第1話 ド近眼ちびの凄腕魔法使い


「眼鏡のないキミが、こんなにお荷物になるとは思わなかったよ」

「先に言っただろ? 最大の敵がこれだ」


 ゴトゴトと丘を下る荷車の上で仰向けになり、サリヴァンはぼやけた視界で空を見て言った。ここまで両手の数ほど転んだサリヴァンの体は、あちこち痛みを訴えている。


 よろよろと山道から近づいてきたサリヴァンたちを保護してくれたのは、気のいい農夫の老人だった。二人のやり取りにも豪快に笑い、「災難だったな」と荷台にある干した果物を薦めてくれる。言葉が通じるのが嬉しいな、とサリヴァンは残してきた人さらいどもを思った。


 老人は、横幅だけでもサリヴァン三人分、身長は、サリヴァンはずいぶん小柄なほうとはいえ倍と半分ほどあり、人種の差を感じずにはいられない。


 フェルヴィン人は世界的にみても大柄な人種である。

 サリヴァンはそれをよく知っていたが、実際にその国にやってくると、小人になったような気分だった。荷車はもちろん、牽引するロバらしき動物も、知っているものと同じ大きさをしていないのだ。きっと人里に入れば、その感覚はより顕著なものとなるのだろう。



 その昔、神々の戦争で二十の残骸に砕かれたとされる海。すべての生き物が一度故郷を喪い、第一海層から順に世界を廻って、それぞれ根付いていった、という伝説がある。

 そのころはまだ存在していた長命な人種の生き残りの多くが、旅の途中で故郷を見つけられず、最下層のこの地で国を興した。

 そんな彼らが先祖だというフェルヴィン人は、現代では失われた彼らの面影を残し、長く尖った耳と、見上げるほどの巨躯と怪力、そして二百年ほどという、他より少し長い寿命を持っている。

 最下層は、魔界と異名をとる通り秘境といっていい立地で、険しい自然の中にあった。

 空はつねに厚い雲がかかり、太陽の位置は低い。険しい山々がそびえ、しかもしれは火山である。この国の人々は青空を知らないといわれていて、それは事実だった。

 そんな世界で生きている人々が逞しくないわけがないよな、とサリヴァンはよく知っているフェルヴィン人の面影と、目の前にいる老人を重ねて思う。

 老人は、遭難しかけていた外国人の子供たちに優しく、そしてこの国の良いところを紹介するのに必死だった。


「坊主たち、覚えておいてくれよ。山はこの国では遠くから眺めるもんなんだ。わしらの自慢の種はな、ぜーんぶが街ン中にあるんだからな」


 フェルヴィン皇国は、首都であるミルグースから沿岸沿いに街を構え、栄えていった。

 この国で幸いだったのは、海が穏やかなことと、山々の多くが鉱山であったことだ。おかげで、鉱物資源と工芸の国として国外には名高い。


「飯は、魚なら、まあ食えるらしい。野菜はやめとけ。おれはもちろん好きだが、外国人はみんな食えたもんじゃないらしいからな。しかし、いい時期にこの国に来たもんだ」

「へえ、いい時期って? 」

「お祭りさ。この国にはな、皇帝陛下のもとに五人の御子がいらっしゃるんだ。上から、皇太子のグウィン殿下、紅一点のヴェロニカ殿下、王の右腕のケヴィン殿下、外交官のヒューゴ殿下に、一番下のアルヴィン殿下、とな。これが全員、『語り部』を持っている。『語り部』って分かるか? 」

「この国の王位継承権だっけ? 」

「そう! この国の王は、語り部っちゅう魔人が選ぶんだ。古代、始祖の魔女っちゅうのが創ったとされる『意志ある魔法』の魔人の生き残りだぞ! まるで人間のような姿で、とても作り物とは思えない。それが建国から三千五百年、ずうっと同じ王族のもとで、忠誠を誓ってるっちゅうのは、この世界広しといえどもフェルヴィンだけさ! 」

「ふうん。ボクが知ってる魔人ってやつは、もっとポンコツだったけど。だろ、サリー」


 サリヴァンは、近所の骨董屋の店先で客引きを担っている魔人を思い出した。一見少女のように見えるように整えられた彼女は、よく見ると陶器人形の質感をしているとわかる。

『いらっしゃいませ。わたしはネリー。ここは魔法の古道具屋ハーゲンです』という文句を芝居がかった身振りを交えて繰り返すだけのもので、世間では彼女であっても高級品である。


「そうだな。あの魔人は、後ろ姿ならまだしも、正面に立ったらとても人間には見えない」

「そりゃあ、後世で始祖の魔女の魔人を真似したバッタモンだろ! うちの国のは、みんな美しいもんだよ。今代に六体も魔人が揃ってるってぇのは、なんとも幸福なことさ。並んだ姿が、そりゃあもう素晴らしいんだ。おそろいの黒い詰襟でな、みぃーんな、あの空のような黒い巻き毛に、あの太陽の光に似た金色の瞳をしてるんだよ。この国の異名を知ってるかい? 『黄昏の国』ってんだ! この国の誇る文化は、この黄昏の空の色をしている。この国の王族が、あの小さな手で物語を紡がれると思うと、ああいいもんだなァと思うね」

