第17話 病み上がりの二人②

「怪異がいるんですか」

 梁坂さん曰く、敵側に怪異が居るらしい。その時点で少し嫌な予感がした。まさか、ペンションに向かった際に鉢合わせかけた、あの怪異だろうか。

「少なくとも一体は確実にいるな」

「ちなみに、どうして怪異だと分かったんですか」

「上手く言えないけど、気持ち悪いんだよ」

「気持ち悪い?」

「うん、多少の気持ち悪さは並の人間にもあるんだけど、質が違うというか……。そう、重くて粘り気があって、まとわりついて離れないような空気感が心の声にも現れる……って言えば伝わるかな」

「なんとなく、わかりました」

「まあそんな奴がとりあえず一体いた――」

 突然彼女が身を屈める。耳も塞いで、よく見たら小刻みに震えている。

「やばい、ヤバい、桁違い、あり得ないって、なんだよこの殺意……!」

「どうしたんですか!」

「は、はは、これは無理だ……やだ、やだよ、私まだ死にたくない、暁、私……こ、怖い……!」

 少しじゃない、かなり逼迫している。彼女の普段の強がりが霧散し、一人のか弱い女性となっていた。

 香奈の様子をすぐに確認するが、やはりこちらも普段とは違う。姿勢を低くして、持っている匕首も既に抜刀していた。

 この異常事態に気付けていないのは、自分だけだった。

「やだ、やだ……来ないで、許して…………お願い……します……」

 耳を塞いだままの今の彼女には、どんな声かけも無意味だろう。庇うように立ち回り、香奈と共に病室の出入り口を見張る。

 持っていた匕首も抜刀しておき、近づいてきているらしい怪異に備えた。

「香奈、わかるのか」

「わかりますよ、こんな圧倒的で寒気のする殺気……。怪異同士であっても、力の弱い存在だったら、きっと気圧されて怯えるでしょうね」

 そんなに凄まじいとは想像していなかった。この戸の前を通る怪異の恐ろしさは、目を合わせずとも理解できてしまう。

「……き、来ましたよ」

 その言葉通りで、足音が自分の耳にもしっかり伝わってきた。トスン……トスン……と、フロアマットを踏み締めて歩くような音が、少しずつ、確実に近づいてきていた。

 その足音は建物の入口からこちらに向かっているようだった。

「……気付いてくれるなよ、頼む」

 正直、彼女を庇いきれる自信がない。ただでさえ病み上がりの状態。もし六通を使おうものなら、以前より長い間動けなくなるだろう。

 しかし、祈りは届かなかったようで、目の前の戸はゆっくり、音を立てずに開いてしまった。

「うっ、何、だ…………」

「ぅあっ……」

 まるで二人とも、強制的に膝をつかされたような感覚だった。目の前の怪異を視認する前に、こちらの姿勢が崩された。

 場の空気が重いとか、そういうのじゃない。力が入らない、力めない。立ち上がるのが苦しく、辛い。

 幸い、思考は巡る。何が起きたのかを理解する事は難しくなかった。だが、状況を打開する方法を練るだけの時間があるかどうかはわからない。まずは相手の怪異が一体どんな存在なのか、それを見極めなくてはならない。

 床一点を見つめている目を、何とか持ち上げ、戸の前にいるであろう怪異に向ける。

 そこにいたのは、錆びついた鉈を手に持った、痩せた体躯の男だった。この場、この時代にそぐわない装いで、さらに服として機能していない程に廃れていた。

 そんな男が、ただの人間であるはずもなく、その証拠に、左の鎖骨辺りから右の脇腹までに大きな傷が一筋走っており、腹からはその内容物が溢れていた。

 過去、袈裟斬りをされた人間が怪異化したものと考えるのが自然だろう。

「コ、コ――殺サ、ナイデ」

「こっちの台詞、だっての……!」

 恐らくこいつは、日本刀か何かで斬られたことが死因。この匕首が視界に入れば、それこそ過去の出来事と結びついて発狂するかもしれない。それは香奈も理解しているらしく、そっと手に持っていた匕首を納刀し、背後に隠していた。

