第16話 病み上がりの二人
――怪奇連盟控室兼寮、暁と蜜坂の部屋。時刻は十二時を回った頃に遡る。
何かが割れる音が聴こえ、寝ていた二人は目が覚めてしまっていた。
「んん……。誰か転けたのかな」
「ふわぁ…………んー、えと……。十二時ですか……。おやすみなさい……」
「…………うん、おやすみ」
事の重大さを知らない二人はそのまま布団に潜り、再び眠りに就こうとしていた。
だが、夢現の最中、向かいの部屋の扉が開く音が鳴り、夜頼と琴音の話し声も聞こえてきた為、
それ自体に文句はない。部屋から出た二人も決して悪気があるわけじゃない事も十分理解している。それに、今は体を休めることに集中しろと、隊長から指示をされている。明日の予定も、明後日の予定も特にない。あるとすれば、その二人の面倒を見たり、怪異の対策案を練ったり、部屋の掃除をしたりと、それぐらいだ。
……それにしても、さっきの割れる音は一体なんなのだろうか。
「香奈、起きてるか」
「起きてまーす」
「音の原因、なんだと思う」
「え?うーん……。ガラスの割れた音としか言えないですね。食器とか、陶器、その辺ではないと思いますよ」
確かにそんな気がする。騒々しくも軽い音というか、粉々になる音というか……。少なくとも、落として割れた音ではない気がする。
「見に行くんですか?」
「まあ、気にはなる……。真夜中だし、泥棒って可能性もあるから。え、泥棒なら動かない方がいいのか?うーん……」
「えへへ、いいですよ、着いて行きます。修一さんは一度気になったら止まらないって、よく知ってますから」
「参ったな……。助かるよ」
自分の性格は既に見透かされているようだった。
寝間着姿のままではあるが、部屋を出て薄暗い廊下を歩きだす。
真っ暗な廊下は視認性が悪く、奥に何があるのか、視認するのが難しい。もしこの廊下の窓ガラスが割れていたのなら、それはそれで夜風が入り込むことで、その存在に気付けるだろう。しかし、今のところそんな様子は一切なく、ただの薄気味悪い不気味な廊下、としか形容できない。
暫く進むと、今日訪れたばかりの医務室の前までやってきた。中には人が居るのか、明かりがついている。ここが音の発生場所だろうか。
あえてノックも何もせず戸を開ける。泥棒ならそのまま抑えてやればいいし、ここの人間だったら謝れば済む。
それにしても、ここの扉は本当に静かに開く。嫌いな人は嫌いなんだろうなと思いつつ、部屋の中へと入った。
医務室に入ると、薬品の香りが漂っていた。病院や保健室、あの辺りの独特の匂いは全て同じなのだろうか……
辺りを見渡すが、人影がない。誰もいないのだろうかと思い、部屋の中を散策する。カーテンで仕切られた部屋の中には、縦置きのモニターや、レントゲン写真を見る時に使っている大きな照明、聴診器、簡易ベッド、綿棒やその類が入った銀色の筒等、普通の病院と大差ない内装だった。ふと、奥にある流し台に視線を取られた。話し声が聞こえてきたからだ。声の主は見えないが、すぐそこにいるのは間違いない。音を立てず、しゃがみながらそこに向かう。
「――ええ、聞こえました。………………へえ、武装した賊ってことですか。じゃああいつと出動ですかね。……………………はい、承知しました」
声の主は、この医務室に常勤している江浪さんのもので間違いなかった。泥棒でなくて安心し、ほっと息を漏らした。
「ん?うお!……って、暁と蜜坂か……。なんだよビビらせやがって。こんな夜中に怪我でもしたのか」
白衣に手を突っ込んでいる彼は、これまた気怠そうに問いかけてきた。
「あ、いえ……。遅くにすみません。なんか、窓ガラスが割れた音が聴こえて、ここかなって思ったんです」
