第15話 語り部のミケ

 ●


 ギィ、と牢の入口が軋む。


 青い炎が宿った松明をかかげ、『魔術師』がレイバーンの前に立った。

 レイバーンの肌が青白く照らされ、魔術師の纏う灰色のローブは、夜闇と松明で群青に染まっている。そのフードの奥にあるものに、レイバーンは息を飲んだ。


「きさまは――――何者だ……? 」

「ふふ」

『魔術師』はさえずるように笑う。「わたしはわたし。そうですね、名前を付けるなら……『ドゥ』とでもお呼びくださいな。名も無き死者、打ち捨てられ、忘れられた死体。それがわたし」


 男かも女かも分からない甘やかな声で『ドゥ』は言う。

 ドゥは、松明を牢にある松明立てに置くと、手を叩いて配下のものを三人呼び寄せた。

 石の床に跪くレイバーンの正面に、三脚の簡素なテーブルを置くと、配下を牢の外まで下がらせて、自分ごと牢の鍵を閉めさせた。

 甘い声でドゥは言う。


「語り部を出しなさい。皇帝」

 レイバーンは顔をしかめて黙ったまま、床を見ていた。

「皇帝よ。命令です。皇子たちがどうなっても? 」


 レイバーンは呻いた。胸の奥で語り部を呼ぶと、牢の壁に長く伸びる影から童女の姿をした語り部があらわれる。

 ダッチェスは表面上は感情を閉ざし、レイバーンの斜め後ろにちょこんと立った。


「……皇帝よ。全員です。息子たちの語り部も、全員呼び出しなさい」

「………」


 皇帝が、自分以外の語り部の命令権を持つことまで知っている。松明の青い炎が揺らめき、ダッチェスが視線だけでレイバーンの意志を読み取った。

 ダッチェスの白い手袋に包まれた手が、手のひらを上にして、肩の位置に上げられる。空気を握るように小さな指が動くと、牢の四方から黒衣の語り部たちが、五人、あらたに現れた。


「……これで良いか」

「ええ。ありがとう」


 ドゥは、レイバーンの脇を固めるように扇状に立った語り部たちを、テーブルの上に並ぶ御馳走を見るようにぐるりと見渡した。そしておもむろに、ローブのポケットからコトン、と何かを置く。袖に隠れた指先が、『何か』を置いてテーブルから離れた。

 香水瓶のような雫型の小瓶が、テーブルの上に置かれている。ドゥは続けて牢の外からボトルとグラスを二つ受け取り、それを小瓶の後ろに置いた。


「乾杯といたしましょう。わたしたちは共に運命を否定するもの。我々の出会いを祝うのです」

「何を……」

「ここに、血のように赤い酒がありますでしょう? 」音を立てて、ボトルからワインが注がれた。「そして、これがとっておきのスパイス――――」


 袖に隠れた指が小瓶をつまみ、軽く揺らす。薄く色のついた小瓶の中で、黒い液体がトプトプと揺れた。

 ダッチェスが身動ぎをする。ワインが満たされたグラスの中に、液体が半分ずつ垂らされた。


(ダッチェス……あの小瓶の中身は、毒か? )

「………」

 何も言わず、ダッチェスは強く唇を噛む。


「これを飲んだら、我々は同志です」

 魔術師は朗らかに言った。


「同志、だと? 毒の盃を飲ませることが? 」

「ええ。預言しましょう。あなたは必ずこれを飲む。ふふ……だって、息子たちを失いたくないでしょう? それに……語り部だって」

「……きさまに語り部に手を出すことは出来ぬ。彼らは何人にも傷つけることはできない」

「例外の方法が、あったとしたら? その方法をわたしが知っている……と、したら? 」


 袖がめくれ、白い指先があらわれた。グラスのふちに触れたところから、かちん、と硬質な音が鳴る。

 白骨の手がワインの雫を滴らせる。


「同志になるのです。レイバーン・アトラス。父上にお会いしたくはありませんか? あこがれのジーン陛下とは? 数々の英霊たち、伝説のなかを生きた亡霊たちとは? 」


 レイバーンは暗がりに落ちるドゥの顔を睨みつけた。

「未来を見つめるのです『皇帝』。あなた亡きあとでも、あなたの役割を継ぐものはいるでしょう。しかし『語り部』は違う。彼らに替えはきかない。そうでしょう? あなたがこの盃を飲み干せば、わたしは、そう……。と誓いましょう」