 だが、これが使えないとなれば、こいつに対処する方法が無くなることになる。そうなっても詰みだ。どうする、どうしたらいい。

「違…………こ、こいつじゃ、ない……!」

 そう叫んだのは梁坂さんだった。彼女は手で顔を覆ってはいたが、指の隙間からこちらの様子を伺っていたらしい。

 そんな彼女が言うには、さっきまで怯えていた対象はこいつじゃない。そういうことらしい。

「嘘だろ、二体いるってのか……!」

「……後ろの、今走って――走ってる!?ヤ、ヤバい、死、死ぬ!殺され――」

「梁坂さん!」

 彼女が発狂寸前までに追い詰められたのが分かり、動かない体を無理やり動かして振り返り、覆い被さるように庇う。その時、目の前の怪異が動く素振りは見せていなかった。

「い、嫌……嫌!た、助けて…………!」

「梁坂さん、落ち着いて!」

 声を大にして伝えるが、やはり届かない。ただずっと、その場で震えることしかできていない。

 どうしようもない状況に冷や汗が止まらなくなった頃、怪異の呻き声が大きくなった。本当にどうしようもない、どう立ち回ればいいのか、皆目見当もつかない。

「死ニタクナ――――」

 その言葉は、まるで電源を切られたかのように、ブツリと途絶えた。話すのを止めたとか、舌を噛んだとか、そんなものじゃない。唐突に声が全く聞こえなくなった。

 何事かと思い、震え続ける彼女を胸の中で押さえつけながら、ゆっくり振り返ると、そこにいたのは、さっきまで怪異だった存在の返り血を浴びている、見慣れた人物だった。

「ふふふ…………。怪異、怪異、怪異……元凶も許さないから…………絶対に許さない…………ふふ、はははは」

 その声、その姿は、間違いなく怪異隊長、舞さんのものだった。だがその見た目、口調、雰囲気……そのどれもが普段のそれと合致しない。まるで別人だった。

 彼女は怪異の頭部を、どうやったのか縦に割いており、中にあった藁人形のような核を握り潰していた。その笑みは幸せを運ぶものではなく、自らの欲求、願望、怨み、報復心、復讐心……それらを満たした故に溢れたもののように伺える。そんな悍ましさだった。

「みんな殺すよ…………悪い怪異も、悪い人間も、みんなみいんな殺してやる……。ふふ、ふへへ……」

「ま、舞さん……?」

 彼女が部屋に入ってきてからというものの、場の空気が重すぎる。さっきの怪異が原因でない事はよくわかった。

「は、八風!?お前、怪異だったのか……!?」

「……あ、二人ともいたんだ。ふふ、見られちゃったあ。そう、私は怪異。怨恨性、友好性で極上の怪異だよ」

 その事実は自分だけじゃなく、先輩である梁坂さんですら知らなかったらしい。

 普段から突っかかるような態度を取っていた彼女だが、今ばかりは畏怖を込めた目で、目の前のを見つめることしかできていない。

 今まで感じたことのない程の殺気が、普段優しい、聖人とまで呼ばれていた人から溢れていたなんて、想像できるはずもない。

 ――今、二人って言ったか?

「怪異はみんな殺す…………私を虐める存在もみんな殺す……そう、殺す。絶対に殺す…………」

 なんだか、様子がおかしい。普段の雰囲気が違うのは勿論そうなのだが、何か、今この瞬間に、決定的な変化が起きたような、そんな雰囲気、気配があった。

「修一さん、嫌な予感がします。舞さんと私から離れてください」

「暁、蜜坂の言った通りにしろ……。こいつ、八風は今、

「敵……怪異……みんな殺す。仇、仕返し、復讐、殴殺、鏖殺……!ふは、あハハハハハ!」

 目の前の舞さんが高らかに笑い出したと同時に、香奈は納刀していた匕首を抜刀。鞘も捨てずに手に握り、前身を守るように腕を交差させて構えた。

「逃げて!」

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