第7話 寮
学院長室を出た後、衛士が堪えかねたように笑い出した。
「初めて見たよ、学院長があんなに慌てたところ」
彼はしばらく笑ってから、不意に真顔に戻りアルマークの精悍な顔をじっと見て、
「君はたいした男だなぁ」
と言った。
「僕の名前はジード。君を寮に案内するように学院長から言われた。改めてよろしく」
「アルマークです。よろしくお願いします」
「あ…そうだ、剣は返しておくよ。重くてかなわない」
「どうも」
ジードが両手で差し出した剣をアルマークは片手で受け取った。
校舎内の事務局で編入の手続きを終え、二人は外に出た。
「寮は向こうにあるんだ」
ジードは南側に伸びる石畳の道を指差した。
「でもそこに行く前に君にはやらなきゃいけないことがある」
「えっ、なんですか」
驚いて聞き返すアルマークをジードは痛ましい目で見やった。
「かわいそうに。苦しい旅のせいで頭のいい君でも分からなくなっちまったんだな。今の君からは魚を日陰に二日間寝かせたときのような臭いがするぜ」
近くの井戸の水で体をきれいに洗ったアルマークは再びぼろ布のような服を身につけた。
「寮についたらこの学校の制服を持ってくるよ。さすがにその服じゃ授業に出られない」
「すいません」
アルマークが頭を下げると、ジードは困ったように頭をかいた。
「北の人間はみんな野蛮で粗野な連中ばかりだって話を聞いてたけど…そんなことはないんだな」
「……殺し合いをするのは特別な人間ばかりではないと……僕は思います」
アルマークが小さな声で言ったが、ジードには届かなかった。
「さて、寮までは結構歩くよ。……そうだな」
ジードは自分のマントをアルマークの肩に掛けた。
「結構いいマントなんだ。とりあえずそれを着て歩いてくれ」
「ありがとう」
アルマークは微笑んだ。穏やかな笑顔だったが、猛禽類のようにも見えた。
「……君は傭兵をやっていたんだよね」
ジードの問いにアルマークは頷く。ジードは首を捻った。
「でも君からは何かこう…もっと高貴な雰囲気を感じるんだよな」
しかしアルマークはその言葉に、つまらなそうに肩をすくめただけだった。
しばらく二人は無言で歩いた。
「……寮まではもう少し歩くよ。少し休むかい?」
ジードは隣を歩く十一歳の少年を気遣ってそう声を掛けたが、アルマークが何でそんなことを聞くのかという顔で首を振ったのを見て思い出した。
「ああ、そうか。君はその足で大陸の北の果てからここまで歩いてきたんだっけな」
日も大分傾いてきている。やがて寮が見えてきた。無表情で歩いていたアルマークが目を丸くする。
「驚いたかい?この寮はガライ王国の大貴族の別荘の設計図をもとに作られてるんだ」
さもありなん。四階建てのその豪奢な建物のなかで学院の初等部の生徒約150人が生活しているのだという。
しかしそれだけの人数が生活していると聞いても、全く窮屈さを感じさせない。むしろ、もっと入れるべきではないのかとさえ思える。
「僕も…ここで?」
「もちろんそうさ。初等部の生徒はみんなここで暮らしているんだから」
アルマークはもう一度改めて建物を見上げた。
「まずは管理人に挨拶してこよう。ちょっとうるさいけどいい人だから」
「あ、はい」
ジードの後ろについてアルマークは玄関を入った。
外観は豪奢だったが、内装は意外に質素だ。学生の寮であることがわかる。
廊下をずいぶん奥に進んだところに、『管理人室』という部屋があった。
「おっ、ここ、ここ」
ジードはドアを軽くノックした。
「マイアさん、いるかい?」
すると、ドアの向こうからしゃがれた声が早口で返ってきた。
「ノックなんかしなくたっていつだってドアは開いてるよ。余計な手間かけてないでさっさと入ってきな」
ジードは手振りでアルマークを促し自分の横に立たせると、ドアを押し開けた。
「……?」
アルマークは一瞬キョトンとした。
部屋の中には誰もいなかったのだ。
部屋の真ん中にあるテーブルの上にはやりかけの編み物がおかれ、その奥の安楽椅子がキイキイ揺れている。
今の今まで誰かがいたはずなのに、誰の姿もない。
……さすがノルク魔法学院。寮の管理人でさえ姿消しの魔法が使えるのか……。
アルマークがそう感心したときだった。
「あんたどこ見てるんだい。あたしゃここだよ」
彼の真下から声がした。
「えっ?」
その小さな老婆は、さらに地面に体がつかんばかりに腰を曲げて立っていた。子供のアルマークよりもさらに頭二つ分以上小さい。
「やぁ、マイアさん。今日から新しくお世話になるアルマーク君だ」
「よろしくお願いします」