「お祭りは明日なのかい? 」

「ああそう、そうさ! それがな、皇太子であるグウィン殿下の結婚祝いと、建国三千五百年のお祝いなんだよ。それが明日なのさ。いやあ、ほんとうにいい時に来てくれたってもんさぁ」


 裸足の足をぶらぶらさせながら、ジジは「ふうん」と相槌を打った。

「サリー、お祭りだってさ」

「見に行きたいならいいぞ」

「ありがと。いやあ、この国、楽しめそうだな」


 帽子の下で、ジジが金色の瞳を細めてニッと笑う。大きなつばのある帽子のせいで、背の高い親切な老人には、ジジの笑顔は見えていないだろう。とても珍しい、裏表のない笑顔だ。人間嫌いのジジにしては、この老人をいたく気に入ったらしい。

(帰りが遅くなるかもな。まあ、いいだろ。杖職人としての仕事も、今週で今期最後の注文が終わったし。師匠もそれで、おれをこの国にやったんだろうなぁ)


 ●


「船着き場は東の海岸沿いにある商業地区だよ。丘の上にある王城が見えるだろう? あちらが西だから、覚えておくといい」

「ありがとう。助かります」

「いいや。いい旅を」


 親切な老人は、首都の中央部まで二人を送り届けて道案内までしてくれた。この国に観光船と呼べるものは聞いたことがないという。貿易目的の商船に交渉して、乗せてもらうのがいいだろうといういうことだった。宿と呼べるものも、東の商業地区に多く固まっているらしい。


 男たちの財布から拝借した路銀には、いくらか余裕がある。

 ずいぶん遠くからやってきたようだったので、多様な通貨をそれぞれ持っていた。そのうちフェルヴィンの通貨だけを拝借し、残りは探せば見つかるように納屋の中に置いてきたのだから、けして追剥というわけではない。


 時刻は、ほんとうの黄昏時に近づいていた。

 首都には十字に走るように広い道があり、東西の道は海岸線に沿って、三日月の内側のカーヴを描きながら通っている。二人は教えられたとおり西に見える王城を背に街道を東に折れて、商業地区と呼ばれる庶民の台所へと足を踏み入れた。


 サリヴァンの暮らす魔法使いの国にある店もまた、首都の下町に存在する。

『銀蛇』という、世界で唯一魔法の杖を作ることができる店で、従業員は師アイリーンとサリヴァンのふたりきりだ。このふたりで、魔法使いが必ず七歳までにもらう魔法の杖を、製造、販売している。下町は日暮れになっても活気のある、国内有数の眠らない街だった。

 ミルグースの商業地区は、そんな故郷にすこし似た賑やかさを持っていた。

 なかでもサリヴァンの目を引いたのは、街のあちこちにかかっている、繊細な透かし彫りの金属で覆われたランタンだ。形は様々で、置き型も大小あれば、軒に吊るすもの、壁に取り付けるもの、わざと光を絞って、地面に模様を描く娯楽用と、数えきれない種類だった。そんな多様な種類があるのに、伝統的な文様の数々が、街の景観に調和をもたらしていた。


 魔法の杖というものは、特別な金属で作られている。装飾具の形にしたものを身に着け、魔力でもって自分の手に馴染む道具に形を変えて使うのだ。

 だから彫金や溶接の技術は、サリヴァンの興味の種のひとつであった。


(だめだめ。今はあとだ)

 欲望にかられる足を制御し、二人は足早に船着き場へとたどり着いた。


 船着き場といっても、漁船が並ぶ海岸線の港からは少し離れた内陸にある。

 そこは、国を出入りするための船……げいせんだけが停泊する船着き場で、整地された平野に、屋根のある二階建てほどの高さの建物が等間隔に、鏡合わせで並んでいる。建物には開閉式の屋根があり、窓から光が漏れるところからは、必ずそのドッグ部分から飛び出した、円錐状をした頭が見えていた。

 飛鯨船は、下層の海から上層の海へと浮上するときには水上を進むが、上層の海から下層の海へと下降するさいは、プロペラとガスで空を飛ぶ。この国は世界の最下層であり、下へと向かう道は無いので、飛鯨船を内陸に停泊しても、まったく問題がないのだろう。


「船着き場の近くに、泊まれるところがあるんだろ? 」

「この国唯一の、外国人向けの宿ね。……とりあえず、明かりがついてるところに行ってみるかい? 」


 船着き場は奥に行くにしたがって、大きな船が停泊しているようだった。いちばん手前の明かりがついた建物には、小型と中型の中間にあたる、七メートルほどの長さの船が止まっているのが見える。

