下巻 灼銅の魔人
四章 皇子アルヴィン
第13話 『審判』の白鯨
●
最初は、自分の目がおかしいのかとサリヴァンは思った。
《 継承者を認証。グウィン・ランスロー・サーヴァンス・アトラス 認識。受諾。》
《 継承者の証明レガリアを承認。製造番号15独立端末ベルリオズ 》
《 ベルリオズ。詩歌の登録を行って下さい 》
寡黙な語り部は、ずっと主の斜め後ろで跪き、首を垂れていた。
語り部が詩歌を語り出す。
そのころからだ。目の前が何度も、瞬きをしたように暗くなる。サリヴァン自身の鼓動と合わせるように、『書斎』が他の違う風景と重なって見えていた。
《 時は来たれり 》
幻聴まで聞こえてくる。
《 時は来たれり。誓いの時は訪れた 》
目の前では、語り部が自らの詩歌を言い終えて下がるところだ。
《 証明を承認。登録。 これより継承者の死亡まで、語り部ベルリオズの詩歌は保全されま―――― 》
音が遠い。かわりにあの声のほうが、より明確になっていく。
目の前はすっかり暗い。そこで初めて、重なる風景があの部屋の窓の外に見た星の海だと気が付いた。
暗いわけだ。それは、その星空にぽっかりと浮かぶ、天蓋を裂いてできた白い穴のように見えた。純白の巨体がそこに横たわっていた。
「時は来たれり。この時を私はずっと待っていた」
まるで鼓膜に直接呟かれたような、頭の真ん中に響く声で、星の海に浮かぶ白鯨が言う。
「三千五百年。長い眠り。長い沈黙。長い忘却……。私が必要となる時がようやく訪れた。つまり、私の終わりにも近づいたということ。……この時をどれほど待ったことか」
白鯨は、語尾にため息のような吐息を混じらせる。
白鯨の声は不思議だった。男と女が重なって聞こえるのだ。だんだん混ざり合って、気が付けばその声色は、どちらともつかない一つの声になっている。
すると、いつしか白鯨の巨体は姿を消していた。
風が無い凪いだ星の海にいて、白髪をなびかせる人影がある。髪が白ければ、肌も光るように白い。華奢な体にまとう服もまた白く、ゆったりとしたシルエットで、性別は分からない。年も、一見して子供のように見えるが、「では何歳くらいだ」と問われると答えに窮する。
切り取られたように白いその人物は、目蓋の下から現れた瞳だけが、鮮やかな左右違いの金と蒼だった。
「我が身に与えられた名は《審判》。管理者の一人。中立者として候補者の選定を任されたもの。『皇帝』の戴冠を成したあなたには、『教皇』の候補者として認められました。承認には、『宣誓』が必要になります。『選ばれしもの』となるか……ならないか。いかがなさいますか」
「なる」と、即答することはできなかった。
ずいぶん前から分かっていたことだったはずだった。サリヴァンには預言がある。それでも荷が重い。
『審判』は言った。
「わたしは語り部たちと同じ。このゲームにおいて、公平を規すために魔女の手により用意された『審判』の選ばれしもの。私の役割は運命の代弁者。導かれ、告知すること。もう時間がありませんよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
誓うとしたら、何を誓えばいいのだろうと考える。
『預言』に導かれ生きてきた。それが定められた運命だと。
運命とやらを疑ったことは……もちろんある。あったけれど。
「御決断の時です」
そのとき、ばちりと視界が切り替わった。思いっきり光が差し込んだように、目の前が波打っている。
……めまいの中、男の厳かな誓いの声が聴こえる。
「……我が名、グウィン・サーヴァンス・アトラス。宿る血において『皇帝』の継承を受諾」
(……ああ、くそ)
「……御決断を。時が迫っております」
手のひらの中に『銀蛇』が戻ってきている。魔法使いにとって杖は象徴だ。肉体の延長線上にある、もうひとつの自分。
(おいコネリウス!てめえは何してる! この人と違って、おれは自分が生きているうちに『審判』が起こるって分かってたはずだ! 覚悟なんて、とっくにできてるはずだっただろうが!)
