【完結】星よきいてくれ

陸一 じゅん

上巻 シリウスの魔術師

一章 魔法使いのサリー

第1話 ド近眼ちびの凄腕魔法使い

 ――――寒い。

(土に、湿気た古い木と……かびくさいな。なんだろう。ああ、体がぎしぎしする)

 彼はうめきながら、まどろみがほどけていくのを感じていた。


「サリー」


 耳慣れた愛称で呼ばれて、サリヴァンは薄闇の中でようやく瞼を開いた。

 体調からして、まだ眠っていたい気分だ。しかし服の下に感じる冷たい地面にくわえ、体を拘束する縄目の締め付けとあっては、諦めるしかなかった。

 土の上には自前の赤毛が散らばっている。髪をほどいた記憶はなく、口には猿轡。

 サリヴァンはまれに見るひどい近眼だったが、彼の目が鷹のように良くてもそこが屋外ではないどこかで、目の前は高く積まれた何かに遮られているということしか分からなかっただろう。ため息がこぼれる。


「サリー? ああ、やっと起きたね」

 頭の中で響く声の主は、もちろんすっかり声変わりを終えているサリヴァンのものではない。彼の影に宿っている魔人の声である。


(ジジ)

 サリヴァンは短く頭の中で、その魔人の名前を呼んだ。


 すると、サリヴァンの体の影の陰影が水面のようにわずかに波打ち、面積を伸ばしていった。

 目の前にある遮蔽物の輪郭をなぞり、さらにその上に。サリヴァンの顔の前に、裸足の足がぶら下がった。座った姿勢で頭をぐんと伸ばし、帽子の下にある白い顔と猫に似た金目が見下ろしてくる。


「やあやあ、ボクのうるわしのご主人様。ご気分は? 」


 擦り切れた大人の丈のコートと、大きなつばの帽子をかぶった裸足の子供。一見は浮浪児のようだ。しかしその足に、泥汚れはない。

 みすぼらしい姿の魔人は、肩ほどの黒い巻き毛と、青白くなめらかな肌。そして暗がりの中でもわかるほど、不穏な輝きを放つ金の瞳をしている。

 どこか嘲るような視線の中に、主人の心身を抜け目なく観察する、ごくわずかな親しみが見えていた。


(とりあえずこれをほどいてくれよ)

「おおせのままに」


 魔人との会話は、心で呟くだけで足りる。

 ジジが指を振ると、彼の虫食いとほつれだらけのコートの先端が、サリヴァンの体と縄目の間にもぐり込んでいく。音も無く拘束具を細切れにしたジジにお礼を言いながら、サリヴァンは自分の体を確かめるようにゆっくりと起こした。

 なにせ、ひどく狭い場所に、詰め込まれるようにして置かれていたのだ。遮蔽物は積まれた農具と木箱で、ここはおそらく農家の納屋か何かなのだろう。

 サリヴァンは体の調子を確かめるように首を回しながら、音もなく訊ねた。その眉間には深い皺が寄っている。

(何人いる? )

 ジジは、サリヴァンの横、空中に逆さまになって浮かびあがり、手足を折りたたむようにあぐらをかいて言った。

「五人」

(やっぱり、それくらいいるか)


 サリヴァンはため息を吐いた。地面に寝転がっているとき、耳で聞いて予想していた数よりも一人多かったからだ。


 彼の敬愛する師アイリーン・クロックフォードは、世界に一人としていない偉大な魔術師だが、ときおり弟子を崖下に放り込むようなことをする。最初は森で自給自足の野営から始まり、今では、国外からやってくる魔法使いの子供を狙った人さらいの鎮圧まで難易度は上がっていた。

「何があっても生き残れるようにする」というのが、彼女の口癖で、教育方針なのだった。


「行くか」

 今日初めて声に出してつぶやくと、サリヴァンは、粗末なつくりの納屋の壁を勢いよく蹴り抜いた。

 ぬるい風が吹き込んでくる。板切れを打ち付けただけの壁は予想通にもろく穴を開け、サリヴァンの姿を外気にさらした。

 そこでは、驚きに目を見開いたひとりの男が、立ちすくむようにこちらへ体を向けていた。


 大きく口を開けて仲間を呼ぼうとしているところに、サリヴァンの後ろから飛び出してきたジジが、重力のない動きで飛び蹴りを食らわせる。口に直接かかとを押し込まれた男は、喉から奇妙な音を立てながら吹き飛んだ。


