第21話 血戦前夜

 ●


 束ねた髪の先を握り、ぴんと張ったそこに刃を当てた。ジャリッという感触とともに、乾燥パスタ一人ぶんほどの髪束が落ちたが、サリヴァンは顔をしかめてナイフを置く。


「……これ、けっこう頭皮が痛いな」

「だからそう言ったじゃん。大人しく、たち切り鋏で一気にジャキッとしちゃえば良かったんだ。神様も供物になる髪を何で切ったかなんて気にしやしないよ」

「……フェルヴィン製の鋏ならいっか」


 すかさず、椅子に逆向きに座ったジジが、帆布を切るための大きな鋏を差し出す。

「片手じゃ無理だ。お前がジャキッとやってくれ。結び目の間を切るんだぞ。あと、なるべく一本も落とさないように。十一年溜め込んだ魔力だ」

「分かってるし、こんなにギトギトに油を塗ってあったら落ちません」

「頼むぞ」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。ちょっと失敗してもキミは十分男前だから」

「ほんとに頼むぞ! 」

「まかせて。ボクの器用さは折紙付き……あ」

「あって何だよ!? 」


 ふと、閉じていた扉が蝶番ちょうつがいの悲鳴を上げながら、ひとりでに開いた。条件反射のように立ち上がった二人は、そう広くもない寄り合い場を見渡す。

 ジジがそっと扉を閉めた。

 扉の外は風一つ無く凪いでいて、濃い霧がみっしりと世界を白く染めている。


「……ただの風か? 」

 そう呟いたサリヴァンの言葉尻には、まだ疑念が滲んでいた。


「そういえば、ジジ、あっちはどうだった? 」

 サリヴァンが尋ねた。

「なんとも言えない」

 剃刀で毛先を整えてやりながら、ジジは短く答える。


「あの火の玉があるのはだいたい五千メートル上空。そこから止まって動かなくなった」

「いずれ落ちてくるだろうな」

「なんでそう思うの? 」

「勘」

「論理的に」

「魔術的根拠を述べる」


 サリヴァンは椅子から立ち上がって、暗い部屋を出た。

 ここは港近くの、漁師の寄り合い場のような場所である。埠頭の先の黒い海も、青白い霧が立ち込めて、厚い白い布団がかかったようになっていた。

 壁の煉瓦の小さな出っ張りに足をかけ、サリヴァンはするすると屋根の上に上がり、霧の切れ目に顔を出す。

 海を背に、城を見上げた。

 空が燃えている。


「あの炎の怪物は叡智の炎を身に宿している。鍛冶神の炉にある火、命すら生み出す無限の燃料だ。種火になったのは、語り部の銅板。薪になったのはアルヴィン皇子の首から下の体。『魔術師』とやらが最初からこの状況が目的だったと仮定すると、これは大掛かりな魔術儀式だ」

「何の儀式? 」

「結論を急かすな。いいか? アルヴィン皇子は生贄だ。そして生贄は、アルヴィン皇子じゃなきゃいけなかった理由が、たぶんある。逆算して考えるとな。ここは最下層。最も冥界に近い場所で、今まさに冥界に落ちかけてる。……まず、この海層を冥界にする意味はなんだと思う」

「ごはんがいらなくなる」

「『魔術師』の側で考えろ。答えはシンプルだ。『そのほうが近くなるから』だ」

「わかんないんだけど」

「だから急かすなって。いいか、『審判』でフェルヴィン皇国は冥界に近づき、死者たちが溢れる。本来、それをどうにかするのが、『選ばれしもの』たちの最初の試練なんだと思う。『審判』の号令を上げる『皇帝』になる資格があるのは魔女の墓守であるこの国の国王だから『冥界を閉ざす試練』というのは理にかなってる。そこを『魔術師』は利用した。『魔術師』の目的は、『冥界と地上を繋ぐこと』だ。じゃ、繋いでどうする? 」

「……死者蘇生? キミが、苦手な反魂の儀式を成功させたように、冥界と地上が繋がると、魂を呼び出しやすくなる? 」

「それだ。あの炎の怪物はそいつが宿る器だと考えると、儀式の形式は取れている。……さっきの卵から出てくる皇子の動き。ダッチェスを襲っただろ? あれは、『銅板』が欲しかったんじゃないか? 叡智の炎が足りないんだ。