口から出たのは、自分のものとは思えない擦れた声だった。
覚悟は出来ているはずだった。子供のころから『おまえは特別だ』と、そう師に言われて育った。
ただの『サリヴァン』として、杖職人の弟子という隠れ蓑をまとった生活で、ときおりそれを思い知らされた。
子供は学校へ行く。子供には両親がいて、兄弟がいる。同世代の友達と遊ぶ。
サリヴァンには、全部無かった。
師にくっついて、杖職人として、魔術師としての修行の日々。店を訪れるのは大人ばかりで、同世代の子供なんて、ヒースくらいしかいなかった。
しかしヒースもまた『影の王』の子として、一般的な子供には程遠い。十五歳で、航海士として家を出たヒースは、眩しい、孤高の存在のようで。
―――—おれは、どこにも行けないのに、と。
『アンタ、いったい何なんだ』
出会ったころ、相棒にそう尋ねられたことがある。サリヴァンは、とっさに答えられなかった。
『サリヴァン・ライト』は、どこにでもいる孤児で、職人見習い。誰もが騙された偽りの地位。でも今さら、ライト伯などと名乗ったところで、『サリヴァン』はどこに行くのか。『コネリウス二世』に塗りつぶされてしまうのか?
そんなわけはない。そんな都合のいいこと、あるはずがないのだ。
サリヴァンは学んできた。出会ってきた。この日を待っていた……はずだった。
『なにがそんなにキミを頑なにさせるの。たかだか十四歳のガキが』
分からない。まだサリヴァンには、分からないことだらけだ。分からないままで、いいのだろうか。
「 戴冠は成された。我が名を得たり。我がさだめを得たり……我がさだめは『教皇』――――」
苦い唾を飲みこんだ。サリヴァンは顔を上げることもできない。
こんなふうで、本当に自分は大丈夫なのか。ちゃんとやれるのか。
(おれは――――後悔しないだろうか)
「審判の名において選抜された、知恵授かりしもの……っ」
『そんな覚悟で……何のために戦えるっていうの』
幼馴染が言った言葉を思い出す。
『……預言のせい? 特別だから? さだめだから? そうして言われるがままに生きて、死んでいくの? そんなの……私は納得できないよ。だって、悔しいじゃあないか。運命がすべて決まっているっていうんなら……あなたがそれでも後悔しない、従うって覚悟してるんなら……わたしには、何も変えられないって言われているみたいだ。悔しい。悔しいよ……』
サリヴァンのために泣いていた彼女の言葉を思い出す。
……ああ。そうだ。
サリヴァンは顔を上げた。
(……なあ、エリ。おれ、あの時は何も言えなかったけど、今なら少しは、『違う』って言えるかもしれないんだ)
自分が世界を救うなんて、今のサリヴァンには言えない。自分のことでまだまだ精一杯で、未熟者で……。
(でもおれには)
――――おれが求めるものは。その覚悟は。
――――おれが、この世界に誓えるものは!
《 ピッ 条件を達成しました 》
《 『教皇』の出現 》
サリヴァンは今、いくつかの顔を思い出している。
サリヴァンが振り返れば、いつだって後ろにはその人たちの姿がある。
サリヴァンがみんなの道を切り開くことができるなら。
これがそのチャンスなら、サリヴァンは、まごまごと座って、運命を待っているわけにはいかない。
運命だと?
(ンないつ来るかわからねえもんッ、クッッソくらえだ! )
「『教皇』として【認証】! 我が名はコネリウス・サリヴァン・アトラス・ライト。ここに【宣誓】する! 」
《 ピッ 【教皇】の【宣誓】を受諾。記録しました 》
《 条件を達成しました 》
床に落ちた自分の影の中に、ぼたぼたと汗が滴り落ちていく。
……やってしまった。
もう戻れないのだろう。サリヴァンの胸に、じわじわと実感が湧いてきた。
ああ、エリ。おれは後悔するかもな。
きみはまた、泣くんだろうか。それとも笑ってくれるだろうか。
でも、これはおれが決めたことだから、できれば笑って、「仕方ないんだから」と言ってほしい。
……もう、考えるのはあとにしよう。
目が覚めたら、考えよう。
きっと、なんとかなるだろう。
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