第18話 豹変

 香奈が叫んだと同時に、目の前にいた舞さんの姿が消える。その様子は、六通神足を使用した香奈の物とかなり似通っていて、激しい突風のような空気がぶつかってきたり、辺りの塵が舞い上がったりしていた。

「がはッ……」

「あはははっ、香奈ちゃんだって怪異だもんね……ふはは、こ、殺さなきゃ……ふふはははは」

 凄まじい速さで懐香奈のに入り込んだらしい舞さんは、香奈を右手一本で押さえ、封じ込めていた。

 香奈も防御は間に合っていたが、両手で交差させた匕首とその鞘、それらを使ってなんとか舞さんの右手を防いだといった様子だ。

 だが、その力は予想を遥かに超えていたのか、防いだ姿のまま反対側の壁、月が覗く窓際まで押し込まれており、壁に背面全体を打ち付けられていた。

「なんの因果にも恵まれなかった私……。その私が今や、因果を操る側なんて、皮肉だよねえ……。へへ、ははは……アハハ」

「因果を操る……い、因果だって……!?香奈!逃げろ!」

 ――因果って、因果律とかのアレだろう。そんなものどう操るのか見当がつかないが、洒落にもならない事だけは嫌なぐらいわかる。

「わ、私はいいからッ……修一さん!は、早く逃げ――」

「黙レ死に損ないがァ!」

 耳を劈く声に怯んだ時、激しい轟音が鳴り響き、目の前に粉塵が舞い上がった。それに咽せながら少しずつ後退していく。

 粉塵が落ち着いた頃、ようやく何が起きたかを理解できた。舞さんの目の前の壁が無くなって、外と繋がっている。轟音は壁が壊れた音、粉塵はその際の瓦礫から舞った物だった。

 そして、居るべきはずの香奈の姿は、そこにはなかった。

「香奈!?舞さん、あいつに何をしたんですか!」

「あの子?殺すんだよ、うん……。怪異だから、みんなの敵だから……。私はみんなが好きだから……。みんな好きだから殺すんだよ……。私はみんなが嫌いだから、みんなを殺す………………」

 だめだ、さっき感じた決定的な変化は確かに起きているらしい。この人にはもう、言葉が通じない、何も響かない、会話が成り立たない。支離滅裂になっている。

 さっき怨恨性、友好性怪異と自称していたが、恐らくそれは正しい。だからこそ、怨恨性の特徴であるが現在の行動に繋がり、暴走し、彼女を豹変させたのだろう。さっきから話している怪異への異様な執着、恨みは、過去の記憶からなのだと察することができる。

 しかし、友好性かどうかは、現時点では判断できない。確かに人である自分と梁坂さんに敵対はしていないらしいが、味方である怪異にまで手をかけるというのは、果たして友好性と呼べるのだろうか。

「私の全てを奪って壊して殺した怪異、人間、敵……。みんなみいんな殺す……許さないから…………許さない許さない、許さない!」

「暁…………変に刺激しないほうがいい」

「分かってます……。でも、香奈が……!」

「香奈ちゃーん、まだ生きてるよねえ?」

 崩れた壁から外を覗きながら、香奈を探している。こちらには興味がないらしい。あくまでもだけを始末するつもりなのだろう。

 だとしたら、退く機会は今しかない。香奈の言う通り、距離を離すべきだろう。

 ベッドに座りっぱなしだった梁坂さんを起こし、肩を貸した状態でゆっくり歩き出した。

 しかし一体、舞さんの身に何があったというのか。

「あは、香奈ちゃんみーっけ」

 どうやら見つかったらしい。その台詞から察するに、息絶えてはいないのだろう。それ自体は良かったが、この状態の舞さん相手に、どれだけ立ち向かえるのか……。いや、そもそも立ち向かったとして、勝ち目があるのかわからない。

 いくら考えても答えは出ない。今の自分たちにできるのは、この場を後にして体勢を立て直すことぐらいだ。

「――香奈、死ぬなよ」

 そう言い残し、部屋を後にした。

     ◆◆◆

――同刻、怪異隊長室にて。

「二人とも、移動しましょう」

 夜頼と琴音にそう提案したのは矢坂だった。彼女はこの部屋を狙撃したであろう敵が、既に移動したと判断していた。

「それは構いませんが……。つまりその、敵が来てるんですよね」

「ええ、規模はわからない。でも、どうも嫌な予感もする。隊長として指揮を執る必要がある以上、この場で隠れていても意味がない」

 そう言い、スーツの懐から光沢の無い、少し角張った拳銃を取り出し、マガジン内に弾薬が込められている事を確認する。そしてそれを戻し、スライドを引いて薬室内に弾を装填した。その手際は素早く、無駄がなかった。夜頼の素人目であっても、熟練された動きであると察することができる程だった。