アルマークは頭を下げた。
マイアはそれに構わず、アルマークを頭から足の先までジロリと一瞥すると、とことこと安楽椅子に歩いていって、座り直すと編み物を再開した。
「話は聞いたよ。初等部を卒業するまではここで生活してもらうからね。ママのミルクが恋しくなったからって泣くんじゃないよ。食事は朝と夜の二回。時間までに食堂に下りてこなかったら片付けちまうからね。昼は校舎の食堂で済ませてもらうよ。食事のことで文句があったらコック長のグインに言っとくれ。あんた見たところそんなマント羽織っていいところの坊っちゃんみたいだけど、部屋が狭いとかベッドが固いとか下らないことで文句言ってくるんじゃないよ。ここでは150人の生徒が生活してるんだから、それを考えてうまく生活しとくれよ。あんたの部屋は三階の角の314号室だからね」
「あれ、341って聞いたけど」
ジードが口を挟む。マイアは面倒臭そうに首を振った。
「ああ、あんたがそう言うならきっとそうなんだろう。ほら、そこにあるのが部屋の鍵だよ。……他に何か聞きたいことは?」
「……いえ、今のところは特に」
アルマークがそう言うとマイアは小さく頷いて、もう二人がそこにいないかのように編み物に没頭し始めた。
「さ、行こう、アルマーク。……それじゃ、マイアさん」
ジードはアルマークの背中を押して部屋の外に出た。
「……僕のこと、いいとこの坊っちゃんだって」
アルマークは笑いながら言った。このマントの下を見たらあの人はなんて捲し立てるだろう。
「言ったろ、結構いいマントだって。部屋は三階だ。行こう」
ジードに先導され、複雑な彫刻の入った手摺のついた階段を上る。東側の一番端の部屋が、アルマークの部屋だった。
通された部屋は一人用で、確かに広くはないが、狭いというほどではない。東側の壁の窓の下には大きなベッドがあり、北の壁際には学習用の机も置いてある。
外はもうすっかり暗くなっていた。ジードが天井から吊るされたランプに灯を入れる。
「他の部屋は二人用なんだけど……君はとりあえず初等部の残り一年間は一人部屋で過ごしてもらうことになるよ」
「はい。……いい部屋ですね」
アルマークはそう言って、わずかな荷物を床に置き、長剣を壁に立て掛けた。
「君の荷物はほとんどその剣一本か…全く、貧しい農家の子供だってもう少し荷物を持ってくるよ」
ジードは苦笑した。
「これだけで十分でしたから」
言いながらアルマークはマントを脱いでジードに返した。
「助かりました」
「ん、ああ……」
受け取りながら、ジードは彼の服をもう一度まじまじと見た。
「明日からの当面の服はまた後で持ってくるよ。とりあえずその服はもう脱いだ方がいいな。ベッドに臭いも移ってしまう」
「そうですね。今日は下着で寝よう」
素直に頷いて、アルマークは上着を脱いだ。
逞しい裸身が露出する。
その子ども離れした精悍な体つきにジードは目を見張った。
昼間、井戸で体を洗わせた時は見ていなかったが、ランプの灯りの下とはいえこうして見ると惚れ惚れするような筋肉だ。
そして苦しい旅を物語る幾つもの傷跡がその体に刻み込まれている。
この子は想像を絶する旅をしてきたのだ、と改めてジードは悟った。それはたった十一歳の子供が成功させるには余りに過酷な旅だったのだ。
「ジードさん?」
アルマークの声でジードは我に返った。
「あ……ごめん。それじゃこれから夕食を持ってくるからそのあとでゆっくり休むといい。着替えはその時一緒に持ってくるから」
「はい」
アルマークは頷いた。
その時、寮の下からたくさんの賑やかな声が聞こえてきた。窓から下を見下ろすと、初等部の生徒たちが帰ってくるところだった。制服なのだろう、皆揃いのローブを着ている。
「もうすぐ夕食だから、みんな帰ってきたんだ。明日から一緒の学校に通う仲間だよ」
「一緒の仲間…そうですね」
とりあえず頷きはしたが、アルマークにはその実感はわかなかった。
学校からふざけ合いながら賑やかに帰ってくるたくさんの子どもたち。それは旅の間、何度か目にし、そしてただすれ違ってきた風景の一つだった。
しかし明日から、自分があの子供達の一員になるというのだ。不思議な気分だった。
「それは僕が……たどり着いたからだ」
アルマークは小さく呟いた。
長い長い苦難の果てに。
たくさんの悲しみと絶望の果てに。
新鮮な驚きと不思議な経験の果てに。
ようやくたどり着いたのだ。
新しいスタート地点の、このノルク魔法学院に。
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