第10話 混沌の夜の預言

 ●


「コネリウスさまの声だ! 」

 と、語り部トゥルーズがおもむろに喜色満面に叫んだ。


 ひょろりと背の高い、そばかす顔の少年の姿をした魔人トゥルーズの主人であるヒューゴ王子は、金髪碧眼の色男である。

「コネリウス? ……誰だっけ」

 かたわらの兄にたずねると、彼は神経質そうに弟を睨んだ。


「……ジーン陛下の廃嫡された弟君の名が、コネリウスだったな」

「でもそんな人が助けに来るか? いま生きてたら何歳だよ。うちの父親より年上なのに」

「御存命のはずだよ」

 と、さらにその横から言ったのは、熊に眼鏡をかけさせたような大男だった。


「魔法使いの辺境伯家に婿として入られて、いまは九十を超えていたはず。病んだというお話は聞かないから、お元気なのだろうね」

「いやいや、それにしたって、外国から助けが来るのは早くないか? 」

「トゥルーズの言うコネリウスが、そのコネリウスなのかは分からないだろ。まださ」


 次男のケヴィンは、『そんなことも分からないのか』という顔で弟を見つめた。

「確かにな。おい、トゥルーズ。そのコネリウスはどこのコネリウスのこと言ってんだ」

「そのコネリウスさまの若いころのお声がするんですう」

「はあ? おまえまた語り部のくせに適当言いやがって」

「……また亡霊じゃあないだろうな」


 兄弟は顔を見合わせた。ふざけあっていた空気は払拭されて、緊張感が漂った。ケヴィンの空咳だけが響く。


「ケヴィン」

「分かってるよ兄さん。任せる」


 ケヴィンは床に敷いていた布の上から立ち上がり、一番奥の本棚まで下がる。大柄な長男グウィンと、俊敏そうな三男ヒューゴが、闇に沈む本棚の奥を睨んで、体の弱い次男を守るように立った。

 静寂の中に、近づいてくる足音が聞こえた。


「誰だ」

「わたしです」

「なんだ、ダッチェスか」

 皇子たちは肩を落とした。


「なんだとはなんですか。こんなに愛らしいわたしに向かって失礼ですこと! 」

「コネリウスさまだ! 」

 甲高い声でトゥルーズが叫んだ。とぼけた語り部に指をさされて気まずそうにした少年が、ダッチェスの後ろに立っていた。


 ●


「これこそ、『役者が出そろった』ということ。素晴らしいですわね」

 皇子たちは、「そうなのかなぁ」という顔で、三方からダッチェスを見下ろした。


「……コネリウスさまの曾孫? 」

 ケヴィンがサリヴァンに向かって言う。複雑な気持ちで、サリヴァンは頷いた。


「魔法使いの国では、その大いなる奇跡を成すために、ひとり一本、かならず杖をお持ちになるとか。サリヴァンさまは、国唯一の杖職人であり偉大なる魔女アイリーン女史の一番弟子であらせられます」


「なんでアンタが誇らしげに紹介するんだよ」

 ダッチェスの簡潔な説明に、ジジが不満そうに口を歪めた。


「あら、語り部の口から出る言葉に嘘偽りはありませんから、身上を明かすに手っ取り早いでしょう? 」

「ねえサリー。ボクさ、この小娘のこと、きらいかもしれない」

「まあ! 小娘ですって! 見た目で判断なさらないでちょうだい。これでも稼働してから二千年。稼働中の語り部で最年長なのよ! 」

「ほらぁ! こいつ小娘じゃん! 」

「……お前らさ、似た者同士なんだから我慢しろよ」

「騒がしいのが増えたなぁ」


 感嘆したようにヒューゴが言った。見た目からしていかにも陽気な三男坊は、うれしそうにグウィンを見る。


「うん。きみの語り部とダッチェスは良い関係のようでうれしい。歓迎するよ」

 サリヴァンの頭をすっぽり包めそうなほど、大きくて分厚い手が差し出された。まるで大人と赤ん坊のような握手を交わして、サリヴァンは肩をすくめる。


「ジジは語り部というわけではないんです」

「そうなのかい? とてもよく似ているけれど」

「その似ている意味を、調べている途中で」

「ほう」

 グウィンの眼鏡越しの灰色の瞳が興味に輝いた。「ここを出たら、調査に協力したいところだな」


「おしゃべりは後だ。差し迫った問題について話し合おう」

 場を仕切り直したのは、次男のケヴィンだった。

 神経質と生真面目の擬人化のような痩躯の男は、「それで」と、ダッチェスを見る。


「語り部であるきみが、自主的に彼をここまで案内してきたというのは、どういうことなのかな」

「まあ、ケヴィン様! よくぞお聞きくださいました! 今のわたしは、ただの語り部ではなく、『皇帝の語り部』としての職務に従事しております。端的に申し上げましたら、グウィン様が『皇帝』を継承なされる儀式に、このサリヴァンさまが必要なのでお連れいたしました次第です。我が国の戴冠式は、本来であれば、かの国から高位の神官をお呼びして同席していただくしきたり。皇子さまがたは、レイバーン様の戴冠式のときはまだお生まれではありませんでしたもの。知らないのも無理はありませんわ」