「銅板は三分割された」

「そう。そして魔術師は、それを全部、あの怪物の中へくべたと思ってる。一番小さな三番目の欠片は、レイバーン帝が隠し持っていてここにあるのに」

「うん。で、アルヴィン皇子でなきゃいけなかった理由は? 」

「『皇帝』を継承させなければならないグウィン陛下を除いても、この国には四人もいる。その中で、アルヴィン皇子だけが選ばれた理由は、『先祖返り』だ。歴代の皇帝ではなくジーン帝を選んでよみがえらせたのも、確実に『先祖返り』と呼ばれる体質を持っているから。グウィン陛下に訊いたら、王家の血筋で特別な特徴を持った人物をそう呼ぶだけで、詳細はわからないが、アルヴィン皇子とジーン帝には共通する何かがあるんだろう」

「ああ、なるほど。サリー、分かったよ。ほら、あの『黄金船』で、船が入ってくるやつの名前を呼んだだろ。それと同じなんじゃないかな」


「と、いうと? 」

 ジジは立てた指をくるりと回した。

「『先祖返り』って言葉をそのまま取るなら、アルヴィン皇子とジーン帝は、先祖の誰かと同じ体質ってことになる。じゃあそれは誰? ってことでしょ。誰かを蘇らせたいのなら、その『誰か』は、アルヴィン皇子たちの先祖なんじゃないの。それで、それってサリーの先祖でもあるよね」


 サリヴァンは、ごく、と唾を飲んだ。

「……それ、誰だと思う? 」

「知らないよ。語り部に訊いてみれば? 」



「ってことで、わかる? 」

「え~っ! そんなのわかりませんよぉ! 」

 ジジにたずねられて、トゥルーズはぶるぶると頭を振った。

「マリアはどう? 」


 物静かな女語り部は、静かに述べた。

「条件は、現アトラス王家と直系で繋がっていること。フェルヴィンの巨躯を受け継いでいない人物。それってアトラス王家と婚姻したフェルヴィン以外の血筋の可能性もありますよね」

「条件が少なすぎますよぉ! うちの王家、ご存じないかもしれないですけど、三千五百年の歴史があるんですよ? 歴代皇帝だけでも二百人を超えてます! さすがのメモリ大容量の記憶力を持つ僕らでも、もう少し無いとォ」

「だよなぁ」

 サリヴァンは頭を搔いた。


「それより、こっちも見てくれよ」

 ヒューゴがテーブルに広げられた紙を指す。三人の語り部が、総出でペンを走らせた城の見取り図だった。直線と曲線で構成された図は、定規を使わずとも正確無比である。


「……すっげえ。うちの城って、こうなってんのか」

 ケヴィンが図にざっと目を通し、ペンで印をつけながらため息をこぼす。

「兄さん見てくれ。知らない通路や部屋がかなりの数ある。これを人間が一晩で把握するのは無理だ。その点、語り部なら、隠し部屋や地下の構造も知っているからな。……いやしかし、よくぞ語り部を使うことに気が付いたものだ」