 レイバーンの顔に濃い影が落ちた。


「ああ……そんな顔をしないで! 預言は成就するだけ! それだけです! わたしという、大いなる脅威に、あなたは成す術もなく他の皇子たちと、この世界の未来を守るのです! 」


 レイバーンの顔がうつむいていく。


「ああ……可哀想なアトラス皇帝……これから先、何代重なったとしても、彼らの中には幼い皇子を切り捨て運命を拓いた皇帝の血が流れている……。いいえ、恥じることはありません。あなたの選択が、世界を救うのです。……そうでしょう? ねえ。同志レイバーンよ――――」


 その顔に向かって、赤い飛沫がかけられた。語り部たちが息を飲む音がする。

 ダッチェスが常にない怒号を上げた。


「――――ミケ! だめよ! 」


 五人の語り部の中で、ダッチェスの次に小柄な姿をした語り部が、肩で息をしながら空のグラスを床に叩きつけた。金色の瞳が暗がりに怒りに燃え、風もないのに、背から伸びる長い三つ編みが蛇のように空を泳いでいる。


「貴様————アルヴィン様を殺すと言ったのか……! 」

「ひきなさい! ミケ! 誓約を忘れたの! 」

「誓約など知ったことかッ! 」


 悲鳴のようなダッチェスの声に、ミケは怒りのままに吠えた。そしてレイバーンを振り返り、憎悪を宿して見下ろす。


「誰もあの方を助けてくれないのなら、わたしだけでもあの方のために! 」

「ミケ! やめろ! 消えてしまうぞ! 」

「止める資格はあなたにはありません! 語り部も皇子もたくさんいる! でもアルヴィン・アトラスの語り部は、このミケだけなのだから! 」

「……ふ、ふふ」


 魔術師の声に、誰もが動きを止めた。

「ふふ……ふふふふふ……なるほど。語り部の中に欠陥品が混じっているようですねぇ。いやあ、ご苦労なことだ。皇帝よ」


 骨の指が空に何かを刻むと、レイバーンの手枷が落ちる。


「グラスを取りなさい。これは命令です」


 ミケは無言で、レイバーンとテーブルの間に、腕を広げて立ち塞がった。ドゥの顔が松明に照らされても、眉一つ動かさずに怒りをこめて睨みつける。

 その小さな肩に、レイバーンが枷が外れたばかりの手を置いた。

 レイバーンが立ち上がると、ミケが二人いてもまだ足りないほど大きな体を持っている。その頭の上から腕を伸ばしてテーブルの上にあるグラスを持ち上げ、一口含んだ。


「レイ! 」

「ダッチェス」


 一歩、踏み出しかけたダッチェスを、レイバーンは片腕を上げることで制す。


「全部飲み干すのが、礼儀というモノですよ? 」

「……分かっている。ミケ」

「あ、ああぁ……陛下……」


 ミケの語り部としての目には、見上げたレイバーンに、死の運命が迫っているところが見えていた。震える息を飲みこみ、この状況で微笑むレイバーンを不思議そうに見つめたミケは、やがて決意を含んだ顔で、肩に置かれたレイバーンの手に自分の手を重ねる。


