第24話 イシス

 ●


皇帝特権施行スート』! 『剣の王』全軍展開せよ! 」


 グウィンの号令とともに、船の外壁から黒鉄の兵たちが起き上がった。背から翼を広げ、次々に飛翔していく。

 飛鯨船の前に相対するのは、棍棒を構えた『赤』のカマエルである。

 十三体のゴーレムたちに「へへぇ」とにやけたカマエルは、炎を踏んで空を駆け出した。


「天におわします我が神よ! この叩きがいのある異教徒を私のもとにお導きいただき感謝しまァす! 」


 ●


 ジジが東の空を睨む。サリヴァンもまた、同じところを見ていた。

「……あっちを先にどうにかするしかないか」

「魔術師、どうする? 」

「とりあえず、退路はひとつ塞いでおこう」

「オッケー。発破だ、マリア。トゥルーズに伝えて」


 サリヴァンの影に間借りしていたマリアが、頷く。

「トゥルーズ、発破の許可が出ました」

「おっけー! 」


 轟音が城を揺らした。

 爆発音は途切れることなく、城の地下だけを的確に爆破していく。

 トゥルーズはそれを、城の影から影へ飛ぶように移動しながら観測していた。


 上にある城部分を崩落させず、地下だけを崩す。それは、語り部の測量がなければ不可能だったことだ。冥界の扉は、こうして表面上は通行不可となった。魂ではなく、肉を持った魔術師らは、これでもう穴じたいに近寄ることは難しい。


「うーん。まさしく匠の技ですねぇ」

「なんでおれの語り部はこんなにアホっぽいんだ」

 座席にしがみつきながら、飛鯨船の中でヒューゴが嘆いた。



 サリヴァンは轟音の中、立ち尽くす石の像を縫うように駆ける。

 城の上には花弁のような火の粉が降りそそぎ、近寄るごとに肌がちりちりと焙られた。


「サリー! ボクは中まで行けないかも! 」

 ジジが悔しげに言った。熱と光。それこそ、ジジの弱点だった。

 もはやこの先は、鍛冶神の加護があるサリヴァン以外の人間は踏み入ることを許さない。


「ボクは魔術師を探す」

「任せた」

 短くそれだけ告げて、サリヴァンは箒にふたたびまたがった。その背を見送り、ジジもまた黒い霞になって粒子を周囲に拡散しながら、城門を離れていく。


 サリヴァンの胸に収まるミケの銅板の欠片が、共鳴している。

 サリヴァンはぎょっとして、焦げていくポケットから欠片を取り出した。片手に握り締め、上へ。


 体に降り注ぐ火の粉が吹雪くようだった。眼鏡ごしに目をすがめて、もはや視界を覆いつくす火炎の中心を見る。貌のない人の形をしたものが、そこにあった。


「“星よきいてくれ゛」

 短くそれだけ刻まれた銅板の欠片が、呪文に呼応してわずかに光を纏う。


「……銀蛇」

 腿で箒の柄を支え、サリヴァンは弓の弦を引いた。

 銅板の欠片は、飴のようにサリヴァンの手の中で形を変える。



 銀蛇の弓に赤銅の矢をつがえ、サリヴァンは火炎の中心へと放った。

「――――ミケの『意志』が宿った鏃だ。どうか思い出してくれ」



 ごうごうと鳴る風に、つぶやきは搔き消される。

 一矢は降り注ぐ火炎の吹雪の中を進んだ。サリヴァンには、光の中に消えたようにしか見えなかった。

 それでも目を凝らし、耳をすませる。


(アルヴィン皇子の体と意思を銅板は浸食したのなら……)

 サリヴァンは、アルヴィン皇子を救う手立てとしてこう考えた。

(アルヴィン皇子の心を望む『意志』が、浸食し返すことができれば――――)


 あの星の海で、ミケがこの銅板の欠片に込めた願い。意思。そこに、サリヴァンの魔力を紐づけて放った。


「……届いた! 」

 サリヴァンは確信をもって、柄の先を下げて降下した。


「鍛冶神よ、わが身に炉のご加護を――――! 」

 叡智の炎が降り注ぐ。火の粉が降り積もった石畳は、融解して赤と黒のまだらになっている。

 サリヴァンの体の表層だけが、加護で淡く光の膜を張っていた。草木が立ち枯れた庭園の中心で、サリヴァンは足を止める。


「ダッチェス。力を貸してくれ……」

 ジジに影を通して魔力を送るように、きょうだいであるダッチェスの銅板を介してサリヴァン自身の魔力を、ミケの銅板に送り込む。欠片の意思が浸食しきれば勝ち。逆に浸食されて焼き潰されたら、このまま炎に押しつぶされ、城とともに形も残らず消えるだろう。


「届け――――! 」

 強い熱風が吹き付ける。鐘楼の中で、カラコロと、口の割れた小瓶が転がった。中身がこぼれ、火炎の吹雪の中へと巻き上がる。

 サリヴァンは魔力を送り続けた。吹雪が雨になり、雨が霧雨になっていく。そしてやんだ。


 空を塞ぐものはもうなかった。

 雲が晴れ、淡い水色の空が広がっている。

 サリヴァンはまだ熱くくすぶる地面の上で、うずくまって浅く息を吐いていた。


「……晴れてる」


 仰向けに体を横たえ、胸の上にダッチェスの銅板を置く。そこにはまだ、ダッチェスの蓄えた魔力が残っていて温かい。繋がりはまだ切れていなかった。その先にアルヴィン皇子の命がまだあることを感じている。