「まさか、壁の厚みの計測に語り部の観察眼を使うことになるなんて」

 紙を覗き込みながら、グウィンが感嘆に呻いた。


「山から城へ入ることができる道は、これで全部か? 」

「そのあたり、情報源がトゥルーズなのが不安なんだよな……」

「ヒューゴ様ぁ~僕の仕事を信じられないんですかぁ~! 」

「うーん、おまえ、なんか抜けてるからなぁ」

「仕方ないね。今からボクが下見してくるよ」

「ジジまで! ひどいや! 」


 サリヴァンは苦笑した。

「進捗は大丈夫そうだな」


 あまり答えの出せない問題にかかっているわけにもいかない。サリヴァンは思考を切り替えて、自分ができる次の作業に移ることにした。

 寄り合い場の別の小屋のひとつ。地図を乗せたものと同じつくりの大きなテーブルの下には、出航前にヒースが置いていった支援物資が、どっさりと置いてあった。

 サリヴァンくらいの体格ならば、スッポリ入りそうなトランクが全部で十五。サリヴァンは持ち手に結ばれたラベルを確かめ、そのひとつを慎重に開く。

 中には、油紙に包まれた四角い物体が、ぎっしりと詰まっていた。

 中身が白い板状のものであることを確認すると、サリヴァンはブハーッと大きなため息を吐く。


「こんなものを外国へ大量に持ち込むなんて、指名手配されても擁護できねぇぞ……」

「そのおかげで、いろいろ助かってるんでしょう? ヒヒヒッ! ヒースのやつ、けっこうやるじゃん」

 ジジは頭の後ろで腕を組み、上機嫌にトランクを足先でつつく。


「秘策ってこれかい? 君らしい作戦だと思うぜ? 」

「これの扱いを教わったときは、まさか本当に使うことになるとは思ってやしなかったよ」

「これのために、この小屋をピッカピカにしたんだもんねぇ? 」

「埃が立つと、加工するとき危ないんだよ。本当に。久ッ々に気合入れて、掃除に魔法使ったぜ……」

「日々の家事スキルが役に立った瞬間だったね」

「師匠のズボラに感謝はしたくねえな……」

 サリヴァンはまたため息を吐くと、手巾を取って口元に巻く。


「ほら、お前も出てけ」

「手伝いは不要? 」

「見張りだ見張り。誰も中に入れんなよ。ウッカリしてボン! なんて、御免だからな」


 後ろ手に扉を閉め、ジジはその場にあぐらをかいた。

 合流したばかりのケヴィン皇子が、かたわらの壁際で、すでに石のように座り込んでいる。

 視線を海に向けたまま、ケヴィンは口を開いた、


「……彼は? 」

「立ち入り禁止で作業中」

「邪魔してはいけないな……」

 それっきり、ぷっつりと黙りこむ。


 水面を舐めるよいに吹く冷たい潮風が、足から体を冷やしていった。

 フェルヴィン人は例外なく真っ白な肌をしているが、ケヴィンの横顔はそれより一つ抜けて青白いほどだった。無精髭の似合わない細面は、ひどく不健康で、神経過敏な男のように見える。


「……フェルヴィンの海は、」

 長い沈黙は、長い躊躇いだったようだ。

「……いつもなら、もっと激しく、白い波が立つんだ。こんなに静かな海は生まれてはじめて見る。この海を見て……本当に、神話のようなことが起きているんだと、ようやく私は納得したんだ」

「こんなになって、まだ実感無かったわけ? 」

「ああ。父親と弟があんなことになったのにな。我ながら頭が固い。……いやになるよ、不器用すぎて」

「…………」

「……いにしえの魔人よ。貴方なら嘘はつかないだろうと思った。……ミケは生きているのか」

「驚いたな。他の質問を予想してた」

「どうなんだ? 」

「魔人に生きているって表現はふさわしくないぜ、皇子サマ? 」

「お互いに、駆け引きは無しでいこう」


 ドン、とケヴィンが打ち付けるように地面に置いたのは、陶器の酒瓶だった。片手に重ねたグラスを持ち、流れるように注ぐと、ケヴィンは苦しそうに飲み干す。


「っ、いいか。僕は君たちに大事な家族の命を賭けるんだ」

「サリーは自分の命と未来を賭けてる。この世界にね。ミケも同じだ。自分の存在を、ご主人様が生きる世界に賭けた。その結果として『宇宙』になることを選んだ」

「……それが僕には分からない。ミケは何をした? 僕の弟は、どうして――――」ケヴィンは鋭く、霧の向こうにある紅い光を指した。「――――ああなったんだ? 」


「ミケのせいだと思っているの」

「ミケが渡した銅板で、ああなったんだろう」

「否定はしない。語り部の本体に使われている銅板は、神々の手が入ったもので、人間の手には余る素材だった。アルヴィン殿下の心が弱かったからとも思わない。生きながら焼かれて再生するを繰り返すんだから、理性を失くさないほうがおかしい。でもね、皇子様。そもそも、はずなんだ」

「わからない……もっと理論的に言ってくれないか」

「火種がなければ薪は燃えない。それはその固い脳ミソでも分かるでしょ? ミケは、「こんなはずじゃなかった」って言った。ミケの予想では、混沌の泥によって、アルヴィン殿下は失くした頭蓋骨を取り戻すだけだったんだ。……でも、火種はあったんだよ」