「ミケ。そしてダイアナ。お前もだ。アトラス皇帝として命ずる。できうる限り、我が息子アルヴィンと皇女ヴェロニカの助けとなれ」


 レイバーンは、不器用に目元を歪めてミケを見下ろした。


「……これで、少しは消滅が遅れるはずだ」

「陛下……感謝いたします」

「行け! 」


 ミケとダイアナが影に姿を消す。グラスを掲げたレイバーンは、それを確認するとグラスを傾け飲み干した。唇も拭わずに、背後に立ち尽くすダッチェスへと告げる。


「大儀であった」

 大きな背中が揺らめく。

 ゆっくりと、砂ぼこりにまみれた床へと崩れ落ちていく。


 ●


 ミケは建物に落ちる影の中を跳ぶ。形をなくし、影に溶け、闇から闇へと。


「ミケ、ミケ! ちょっと止まって! 」

 ダイアナが誰もいない廊下で、慌てた声で引き留めた。


「ダイアナ! でも」

「ここにいても、主のようすは分かるはず。今行ったところで逃げることはできません。わかるわよね」


 ダイアナは隠形を解き、いつもの老女の姿を取った。それにならって、ミケも三つ編みを垂らした少女の姿となる。


「はい……すみません」

「いいの。あなたはまだ十四歳よ。それよりもね」


 ダイアナはミケの手を取った。震える手をさするように両手で包み、うつむくつむじに言う。


「コネリウスさまの語り部のルナを知っていますね? 彼女は、遭難されたコネリウスさまに水を運んで命を繋ぎ、その行いで誓約に触れて消えました。でもね、ミケ。ルナは誓約に触れても六日は生きたのよ。コネリウス様に救助が来るまで持ちこたえたの」


 ミケが顔を上げた。握っていた手を頬にそえて包み、ダイアナは言い聞かせる。


「あなたは陛下からお言葉を賜った。だからもっともつはずよ。じっくりと考える時間はある。皇子たちを逃がしても十分な時間が、あなたにはまだ残っているの。残っているのよ」


 ミケの瞼の端から、ついに涙がこぼれた。親指でそれをぬぐってやり、ダイアナはミケを抱きしめる。


「このダイアナはミケを誇りに思うわ。マリアやダッチェスが何といってもね。わたしはルナとともにジーン様とコネリウス様にお仕えした日々を忘れたことなんてないの。わたしももし、ジーン様がコネリウス様と同じことになられていたら……何度もそう考えたものよ」

「わたし……どうして、どうしてアルヴィン様がって、ずっと思って、がまんができなくて」

「同じことをしたルナは二百歳を超えていたけれど、ミケはたった十四歳じゃないの。大丈夫。アルヴィン様も認めてくださる。あの方もまた気高い方だもの。あれだけの啖呵を切るのは、怖かったでしょう。主に会う前に流しきって、さっぱりしていきましょうね」

「どうして、どうして、」


 やがて言葉も無くして泣きわめくミケの頭を、ダイアナはしばらく抱えていた。


 ●


 嫌な夢を見た。

 無人の学校をアルヴィンは歩いている。斜陽がさしこむ窓を避けるように、アルヴィンは見慣れた学舎を歩いていた。


(……図書館に行かなくちゃ)

 腕の中には、ずっしりと分厚い本が三冊もある。返却期限は二週間も先だったけれど、アルヴィンは早く次の物語に溺れたかった。足並みはしぜんと早くなる。このつらい日々から逃れることができるのは、寮の部屋にこもって、物語を読んでいるときだけだったから。


 ――――物語は、なんびとも差別いたしません。

 アルヴィンのつらい日々を見て、ミケがそう言ったから。


 海を越えた先にあるこの学校には、いろんな子供がやってくる。王族も、商人も、貴族も、外国人も。なにを学ぶかも、それぞれ違っている。共通しているのは、幼い彼らが、保護者の意志で学費を持たされてここに閉じ込められているということだ。その子供の意志ではない。