 遅れて、音に飛び出してきたであろうもう一人が、納屋の角から出てくる。サリヴァンは男の攻撃の予備動作よりも早く腰と襟首をつかみ、倒れ込んでくる相手の勢いを利用してグルリと投げ飛ばした。後ろからぞくぞくと、武装した男たちが三人も獲物を抜きながら出てくるが、サリヴァンが転がった男の首にナイフを当てると、その場で動きを止めた。


 三人の男は、こちらを睨みながらも、苛立たしげに何かを言い合っている。

 それを聞いたジジがプッと吹き出した。


「どこの言葉だ? 」

「上層の言葉だね。キミのこと『タターマ』だって! 」

「それって、どういう意味? 」

「赤毛の野ネズミみたいな害獣のことさ。キミのこと、土濡れのチビだって言いたいんだろ」


 サリヴァンは確かに小柄だった。

 ジジは十二歳くらいの子供の姿をしているが、身長だけでいえば手のひらほども差がない。しかしサリヴァンは、けっして華奢ではない。むしろ同世代ではそういないほど鍛え抜かれた肉体を持っているというのに、ばさばさの赤毛と童顔が、彼を草食動物に見せている。


「なめやがって。ずいぶん悠長に長話してやがる」

「今は、なんで武器なんか持ってるんだって罵りあってるところだよ。キミのナイフの出所が不思議みたい」

「そこからかよ。魔法使いの杖の形も知らないんだな。話にならない」

 サリヴァンは吐き捨てた。ジジもまた、にやにやとあざ笑う。

「よりにもよってキミなんかを掴まされて、不憫なやつらだ」

「人を不良品みたいにいうなよ」

「ある意味、お目が高いともいえるんじゃない?」

「ジジ、言葉がわかるんなら、聞いてみてくれ。誰の差し金で、どういう意図でおれを攫ったのか」


 ジジが頷いて、一歩踏み出し、男たちに声をかけた。濁音の多い言語で三度ほどの短いやり取り。最後の言葉は罵倒だと、サリヴァンにもはっきりと分かった。


「だめだこりゃ。殺す気になっちゃった」

「おい、何言ったんだよ」

「こっちは丁寧にたずねたさ。でもあいにく、ボクもあっちも育ちが悪すぎた。あいつら、自分の後ろ盾にすごく自信があるみたい。ボクらのバックについてるやつのほうがヤバいって伝えてみたけど、なにせ教養ってもんがないからな。まあ、どうせ後悔するのはあっちだ」


 男たちは話がついたようだった。じりじりと横に広がって、サリヴァンを包囲するように動き始めている。ぐるりとそれを見渡して、サリヴァンはため息を吐いた。


「ほんとうに、話にならないな」


 サリヴァンは拘束していた男を手放すと、わっと一斉に襲い掛かってくる男たちに向かって蹴り飛ばした。

 仲間を避けるその一瞬、動作を崩した正面の男に向かってサリヴァンが手を横に払うと、轟音を立てて大風が巻き起こり、殴られたように共々原っぱを吹っ飛んでいく。

 サリヴァンは足を踏ん張る右の男に踏み込み、あっけにとられる横っ面に、いたってふつうの横蹴りをかました。倒れたところに顎を殴り、背後から迫っていた男には振り向きざまに、もはや槍といえるほど長く伸ばした柄で横殴りにする。