「どこに? 誰が火をつけた」

「事故だ。予定調和の事故だったんだ。火種を持っていたのは、アルヴィン殿下とミケ自身だよ」


 こんどはジジが、グラスを喉に流し込む。濡れた唇を舌で舐め、空の紅い光を睨むように笑みを作った。

「命の源たる混沌の泥は、彼の感情に反応し、形なきものを『炎』という形で具現化させた。形なきもの……それは怒りさ。彼は怒ったんだ。いろ~んなものにね。ボクには分かるよ皇子様ァ。這い上がったやつの最初の原動力は必ず怒りそれだ。ボクには、よぅく分かる。アルヴィン殿下の怒りが、銅板にあったミケの怒りが、彼の命に火をつけた。命を繋いだともいえる。この怒りは、あなたたちを害された痛みであり、不当に傷つけられたアルヴィン皇子のための怒りで、無念に死んでいく自分への怒りだ。この感情を否定できる? 」

「……できないな。できないよ」


 ケヴィンはうなだれて、そして空を見た。赤く燃え盛るアルヴィンの怒りの大きさを見た。



 ●


 夜が来る。霧の密度はさらに増し、自分の手元すら白く煙っている。

 屋根に上り、毛布を差し出しながら、サリヴァンは白い息を吐きだした。


「ジジ、変わりは? 」

「気温が零下まで下がった。開花の速度はある程度計算できてる。このままなら、満開まで十分間に合う。語り部は? 」

「一晩かけて爆弾の設置に」

「それならキミは休めばいいのに。決行は明日の昼? 」

「いいや、朝だ。夜明け前に儀式は終わらせて、それから動く」


 ヒューッと、ジジは口笛を吹いた。

「なんだい。張り切るじゃないか」


 サリヴァンは鼻から何度目かのため息を吐いた。

「馬鹿言うな。ここで張り切れなくて、いつ張り切るんだ? 」



 ●


 切った髪は、火口ほくちにするのと同じ手順で、油を塗り込んだ上から蝋で固め、一本のロープのようにして、ベルトに挟み込んだ。

 何度か素振りをし、袖口から『銀蛇』が淀みない動きで顕れるまでの動作を確認する。


 両刃の短剣から始まり―――――片刃、片刃の長剣、両刃の長剣、錐のように細い刺突剣、厚い刃の双手剣、短槍、長槍……さらには死神の大鎌のようなものまで。

 霧を裂くように、刃の軌跡が生んだ白い線が、閃いて輝いた。


 襟から湯気が立つほどに体を温め、首筋をざらりと撫で、頭が軽いことに気が付く。軽く首を振ると、耳に差し込んだピアスが、チリチリと澄んだ音を立てた。

 霧の向こうに向ける瞳のくろが強い。白く吐き出された吐息に、腹の内で燃えるものが込められている。


 すべてを閉ざして、瞼を閉じる。

 それは短い黙祷だった。


 夜明け前。

 埠頭に拵えたのは、白いクロスをテーブルにかけただけの簡易的な祭壇だった。そこに、潮風で錆びかけた燭台を置き、花を飾り、わずかな宝石と、皿に山盛りにした塩を置く。擦り切れた石畳には、貝殻を使った鳴子をしきつめた。


 サリヴァンは『銀蛇』ではなく、石を割ってつくった剣を手に取った。蘇芳色の刃が篝火にぬるりと赤く輝き、熱せられた鉄に似た光沢をみせている。

 サリヴァンは極めて伝統的な手法を模倣して、祭壇の前に立つ。皇子たちもまた、サリヴァンの二歩後ろに立ち、祭壇の前に拝している。


 サリヴァンは、今度は吐息の色さえ殺してみせながら、瞼を閉じた。霧に遮られ太陽はまだ遠いようであるが、海の端には、もう太陽が手をかけているだろう。その光が届くのがずいぶん遅いというだけのことだ。