 他よりもすこし丸顔の頭と黒塗りのボディを見て、サリヴァンの中に、疑問と納得が同時に湧きあがった。


「これ、ケトー号だ」

「知り合いの船ってわけ? 」


 ジジが、驚愕よりも怪訝な顔で、サリヴァンを見上げる。


「知り合いどころか十二歳まで同居してた仲だ。ほら、話には聞いてるだろ? 師匠の子供のこと。そいつの船だよ」

「ああ、ヒースっていったっけ。船乗りになったっていう、その人? 」

「そうだ。二個上の幼馴染み」

「なるほど。その人がここにいるとしたら、ボクらの帰る足は、最初から用意されたってわけだね」

「師匠のことだから、そうかもしれないし、違うかもしれない。ああ、煮炊きのにおいがする。……こっちだな」


 サリヴァンは開け放たれたドックの中に、船の脇をすり抜けるようにして踏み入った。すると案の定、彼にとっては見慣れた顔が、持ち運び式の簡易かまどを広げ、小鍋を掻きまわしている。

 ところどころ汚れた作業着姿をもろ肌に脱ぎ、袖を腰に巻いていた。均整の取れた長身を折り曲げるようにして鍋を覗き込んでいる姿は、子供が粘土細工に苦心しているときのようだ。


「おい、魔の海の先まで販路を広げたなんて、聞いてないぞ」


 サリヴァンが声をかけると、艶やかな黒髪を鼻先まで伸ばした顔が、パッと上がった。


「……おや、サリーがいる。幻覚か? 換気はじゅうぶんなはずだけど」

「本物だよ」

「もしかして、はじめて買ったキノコの缶詰のせいかな? 」

「おい」

「アハハ! 分かってるよ! ようこそ、久しぶりだね」


 サリヴァンが低く唸ると、ヒース・クロックフォードは軽やかに立ち上がり、しなやかに筋肉のついた腕を伸ばして幼馴染を抱擁した。汗臭いしぐさだが、このヒースがやると、どこか品があって爽やかだ。立ち上がったヒースの背は、サリヴァンの背が高くないことを除いても、頭一つ分以上も差がある。胸元に抱きこまれた状態になったサリヴァンは、つむじに乗った顎を押しのけるようにして脱出すると、口をへの字に曲げて腕を組んだ。


「それで? 今回の師匠のプランはどういうやつだ? お前まで駆り出して、ずいぶん大がかりだな」

「せっかちだなぁ。その前に飯にしようよ。食べながら話そう」


 ヒースは簡易かまどにかけたままの小鍋を持ち上げてみせた。中には底が焦げ付いた、どろどろした何かが煮立っている。


「それを……? 」

 おののいた顔で、ジジはヒースとサリヴァンの顔を交互に見つめた。サリヴァンがため息をかみ殺している顔をしている。ヒースはそれを受けて、前髪から除く口元だけでも分かるほど、にっこりと笑った。


「そうだ、町で屋台が出てるんだった」

「よかった」

 ジジは皮肉っぽく言った。サリヴァンはいつもの感じで後ろ頭に手をやり、名残惜しげに匙で鍋をかき混ぜているヒースに言う。


「そうだ。その前に、髪を縛るもん貸してくれないか」

「ああ、そうだね。櫛もいるか」


 ヒースは頷くと、跳ねるようにしてその場を立ち、すぐに一抱えもある大きな革張りの鞄をぶら下げてきた。


「これは? 」

 サリヴァンの疑問には答えず、ヒースは鞄を持っていないほうの手に無造作につかんでいたらしいブラシを「櫛はこれね」と、サリヴァンの手に押し付ける。


「魔術師の髪は大切にしなきゃいけない。そのへんの紐なんかじゃあなくて、いつもの髪留めのほうがいいでしょう?」

 サリヴァンは、じろりとヒースを見上げた。

 鞄を受けとって、どかりと先ほどまでヒースが座っていた木片に腰を下ろすと、さっそく中身を改めた。


「ああっ! やっぱり! 」「うそだろ! こんなものまで! 」サリヴァンの顔色が鞄の中身をさらうごとに、どんどん青くなっていく。


「こんなもの何に使うんだ! 」

 油紙に包まれた本のようなものをサリヴァンが掲げるように取り出してみせると、ヒースの両肩がぴょこっと上がった。


「ちょっと、それ火種があるところでは出さないでよ! 危ないじゃない! 」

「ああ、くそっ! やっぱり師匠にしちゃあ簡単すぎる課題だと思ったんだ! 」


 サリヴァンはばりばりと頭を搔き、目を細めて中身を睨んでいる。ジジはするりとその隣ににじり寄り、思わず笑ってしまった。


「よかったね。キミの愛する眼鏡ちゃんもいて」

「ああ、待ち焦がれてたよ! 」


 再び上げたサリヴァンの顔には、大きな丸眼鏡がかかっていた。レンズの向こうで、じろりと三白眼が睨む。


「これでよぉ~っく、むかつく幼馴染のツラが見えるようになったんだからな! 」

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