 ものの十数秒で、男たちは地面で呻くこととなった。


「まさかほんとうに魔法使いの杖がどういうものかも知らないなんて」


 サリヴァンは拘束した男たちを、憐れみをこめた目で見下ろした。


「キミがじゃらじゃら色々とつけてるから、どれが魔法の道具なのか分からなかったんだろ」


 ジジが、サリヴァンの両耳合計七つあるピアスや、首に巻いたチョーカー、二連になったベルト、服の下のペンダントなどを指して言う。


「ふつうの魔法使いも、そんなには着けないもんだけど」

「でも、二番目に致命的な道具を盗まれた」


 サリヴァンは苦々しげに、男たちを鮮やかな手際で裸に剥きながらつぶやいた。

「こんな足場の悪い場所、眼鏡が無いとろくに歩けねえよ」


 納屋があるこの場所は、ずいぶん山の上にあるようだった。納屋の周辺には緑があったが、少し歩けば、ごつごつした岩肌に背の低い草木がまばらに生えた丘陵が広がっている。

 近くに納屋の持ち主の住居らしき建物もあったが、どうやら空き家になって久しいありさまだった。

 サリヴァンは男たちの装備を下着も含めて全部燃やし、武器は谷底へと投げ捨て、彼らを空き家に放り込んで鍵を閉めた。


「こいつら、やっぱり上層人だな」

 と、ジジはぷかぷか浮かびながら、かっぱらった旅券を手の中でめくっている。

「言葉からして、サラムの属国のならず者たちだ。入国のはんこはイェイリー、シェリダ、アクゼリュス……ふうん」

 鼻で旅券をめくるごとに鼻で笑って、「質の悪い傭兵だね。チンピラだ」と断じた。

「でも、後ろ盾があるのは確からしい。こんな粗悪な偽造品で、海から海へと行けるんだから」

「じゃあ、その後ろ盾とやらを探すか? 」

 サリヴァンはうんざりとした顔で言った。

「おれはもうごめんだね。また来るなら、その時に聞いてやる」

「眼鏡もないしね」

「そうだよ。魔法のひとつもかかってない、ただの眼鏡だぞ。魔法道具のピアスを取らずになんで眼鏡がないんだよ」



 空は暗く、厚い雲がかかっている。太陽は低い位置にあるようで、夕日と思われる赤と濃紺に染まっていた。サリヴァンはシャツ一枚だが、すこしも寒くない。


「それにしても、いやに暖かい日でよかったな。この気温、もう二月で今年も終わるのに夏の終わりみたいだ。気味が悪いくらいだよ。本土を離れて、南の群島まで連れてこられたのか? 」

「そうじゃあないかもね」

「ジジ? 」

「ずいぶん経つのに、いっこうに日が沈まないと思わなあい? ほら、あれ」


 ジジの指が、丘の切れ端を指す。空の際には、漆黒にきらきらと黄金の光の粒を散らした帯が見えた。海だった。

 そしてその延長線上に、半月型の都市らしき人工の明かりがある。

 サリヴァンは無言で首をかしげた。


「うそでしょ分からないの? このクソド近眼め。いーい? 」

 ジジはいつになく熱をこめ、丘の向こうを手で示した。


「ボクらがいるこの山は、人呼んでゲルヴァン火山。その下のほうにいる。暖かいのは、そもそも気候が違うから。いつまでも夜にならないのは、この国にとって今は真っ昼間だから。ボクはこの国の地形を知ってる。ここはフェルヴィン皇国。つまりキミ、間にある『魔の海』すら超えて、外国にいるんだ。それも魔界と呼ばれる第二十海層に! 」


 サリヴァンは、ぽかんと口を開けて首をひねった。


「さいきんの課題にくらべたら、ずいぶん簡単に終わったと思ったんだ。つまり、ここから十八海層に帰れってことか」

「かんたんに言うじゃない。『魔の海』を、どうやって超えるっていうのさ。船乗りの八割が死ぬ海だ」

「それは昔の話で、今は三割って聞くぞ」

「じゅうぶん危険だろ。へたな船に乗ったら最後だ」

「でもあの人、おれができない課題は出さないからなぁ」

 サリヴァンは頭を搔いて、「しまった! 」とハッとする。

「髪を縛る紐! ぜんぶ燃やすんじゃあなかった……」

「キミねぇ。トラブル慣れするのもたいがいにしなさいよ」

 ジジは呆れた声で言った。サリヴァンはそれに、けろりと返す。

「行先はわかるんだから、まだいいほうだ。おれの目下最大の敵は別にあるんだから」



 山道を歩きだして数分。

 ジジの目の前からサリヴァンが消えた。

 悲鳴もなく、足を踏み外して斜面を転がり落ちていく相棒の姿に頭を抱える。

「うそでしょ! サリー! 」

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