 アルヴィンにとって、この学び舎は、望まない競争を強要され、欺瞞と虚飾で身を固めることを推奨する、汚泥の沼のような場所であった。


 最初は同級生や勉強への期待があったが、皇子であるアルヴィンに近づいてくるのは、権力に鼻が利く生徒ばかりで、やがてアルヴィンが四男だと知ると、「たいしたことがない」などと勝手に言って去っていった。それでも、いくらか気軽に挨拶できる友達未満のようなクラスメイトはいたのだ。しかし、気付けばアルヴィンは孤立していた。図書館と教室と寮の往復の日々の中、決定的だったのは、ミケと話しているところを見られたことだった。


 自分の影と話す。その行為は、アルヴィンの故郷を知らない子供たちには奇異に映った。

 ――――アルヴィンが想定したより何倍も。


 どこから話が湧いて出たのか、アルヴィンの試験結果は、語り部を使ったのだという話になっていた。教師陣にも、なかば疑われていることを肌に感じるようになり、鏡越しの自分の視線すら煩わしいほどに、すぐに誰とも会いたくないと思う日常になった。


 悪意ある噂は、悪意ある人を呼び寄せた。たちの悪い同級生。大柄で声が大きく、取り巻きが多い男子生徒。故郷では受けたこともない、悪意と無礼と暴力。暴流する頭の中を鎮められるのは、物語に触れているときだけだ。

 語り部であるミケは何もできない。アルヴィンが頼んだから、アルヴィンが部屋にひとりでいても姿を見せない。ときおり陰から手だけを伸ばして撫でてきたり、目覚めるともう一人ぶんの温もりがあったりする。


 勉強どころではなくなって、成績がどんどん落ち込んでいった。体調を悪くして、ベットから出られない日も多くなった。


 ある日、男子生徒が寮の部屋に押し入ってきた。「暇つぶしに来たんだ」と薄ら笑いで、魔人というものを見せろと迫った。

 早く帰ってもらいたくて、見せるだけなら、と応じ、あらわれたミケの姿に、男子生徒はすこし怯んだ。ミケが思いのほか『人間らしい』姿をしていたからだった。

 男子生徒は怯んだことに恥じたのか、取り巻きに見せつけるように、冷酷なことを宣言した。


「よくできた人形みたいなもんなんだろ? じゃあ、見えないところはどうなってんのかな」


 ボスのいう疑問は命令だ。少年たちの中で次にすることが決まるのが分かった。

 やめろ、といつになく強い声が出た。かんたんに転がされ、押さえつけられる。これが本物のフェルヴィンの男なら、逆にこの場を支配していたのはアルヴィンだっただろう。

 アルヴィンの胸に、忘れていた感情が、焦りとともに蘇った。


 椅子をつかみ、窓に打ち付ける。ガラスが割れて窓枠ごとはじけ飛んだ音に、少年たちは一瞬びくりとした。


「ミケ。戻れ」

 アルヴィンは低く命令した。おもちゃを取り上げられて、少年たちは不機嫌になる。


 アルヴィンの胸に、薄暗くどろどろとした復讐心が流れ出す。

 まだ足らない。こいつらはまだ止まらない。なら僕も、やらなければならない。


 寮の窓は、アルヴィンの肩がやっと通るほどだ。アルヴィンは椅子を床に放り投げた。カーテンがはためいている。その裾をおもむろにつかみ、握り締めて、後ろ向きのまま飛び込んだ。


 日焼けで褪せた薄いカーテンが、数秒だけアルヴィンの体を宙にぶら下げる。窓の中ではなく、外から悲鳴が聞こえた。誰かが見ている。この部屋は校庭に面しており、夕食まで無人ということはない。そうだ。窓から首謀者の男子生徒が身を乗り出して顔を出した。そうだ、いいぞ。


 地面に横たわりながらも、痛みにうめきながらも、その胸には達成感があった。

 男子生徒は「あいつが勝手に落ちた」と言うだろう。でもそんなもの、これで誰も信じない。


 アルヴィンの夢見た留学生活は、こうして半年を目前に幕を下ろした。

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