 太陽も、月も、星も無い。それは今から儀式を行う魔術師にとって、「水が無いままパンを焼け」というようなものだった。

 ならば、水のかわりに別のものの力を借りるしかない。


そら支えし偉大なる祖神の姉妹たち、波のニンフの娘たち。アトランティデスよ、血族に加護を与えたまえ……」

 塩を掴んで、ざらりと祭壇に広げる。何かを描くような手が、ナイフに触れて血を流した。白い塩粒を染めるように踊る手指の先にある顔は、文字通り傷口に塩を擦りこむことに苦痛を感じていない。祭壇に、血と塩の粒でなる図が描かれる。

 『円』は『囲い』。二重ふたえの円となれば、それは『調和』を司る。

 『三角形』は『循環』。それを二枚重ねた六芒星は、『循環』に加えて『浄化』も司る。

 六芒星の中に描きこむ一文字一文字にも意味がある。それらを組み合わせ、魔術師は『あちら』へと語りかける。


 ジジは、祭壇の向こう側に立っていた。

 海を背に、尖った銅板の欠片を握って、その断面を肌に食い込ませた。


「オルクスのしもべ……————ヤヌスの許しを……—————トリウィアの導きを……—————」


 けして大きな声ではない。しかし、聞こえない距離でもない。

 サリヴァンのくぐもった声は、霧中に取り残されるように遠ざかる。海を背にするジジは、ミルクのような闇の先、霧のうねりで瞬いて見える赤黒い光を見つめた。

 唐突に、強く、生温なまぬるい海風が霧をさらう。空の向こうで、鳥に似た甲高い音がした。


 サリヴァンは、まだ絶え間なく呪文を呟いている。塩が傷口に融けだし、傷を苛む。血で汚れたクロス、赤く染まった結晶、今にも風に攫われそうな篝火から伸びる細い煙。それらが白い暗闇の中に、ぽっかりと漂流している。


 霧はのっぺりと、大きな固定された塊のようになって静寂している。しかしこれは、いわば振り子が一瞬止まって見えるようなものだと、ジジは理解していた。

 耳からではなく、頭の中で、サリヴァンの呪文が響く。


(「————……ゥズニルの寝台―――――隠された青―――――海に落ちし陽光の君―――――願い――――……黒き岩壁の……せんとして……————ナナボシの―――――」)


「さぁ~て……」

 ジジは両手をポケットから出し、揉みほぐす。

「……まずは何が出るかな? 」


 空気がうねる。一瞬にして霧は渦を巻いて動き出し、空中に無数の模様を描いた。さながら鎌首をもたげた大蛇のうろこだ。

 霧の向こうにある祭壇の端、サリヴァンの手元で赤い光が散る。『銀蛇つえ』に火をつけたのだ。


 松明をかかげ、サリヴァンは歩き出す。祭壇の横には、おがくずを撒いた薪があった。

 そこに無造作にひと塊の肉を放り込み、火をつける。魔力で練った炎は、霧の湿り気を吸った燃料にあっというまに齧りつき、あっというまに大きく成長する。

 サリヴァンは次々と、祭壇の上の生贄を放り込んでいった。腰に垂らした髪束だけはそのままに、祭壇をすっかり空にすると、テーブルクロスもまとめて放り込む。

 口にする呪文は大きくなり、霧の壁を貫いて響き渡った。


 淀みない詠唱は、なるほど、主人として立派だ。胸が張れる。

 しかし、その儀式の手際は乱雑すぎた。おそらく手順をすっかり忘れている。ジジのおぼろげな記憶では、降霊の儀式にはもっと荘厳で美しく見える作法があったはずなのだ。


(……そういうところが『向いてない』んだよ、キミは)

 ジジは額を掻いた。それでも儀式が成功するあたり、師匠そっくりだ。実力で不備を押し通してしまう。


 大蛇がうねり、炎から立ち昇る煙と混ざり合う。

 サリヴァンのくべた魔力を吸い込み、蛇は束の間の命を得た。

 白蛇の目に炎の『赤』が宿り、上下する舌で祭壇に立つ魔法使いを愛撫しながら、守るように身をくねらせて霧と煙をのみ込んでどんどん肥大していく。


 篝火の赤が、おもむろに青く燃え上がった。

 ジジは篝火をジッと睨み、黒い霧となって祭壇を囲むように霧散する。白蛇がまとわりつく黒霧ジジに怪訝そうに首を回したが、すぐに白霧の中から顕れつつある、青ざめた火影に興味を移した。