「アルヴィン皇子は、どこに……」

 成功を見届けるより先に、サリヴァンの意識は落ちていった。



 ●



 熱の塊が、人の形を持って降りてくる。

 魔術師はそれを、ゲルヴァン火山の山裾で見つめていた。その行き先を追って坂を転ぶように駆け出す。金の燐光が、少女の道しるべとなった。

『黄金の人』は、彼女がはじめて見つけた自分と同じ人間だった。

「きっと、あの人ならわかってくれる! 」


 この怒りも、憎しみも、自分のことのように理解してこの手を取ってくれることだろう。

 この世で会いたい人がいるとすれば、少女にとってそれは『黄金の人』だった。

 どきどきと胸が高鳴った。祈るように、拒絶されないことを願った。

 ああ、そして、できれば、愛してはくれないだろうか。この浅ましい願いも、受け入れてくれるのではないか。

 イシスは、それを願っていた。


「待って――――待って! 」

 山から離れると、建物の傾斜の影に隠れてその姿を追うのは難しくなった。

 それでもイシスは駆けた。やみくもに、細い脚を動かした。


「ああっ! 」

 足がもつれて転ぶ。少女は、途方に暮れたように自分を見下ろした。


「……あんた、こんなところで何してんの? 」

 少女イシスは、魔術師の顔で振り返った。


 ゆっくりと歩み寄ってくるのは、擦り切れた大きな外套のすそをひるがえす、大きなつばの帽子をかぶった裸足の子供。一見はみすぼらしくも、しかしその足に泥汚れはない。

 その魔人は、肩ほどの黒い巻き毛と、青白くなめらかな肌。そして帽子の下で不穏な輝きを放つ、金の瞳をしていた。


「魔術師イシス」

「……その名は捨てた」

 不快もあらわに、魔術師ドゥは吐き捨てて立ち上がった。肌に刻まれた無数の祈りの言葉が蠢き、足の甲を流れて街道の石畳を這う。


「……あの魔法使いの魔人か」

「ふん。ボクは、キミにはこう名乗ったほうがいいかもね」

 魔人の外套が、風に逆らって逆立ち枝を伸ばす。



「わが名は選ばれしもの。『愚者』の名を与えられたもの。魔人ジジとはボクのことさ」



 帽子を脱いで、『愚者』は髪をかき上げた。

「じゃ、形勢逆転と行こうじゃあねえか。なア、悪役さんよォ」


「……あなたが『愚者』」

 動いたのは『魔術師』だった。


「―――――アポリュオン! 」

 どろりと、腐臭がただよう泥沼があたりに満ちた。緑白に濁った複眼を持つ頭が這い出て、二人の間でその巨躯をさらす。

 魔術師の前に守るように立った奈落の王は、翅を振るわせて踏み出した。


(『愚者』はアポリュオンに任せておけばいい)

 走り出せば、胸はふたたびはやりだす。


 西で『赤』のカマエルが暴れている気配がした。相手はおそらく『皇帝』だろう。

 魔術師は思った。


(そうだ。カマエルなら、すぐに『皇帝』を手に入れるだろう。『皇帝』のゴーレムがあれば)


 西に駆け出す。差し込む青い朝日が、その上気する頬を照らしている。

 カマエルが見えた。立ち塞がる『2』のスート兵を殴り倒したところだ。スート兵の背後には、アトラス王家の皇子がふたり隠れていたようだった。カマエルは、さらに棍棒を握り込んで顔を輝かせる。

 何をやっているのか、とイシスは思った。『皇帝』はここにはいない。弟たちにスート兵をつけて、自分はこの場を離れているのだ。


「カマエル! 『皇帝』は」

 そのとき、自分を追い越す背中があった。

 金の燐光。頬を撫でた熱。


「あっ……――――」

 呼び止めようとしても、口にする言葉が見当たらない。


 空気を歪めて透明な影が疾走する。

 それは強くこぶしを握り締め、腰だめに引いた。

 そのこぶしに、燐光が巻いて硬質なかたちを取る。無から溶け出した鎧が、熱の体を覆い、内側からまばゆいほどに赤く輝く。


「――――兄さんッ! 」


 イシスは少年の声に、伸ばした手を引き寄せて胸の前で握った。背中が遠ざかっていく。



 灼熱の拳がカマエルの頬を打ち抜いた。

 カマエルは大きくのけぞり、体勢を崩す。瞳は大きく見開かれ、その鎧の子供を見つめている。

 地面にへたりこんだケヴィンが、その名前を呼んだ。


「……アルヴィン」

 灼銅の魔人は、カマエルの前に立ちふさがったまま振り返らない。すう、と息を飲み込んだ。



「我が名を得たり! 誓いを得たり! 今この時より蘇りしもの! 世界を変える資格あるもの!






 ――――宣誓する! わが名は選ばれしもの『星』のアルヴィン! 」







 アルヴィンは腕を広げて名乗りを上げた。

 兜の隙間から、輝く金の双眼がカマエルを睨む。

「僕が相手です。今度こそ、倒れないから」


 カマエルの驚愕で丸くなった口が、ゆるゆると笑みの形に広がった。

「最ッ高だ! こんどは叩きがいがあるなア! ……あっ」

 カマエルの顔が、また驚愕に変わる。


 ころころと表情の変わる男だ。魔術師は、カマエルのそんなところはあまり嫌いではなかった。

 胸を刺し貫く黒光する槍。その切っ先を見下ろして、魔術師は奥歯を噛む。


「はあ……――――」

 見上げた空が青い。


 『愚者』のジジが、目を閉じて横たわる魔術師を見下ろしていた。

 ぬるい風が強く吹いた。

 紅い花が熱した空気と、冥界から噴き出す冷気とがぶつかり、吹いた強風。

 国中を覆う霧と雲を、一時だけ吹き飛ばす西風だ。


 水色の空にぽっかりと黒い粒が浮かんでいる。ジジは目を凝らし、「ああ、」とほほ笑んだ。


「……あれ、ケトー号だ」


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