 ダッチェスは嬉しそうに微笑んだ。

「それでは、アトラスの皇帝が、この世界にとってどんな意味を持つのか。この現状において、それがどんなに大いなる結果を生み出すのか。それをご説明いたしますね」


 ダッチェスはおもむろに立ち上がり、天井に向かって円を描くように腕を振るった。


 灯りが一瞬にして消え、天井に星が瞬く。実際の夜空よりもさらに深く、どこまでも続いていそうな満天の星空が、六人の頭上を覆った。


「かつてこの世には、混沌だけがありました。そこから最初に生まれ出でたのは、一匹の蛇。『混沌の蛇』は、泥の中から一柱の神の目覚めをともにし、その『混沌の神』が、泥から世界の部品をひとつひとつ、拾い上げることをお手伝いしました」


 それは、魔法使いなら子供でも知っている創世神話だった。魔法使いの国の国土は、この『混沌の蛇』の抜け殻が、そのまま今の大陸になったと伝わっている。


「太陽が生まれ、昼と夜が生まれ、海と大地が生まれ、雨が生まれ、空が生まれました。夜に月ができると、混沌の蛇は、『時』を作ろうと空に光を投げました。それらは空に張り付き、星となり、いくらかは落ちて卵となり、龍が生まれました。蛇は落ちた星のいくつかを『混沌』に戻すために呑み込み、そして未来を預言する力を得たのです」


 空の星々が、禍々しいほどの極彩色に輝きを増す。


「蛇は、世界の終焉をその目に見ることとなりました。絶望し、眠りについた蛇が再び目覚めたのは、蛇が生み出した神々が何代も世代を重ね、人類が鉄の時代まで下り、神々の戦乱の時代『混沌の夜』が始まってすぐのこと。始祖の魔女が、蛇のもとへやってきたのです」


 星が流れる。

 流星が幾筋もの帯を引いて、地平線で赤く燃えていく。


「始祖の魔女が蛇に交渉材料として持ってきたのは、未来の改変でした。人々を救い、英雄を育てること。ほろびの預言をくつがえす、二十二人の人間たち。結果として、蛇は始祖の魔女に協力し、世界に光を取り戻し、神々との交渉の場を持ちました。


 まずは、人類存亡の審判をやり直すこと。始祖の魔女が要求したのは、人類にチャンスを与えることです。神々が定めた試練を、二十二人の人類の代表者が乗り越え、神々の国へ辿り着くこと。それが人類最後の審判。


『愚者』『魔術師』『女教皇』『女帝』『皇帝』『教皇』『恋人』『戦車』『力』『隠者』『運命の輪』『正義』『吊るされた男』『死神』『節制』『悪魔』『塔』『星』『月』『太陽』『審判』『宇宙』


 我がアトラス王家は、その審判に備えるために設けられた墓守の一族。語り部とともに、この最下層で『二十二人の選ばれしもの』たちの旅の始発点を守り、その旅に同行を許された『皇帝』の称号を受け継ぐもの。そして『皇帝』の血を絶やさぬために我々語り部が与えられました」


 小さな見習い魔術師のように、ダッチェスが大きく腕を振った。本棚の森の奥から、黄金に輝く銅板があらわれる。


「フィガロ、フィリック、シャイアム、オリヴィア、ギデオン、トーマ、ルナルド、シャーロット、シルベスター、クロウ、バロン、トミー、キッド、ガーフィール、ダイアナ、アルテミス、モルガナ、セクメト、ベルリオズ、マリア、トゥルーズ。


そしてわたしダッチェスと、破壊されたミケとルナ。以上、計二十四枚の語り部魔人たち。我々の役割は三つ。

皇帝一族の血を守ること。『審判』の儀式の概要を保全し伝えること。そして『審判』そのときのために、九人の主からたまわった魔力を使い、選ばれしものへ、おおいなる力を与えること。


 語り部たちの銅板が、瞬きながら消えた。

 星空も姿を消し、そこは暗く沈んだ『本の墓場』だった。


「『審判』はすでに始まっております。すでに『魔術師』や『宇宙』をはじめとする四枠が、神々により選出されてしまっているのです。そのうち『皇帝』の権利は、いまだ亡霊であるレイバーン陛下のもとにある。


