大丈夫。見付かるよ」

 アルマークは確信を込めてリルティに言った。内心、見付からないかもな、という気持ちはもちろんあるが、決してそれをリルティには見せない。

「見付かるよ、絶対」

 根気強くそう言い続けた。

 リルティはアルマークから離れるのを怖がるので、二人とはいえそうあまり広い範囲は探せない。

「僕はこっちを……リルティ、そっちを見て」

「アルマーク、そこの茂み、もう見てくれた?」

 二人でそんなことを言い合いながら作業を続ける。

 暗闇のなかをどれくらい探し続けただろうか。

「あった!!」

 リルティが声をあげた。

「あったのか!?」

 アルマークが駆け寄る。リルティが「うん!」と言いながら嬉しそうに掲げたそのハンカチは……お世辞にも「白」とは言えなかった。よくて「灰色」、なんなら「黒」……

 そういえば、リルティは毎晩握りしめて眠っているって言ってたな……アルマークは思い出した。もとの色は白だったんだろうが……そりゃ見付からないわけだ……。

 なんにせよ、見付かって良かった。アルマークはかつて白いハンカチであった布切れを握りしめて涙ぐんでいるリルティを促し、帰路に着いた。

 その時、遠くで、ぴー、と笛のような音がした。

 アルマークはその瞬間、無意識に全身が総毛立つのを感じた。

 その音が合図だったかのように、森を一陣の生ぬるい風が吹き抜ける。ざわざわざわ、と森が鳴る。

 いつ聞いても嫌な音だ。アルマークは顔をしかめた。

「……魔物の時間だ。早く帰ろう」

「え?」

 リルティが強ばった顔を彼に向ける。

「なに? 何の話? 怖いこと言わないで」

「知らないのか? 森であの音がしたら……」

 言いながら、それは北の森での常識だったことを思い出す。中原から南にかけて、森であの音がしたことは……あったか?

 いや、今はそんなことを考えている時ではない。

 背後で森の雰囲気が一変するのを感じながら、アルマークはリルティの手を引き、森を出て寮へ急いだ。

 途中、寮の方からランプを持った一団がやって来るのに出くわした。

「あれ? おーい、誰だー」

 とアルマークたちに呼び掛ける声。あの声は……

「ネルソン! おーい、僕だ。アルマークだ。リルティも一緒だ」

「アルマークとリルティ? いたぞ、みんなー」

 ランプの一団がどやどやと近付いてくる。みな、同じクラスの連中だ。

 聞けば、リルティが夜遅くなっても帰ってこないので、ルームメイトのノリシュが心配して、みんなで探しに来たところだったらしい。

 アルマークは一人部屋なので、誰も彼がいないことに気づいていなかった。

「よかった、リルティ。心配したんだよ」

 ノリシュがリルティに抱きつき、リルティも、心配かけてごめんね、と謝っている。

 よかった、これで一件落着だ。

 アルマークがほっと息をつくと、ネルソンが脇腹を肘でつついてきた。

「アルマーク、二人でどこ行ってたんだよ。あやしいなー」

「いや……」

 と答えようとして、正直に答えればリルティの名誉に関わることに気付いた。

「僕は瞑想の訓練が長引いただけさ。リルティとはたまたまそこで一緒になったんだ」

 慌ててそんな言い訳をする。

 リルティも、学校に忘れ物したから取りに行ったけど、結局自分の勘違いだった、というような苦しい言い訳をしているのが聞こえる。

 モーゲンが「僕なら絶対取りになんか行かないよ」と言ってみんなが笑い、うまく話がそれた形になった。いいぞ、モーゲン。アルマークは心の中で呟く。これならどうにかごまかせそうだ。

「リルティ」

 ほかの人の注意が離れたタイミングを見計らい、そう声をかけ、ランプを返そうとすると、リルティはアルマークがびっくりするほど体を寄せて来て、はにかみながら小さな声で、

「ありがとうアルマーク。ハンカチのことは内緒だよ」

 と言った。

 寮に戻ると、アルマークはリルティと二人でマイアさんからこってり絞られた。

 聞けば、ネルソンやノリシュたちのグループのほかに、ウェンディやレイラ、ウォリス、それにトルクたちまでもリルティの捜索をしてくれていたそうだ。

 なんだかんだ言っても、誰かの危機にはみんなが協力しあう。確かにいいクラスじゃないか。

 ウェンディの言うとおりだ。アルマークは思った。



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