第一章

第6話 入学試験

 ノルク魔法学院は想像以上に広大な学園だった。


 島の人によれば、決して小さくはないこのノルク島の三分の一以上が学院の敷地だという。


 アルマークは仰天した。長い旅のなかでも、巨大な城や館は見たが、単なる一つの施設でこれほどの規模のものは聞いたことがない。


 はやる心を抑えて正門の場所を尋ねると、思ったより近くにあったので胸を撫で下ろした。



 もはやそれ自体が一つの神殿かと見紛うくらいの大きさを持つ巨大な正門の前に立ち、そこにいた若い衛士に案内を請う。


 しかし、学長のもとを訪ねてきた、というと衛士はまるで取り合ってくれず、めんどくさそうに追い払いにかかった。


 アルマークが、ここの学生になることを学院長のヨーログ師に認められた、と必死に言い募ると、学院長の名前を聞き、衛士はしばらく思案した。そして、アルマークの乞食のような風体を何度も見直したあとで、半信半疑ながらも学長のもとへ連れていってくれることを承諾した。


 よく整備された庭園では、そこかしこで庭師が忙しそうに働いている。その中を二人で黙ってずいぶんと歩いた頃、視界を遮っていた木々が突然なくなり、目の前に巨大な建物が姿を現した。


「これがノルク魔法学院の本校舎だよ。初等部の生徒はここで三年間学ぶことになる」


 と衛士は言った。その説明がなければ、大貴族の邸宅か王族の別荘と言われても信じてしまいそうな、豪奢な建物だった。


 アルマークにはいまだかつて縁のなかった類いの建物だ。


「……すごいですね」


 アルマークは素直な感想をのべた。


「ああ。君も入れればいいんだが」


 衛士はそう言いながら、建物のなかに入っていく。


「ここに学院長の執務室もあるんだ」


 アルマークも彼に続いて建物に入る。


「ここが学院長室だ」


 とある大きな扉の前で立ち止まると、衛士は言い、アルマークに右手を差し出した。


 アルマークが訝しげな顔をすると、彼は、剣、と言った。


「悪いが預からせてもらうよ」


 ああ、はい、と言ってアルマークは背中に背負っていた剣を下ろし、片手で衛士に手渡した。


 衛士は両手で受け取ってその剣の重さに目を見張った。それからそれを持ったまま、扉をノックした。


「学院長、入学希望という子供が参っております」


 すると部屋の中から、入りたまえ、と返事があった。


「失礼します」


 衛士が先に入り、アルマークはそのあとに続いた。


 意外に質素な室内の奥に、大人何人がかりで運びいれたか分からないような大きな机があった。机の横にはこれも大きな棚があって、中には分厚い書物や様々な見たことのない品々が並んでいる。


「こちらの少年です」


 という衛士の声にアルマークは、机の正面に向き直った。


 机の奥の椅子に、一人の老人が座っていた。


 穏やかな顔をした白髪の老人だ。長い髪の毛同様顎髭がずいぶん長く伸びている。


 いつか旅の魔術師が言っていた知恵の精霊というのが姿を見せたらこんな感じなのだろう、とアルマークは思った。


「私がノルク魔法学院の学院長のヨーログだ。…君は?」


 とその老人が言った。


 深い暖かみのある声だ。この人は信用できる。アルマークはそう思った。


「はい…あの、正門で…」


 衛士がしどろもどろに説明を始める。


 彼は乞食の少年をこんなところまで連れてきてしまったことにようやく後悔し始めているようだった。


「アルマークといいます、学院長先生」


 アルマークは衛士に構わずそう言った。


 ヨーログが彼の顔をまじまじと見る。


「アルマーク…」


 一度口のなかで反芻する。


「北の大地で戦う黒狼騎兵団の副官、"影の牙“レイズの息子、アルマークです」


 アルマークは付け足した。衛士がポカンと彼を見ている。


「……黒狼……レイズ……」


 ヨーログは口のなかでもごもごと呟いた。それから何かに思い当たったように目を見開いた。


「まさか、レイズ殿の御子息のアルマークかっ!!」


「はい。父は昔あなたを助けたことがある、と言っていました」


 アルマークは答えた。


 ヨーログは興奮して机から身を乗り出した。


「ジード、下がりなさい」


 衛士が慌てて後ろに下がる。


「アルマーク君、もっとこちらへ来て顔をよく見せてくれぬか」


「はい」


 アルマークは机の前に立った。ヨーログは彼の顔をまじまじと眺めた。


「ふうむ」


 やがて、ぎしりと背もたれをきしませてヨーログは息を吐いた。


「君があの黒狼騎兵団のレイズ殿の息子だというのならば、確かにアルマーク!しかし君はもう十一歳ではないのか?なぜここに来るのが二年も遅れたのだ?それにその格好はどうした?レイズ殿はどうした?一緒に来たのではないのか?」


「学院長先生」


 アルマークはにっこり笑った。


「一度にそんなに聞かれても答えられません」


「お……そうであったな。申し訳ない」


 ヨーログは首を振った。そのあとで、アルマークは学院長の質問に一つずつ答えていった。


 すべて聞き終わると、ヨーログは再び深く息を吐いた。


「なんと、黒狼騎兵団までバスティアに…北の戦乱はいまだ収まらぬか…」


「はい、むしろ大きくなっていると、父が」


「悲しいことよ。来るべき『淵の君』との戦には勇猛な北の民の力が必要不可欠だというのに…」


「『淵の君』?」


「あぁ…いや、こちらの話だ。だが、君がアルマーク君本人であることは分かった。成長したね、立派に」


「ありがとうございます」


「もう一つだけ質問してもいいだろうか」


「はい、何なりと」


「北での従軍経験もあるのなら、一度くらいはその名を聞いたことがあるだろう。ギルフィン魔道傭兵団」


「……はい、あります。北の数ある傭兵団の中でも異色の傭兵団」


「"死の灰の術士“グルダーの成功後、南の魔術師たちは自らの力を実戦で試すためにこぞって北に渡った。その多くが残念なことに我が学院の卒業者たちだ。彼らの大半が北の寒さと実戦の厳しさで姿を消したが、中にはギルフィンのように成功した者もいる。成功した者のほとんどは、もともと北の出身者だ。彼らは最初から北での戦いに我々の魔術を行使する目的で学びに来ていたのだ。しかし我々も南の進んだ魔術のこれ以上の悪用を許す気はない」


「何をおっしゃりたいんです?」


「入学試験のようなものだと思ってくれて構わない。……そのためにここ数年は北からの生徒の入学は特別な場合を除き許可していないのだ。そこで君に聞こう。君はここで魔法を学び、そのあとどうしようと思っているのかね?ギルフィンのように北へ帰って力を行使するのかね?」


 言いながら、ヨーログはアルマークの目を覗き込んだ。


 いい加減な答えをすればすぐ見透かされてしまうのが、アルマークにも分かった。


「僕も、北に帰ります」


 アルマークの答えにヨーログは目を見開いた。しかしアルマークは言葉を続けた。


「旅の途中、中原や南の平和な国々を見ました。その豊かな生活に触れました。……なぜ、北だけが。僕はそれが知りたい。そして北の国々に平和を、人々には豊かな暮らしを。それを実現するために僕は北に帰ります」


 ヨーログは全てを見透かすような目でアルマークの顔をじっと見た。


 そして、気の遠くなるほど長い一瞬のあと、彼は笑顔で言った。


「ノルク魔法学院へようこそ、アルマーク」




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