 グウィン様は、『皇帝』の全権をレイバーン陛下から剥奪するため、戴冠の儀を早急に行わなければなりません」


 ●


 一のさだめは愚者。やがて真実を知るさだめ。

 二のさだめは魔術師。種をまいた流れ者。

 三のさだめは女教皇。始まりの女。

 四のさだめは女帝。あらゆる愛の母たれや。

 五のさだめは我らが皇帝。秩序の守護者。

 六のさだめは教皇。知恵を授かりしもの。

 七のさだめは恋人たち。自由なる苦悩の奴隷。

 八のさだめは戦車。闘争に乾いたもの。

 九のさだめは力。力制すもの。

 十のさだめは隠者。愚者がやがて至るもの。

 十一のさだめは運命の輪。予言に逆らいしもの。

 十二のさだめは正義。秤の重きは全の重き。正義の剣は全のために。

 十三のさだめは吊るされた男。真実に殉じるもの。

 十四のさだめは死神。再生の前の破壊。破壊の前の再生。

 十五のさだめは節制。意思なき調整者。

 十六のさだめは悪魔。恐れるは死よりも孤独。誘惑を知り、操るもの。

 十七のさだめは塔。巡り合わせた罰。楽園からの転落。

 十八のさだめは星。希望の予言。賢人の道しるべ。

 十九のさだめは月。透明な狂気のヴェール。魔女の後継者。

 二十のさだめは太陽。祝福されし生命。

 二十一のさだめは審判。神の代官。審判の具現化。

 二十二のさだめは宇宙。あらゆるものの根源にして、全きが至るもの。


「それは? 」

「魔術師の間に伝わる、『選ばれしもの』二十二人を暗示する始祖の魔女の預言です」

「へえ、覚えてるのか」

 諳んじたサリヴァンに、グウィンは目を丸くした。


「アトラス王家にも伝わっているが、とても全部は覚えてないよ。教養のためだと言われていたが、こんなに大事になるとはなぁ」

「まさか自分たちの代で最後の審判が起きるなんて、思わなかったからだろ。今でも信じられねえもん」

「ヒューゴ、不謹慎だぞ」

「そういうケヴィンは肩肘はりすぎ」


 ダッチェスの先導で皇子たちを引き連れ、サリヴァンはふたたびあの廊下を歩きだしていた。

 グウィンが低くつぶやく。


「皇帝は、『秩序の守護者』か」

「治世者なら誰もが目標とする文言だな」

 次男のケヴィンが、眉間に皺を寄せて皮肉っぽく言った。「アトラス王家のすべての皇帝が『秩序の守護者』であったわけじゃないのに」


「おまえの言うとおり、そうありたいとは、すべての皇帝が思ったことだろうね。大丈夫さ。わたしの側にはお前たちがいるのだから」

「兄さん……」


「アーもう! 暗いなぁ! 」一番後ろを歩いていたヒューゴが、長い脚を駆使して列の前方に躍り出た。

「トゥルーズ! おまえ、さっきの預言の詩に曲つけて歌にしろ! 子供でも覚えやすいようなやつだ」

「いいんですかぁ! 」

 ぴょん、と飛び跳ねながら、壁際の影から、そばかす顔の痩せた青年が躍り出た。にこにこと自分の影から弦楽器を取り出し、歩きながらチューニングを開始する。


「サリヴァン。紹介するぜ。こいつがおれの語り部トゥルーズ。頭がゆるいが、楽器全般なんでもできるすげー奴だ。次は兄さん」


「そういう流れか? 」グウィンが苦笑して、自分の語り部を呼んだ。

「ベルリオズ」


 執事のようないでたちの黒衣の男が、グウィンのすぐ横からあらわれて目礼した。天井に頭を擦りそうなほど大柄な主人とはずいぶん差があるが、サリヴァンの目からは十分大柄に見える。体が分厚く、背筋のしゃんとした壮年の男だった。


「このオヤジが、うちの長男の語り部ベルリオズ。無口でデキる雰囲気だけど、じつは我が家の語り部の中ではミケの次に若い。ほら、ケヴィン」


「……マリア」

 ケヴィンが不承不承といったふうに呼ぶと、床に長く伸びた影の中から、見えない階段を上がってきたかのような足取りで、黒いヴェールの妙齢の女があらわれた。


「この、主人そっくりなのがマリア。こんなんでも恋愛小説の名手だ。浮いた話もない兄貴のどこに惚れたんだか分かんねえけど、見ての通りお似合いだろ?


 あとは姉貴のダイアナには会ったな? アルヴィンのミケは飛ばすとして、最後にそこを歩いてンのが、親父の語り部のダッチェス。多忙な親父の語り部で、おれたちの母親代わり。得意技は、誓約の穴を突いて説教すること」

「ヒューゴさま! 」

「そうそう。こうして名前を叫ぶんだ。名前を呼んだだけなら誓約には触れないからな。ただ声がクソでかいから、すげー怖い。……まあ、別に全員覚えなくてもいいんだ。どうせ勝手に出てくるトゥルーズ以外はずっと影にいるからな。でも一緒にいるなら、名前と顔くらい知っといてほしくてさ」


 おもむろに、トゥルーズが細い声で節をつけて歌い始めた。豊かな演奏が、美しい歌声に続く。

「……ヒューゴさま、出だしはこんなんでどうですか? 」

「いやお前、もっと早いほうが歌ってて楽しいだろ」

「荘厳なかんじを目指したんですけど」

「荘厳なかんじのまま、テンポを早くするんだよ。耳に残る感じになるだろ。たとえばこうだ」


 高らかに歌い出した弟に、ケヴィンが顔をしかめて、サリヴァンにはじめて話しかけた。

「騒がしくてすまない。語り部をバンド仲間にする変な弟なんだ」


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