 炎から散る火の子が、流星群が帯をつくるように細く跡を引きながら髪の毛になる。黒光りする短冊状の鉄板を脚絆に縫い付けた太い足が、優雅な足取りで地上を踏んだ。


「……おや」

 目元が印象的な男だった。


 狭い額に細い顎をした輪郭に、密度の高い睫毛に黒々と縁取られた、冥界の青を宿す瞳がある。薄い瞼には紅を一筆差し、細く整えられた髭と太い体躯、腰の下までなびく黒髪は、絢爛な衣装を彩る一つに数えても良い。


 しかし、その流麗な顔立ちの上に散る疱瘡の痕、それを塗り替えようとでもするかのような醜い火傷が、美貌の上に痛々しく映えていた。

 男は、身を形作る青い炎を歩みとともに振り払いながら、ゆっくりと首をかしげる。


「おや、おやおやおや……? ここは? 」


 その顔に向かって、目にもとまらぬ速さで剣が抜かれる。男が握るのは、鉄板そのもののような幅の広い片刃の直剣である。地面から直角に構えられた剣の柄頭つかがしらについた房飾りがひるがえり、鈴がリィンと甲高く鳴る。

 構えた白刃ごしに睨み合った。

 サリヴァンは鋭く武器の『名』を口にする。


「――――ジジ! 」

「はいよっ! 」


 黒霧が無数の『手』となって男に襲いかかる。

 同時に、サリヴァンの全身を真紅の炎が包んだ。男の瞼が僅かに見開かれる、その一瞬に鋭く息を吸い――――サリヴァンは『銀蛇』を手放した。


「何ッ……! 」

 『銀蛇つえ』を消したサリヴァンは、身を屈めて男の広い懐まで一息に入り込む。突進してくる炎に驚き、のけぞり、後ずさろうとした男と、サリヴァンの笑う目が交差する。


 ――――ボォウ!


 サリヴァンの口から放たれた炎が、至近距離から男の顔を襲った。

 獣のそれのような悲鳴が上がる。

 しゃにむに振り下ろされた斬撃をかわし、サリヴァンは壁のようにそびえる男の広い胸を蹴ってクルリと後ろへ宙がえりした。顔いっぱいに、意地の悪い笑顔が浮かんでいる。


「『蝗の王』、『赤の戦士』『灰色の魔術師』に『白の王』ときたら、アンタはさながら、『黒の騎士』か? 」


 問いかけに、男の悲鳴がぴたりとやんだ。

「…………ふ」


 籠手に包まれた手のひらの下で、男が息を吐く音がする。

「―――――ふは、はハ、ハハハハハハ! アハハハハハハハハハハハハハハ! イヒヒ、ヒハハハハ、イヒヒヒヒヒヒヒヒ…………そうかぁ、なぁるほど……まんまと誘き出された、と……いうわけカァ……冥界からの道を、儀式でここへと誘導したな? 」


 丸めた背を、男はすっと伸ばした。

 サリヴァンを見下ろす視線にあるのは、軽蔑、拒絶、憎悪、—————そして


「……おまえ、今の炎は『鍛冶神の炉』からのものだな? 魂を燃やす叡智の炎だァ。そんなものを使える魔術師が、まだ地上に生き残っていたのか。実に……」


 右手でざらりと傷跡のある左の顔を撫で――――男は、左右非対称の笑顔を浮かべた。


「―――――実に、腹立たしい……」


「サリー! 」


 ジジがサリヴァンの脇腹にぶつかって強く押し出す。サリヴァンは背中から祭壇に激しくぶつかりながら、ジジに押されるまま倒れ込むように地面に伏せた。


『黒の騎士』の輪郭がと。


 そして、


 サリヴァンは息を呑んだ。恐怖に一瞬ひくついた喉に一息で酸素を取り込み、ぐっと奥歯を噛みしめ、その名を呟く。



「――――アポリュオン。『蝗の王』……」



「……なんたる……なんたる矮小な小賢しさ……ふふふ……ははは。アハはははハ、ハハハハハハハハハハハ……ハハハハハハハハハハハ――――」


 毒の滴る翼を広げ、醜い怪物はサリヴァンに笑いかけた。

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