 しかし、こんな物騒なものが出てくるとは思っておらず、彼は少し怖気付いてしまっていた。

「け、拳銃……。まさか、殺すつもりじゃ……」

「安心して。この機関には凄腕の……そう、医者がいる。少し危ない子だけど」

 手にした拳銃を顔の横で立てるように構え、落ち着いた様子で息を整えていた。

「ところで琴音ちゃん、聞きたいことがあるの」

「え?な、なんですか?」

「あなたが操れる物の対象と、その条件を詳しく教えて」

「条件……。私が持てる大きさと重さで、距離は大体……五から十メートルぐらい、です」

 矢坂は、琴音が伝えてくれた内容を小声で数回復唱し、小さく頷いた。

「ありがとう。万が一の時は力を貸してくれるかしら」

「…………一つだけ約束してください」

「何かしら」

 一呼吸の間を開けて、その水色の瞳を真っ直ぐ彼女に向け、普段の弱々しい声ではなく、はっきりとした声を出した。

「人を殺すことは、しないでください」

「わかったわ、約束する」

 矢坂は、端からそれを守るつもりだったらしく、自信に溢れる目で見つめながら頷いた。

「ありがとうございます」

「琴音、大丈夫か」

「うん、凛さんの為だから。本気でやる」

     ◆◆◆

――同刻、怪奇連盟本部入口にて。

「怪我人怪我人……。うーん、もういないかぁ」

 目に入った全ての患者、その治療を終えた水越は、落胆しながらその場を徘徊していた。

「静美、この場で一番軽症だったやつは誰だ」

「えっとね、確かこいつだよ」

 彼女は近くにいた男の頭を足で踏みつける。だが男の反応は薄い。痛がるとか、嫌がるとか、そういった表情がとても小さい。

「わかった。なら、こいつから話を聞く」

「ん、私はどうしたらいい?」

「そうだな……。ああ、もしうちの人間以外を見つけたら怪我させろ。殺さない範囲で」

「殺す訳ないじゃない!そんな勿体無いことしない!」

「……はいはい。とにかく、俺からあまり離れないようにしてくれたらいい。こいつへの尋問は早く済ませるから、少しだけ大人しくしてくれ」

「はーい」

 男の顔付近に座り込み、側に落ちていた拳銃を拾い、その銃口を男の額に押し付けながら、江浪は口を開いた。

「おい、お前。意識はギリギリあるんだろ。簡潔に答えろ、何人で来た」

「…………二十」

「人間以外もいるだろ。怪異は何体だ」

「…………三」

「誰の差金だ」

「…………鞍掛くらかけ

 鞍掛という名は聞いたことが無いらしく、江浪も水越も、ため息をついた。

「その鞍掛ってのは、どんな人間だ」

怪暗会かいあんかい……その幹部……」

 聞いたことのない言葉の連続に呆れてしまう。通常の尋問であれば、聞ける事を全て聞くのだろうが、相手は廃人手前の人間。これ以上深掘りした内容は聞くことができないだろう。

「……まあ収穫はあったって言えるか」

 手にした拳銃は、腰に普段から巻いているベルトに差し込み、ゆっくり立ち上がる。

 すると、周りをうろうろしていた水越が、少し跳ねながらこちらへと駆け寄ってきた。

「ねえねえ!今さ、今さ!また何か壊れる音がした!病室付近で!」

 江浪は「まじか……」とため息混じりで溢し、スカジャンに手を突っ込んで病室の方へ足を向ける。

「怪異は三体で、人間が恐らく十人と……。確かに、俺達の出番だな」

「あは!もしかして怪我してくれる?」

 彼女は彼の前に回り込み、腰を曲げながら笑顔で顔を覗き込んだ。

「ああ、患者を増やすわけにもいかないからな」

 対して、彼の顔に笑みはない。何よりも気怠さが勝っているらしい。

「どれぐらい?ねね、どんな怪我?捻挫?脱臼?骨折?」

「うるさい……。まあ、瀕死手前ぐらいじゃないか」

「んんんん、さ、最高……!早く怪我して、ねえ!」

「はぁ……。行くぞ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る