立ち上がって姿勢を改め、江浪さんと向かい合う。香奈は自分の後ろを見張ってくれているらしく、そのままじっとしていた。
「あぁ、割れた音な。それは俺が対処する、隊長の指示だ。で、お前は暇なのか」
「え?あ、まぁ暇……ですね。寝てましたし……」
すると、背後から何か騒々しい足音が近づいてきた。
足音の主は勢いよくカーテンを開け、部屋の中に飛び込んできた。医療班の水越さんだった。八風さんとはまた違う、輝かしい笑顔を浮かべ、とにかく楽しそうにしていた。
「あ!修一くんと香奈ちゃんか!どうしたの?怪我って聞こえたけど。大丈夫?どこか痛いのかな?それとも気持ち悪いとか、熱っぽいの?」
「あ、いえ、すみません。特に問題ないです」
そう返事をすると、さっきまでの笑顔がスンと消え、目も輝きを失い、更には舌打ちまでされた。
「じゃあさっさと寝ろよ」
態度の豹変に呆気に取られるが、この人は、こういう人なのだと知っている。怪我人以外に興味がない変人だと、昔江浪さんから聞いたことがあるからだ。
「静美、今隊長から連絡があった。詳しくは歩きながら話す」
「はーい」
機嫌は収まっておらず、視線を合わせないまま気怠そうに返事をする彼女に、江浪はため息で返した。
「あ、そうだ。暁、お前ら二人に頼みがある」
「頼み?なんですか」
彼は白衣を脱ぎ、ベッドの上にあるハンガーにかけると、その隣にかけてあった赤いジャンパーを羽織り、すぐさまそのポケットに手を突っ込んだ。
「梁坂だ。お前、側にいてやれ」
「え?それは構いませんが……。でも梁坂さん、寝てるんじゃ――」
「それでも頼むって言ってんだ。そうだな、なんなら起こしてもいい。とにかく一緒にいろ、任せたぞ」
「は、はぁ……。わかりました……」
返事をすると江浪は静かに頷き、隣にいた水越を連れて、部屋の戸を開けた。
「よろしく頼む」
そう言い残して、静かに部屋を出て行った。今ここには、自分と香奈しかいない。早いところ、梁坂さんの所に行こう。起こさなければいいが……
◆◆◆
「……誰かと思えばお前か」
「あれ、起きてたんですか」
部屋に入るや否や、既に起きていた彼女に見つかった。上体を起こしている辺り、ずっと起きていたのだろうか。
「なんか割れた音、聞こえたしな。で、何しに来た」
月明かりが射し込む窓を背景に、こちらを見つめる彼女の姿は、泣き付かれたことと、言葉遣いが柔らかくなったこともあってか、かなり幻想的に映っていた。
「いや……。江浪さんに側にいてやれって言われて」
「へえ……。え、なんで?」
「さぁ……」
実際、その真意はわからない。常に観察が必要な程の重傷かと言われれば、そうとは言えないぐらいには回復している。何より本人が元気なのだから、何かあれば彼女自身が誰かを呼ぶことだって出来るはずだ。
「ただ、医療班の二人……。えと、江浪さんと水越さんが席を外しています。隊長の指示だとかで」
「……そうなのか。にしても、隊長から二人に指示があったってことは、何かあるよな。ちょっと
そう言ってそっと目を瞑り、頭を下げる。きっと周りの心を読んでいるのだろう。遮蔽物があっても力が影響するというのは、こういう時に便利そうだ。
しかし、彼女は病み上がり。あまり無理してほしくないという気持ちはある。読心が負荷になるのかどうかは知らないが、もし負荷があるのなら、この一回限りにしてもらって、後は控えてもらいたい。
「本当はあんまりしたくない、身内の心なんて暴きたくないし」
心配していたが、この様子から察するに、体への負担は実質的に無さそうだった。まるでラジオのチャンネルを変えるような感覚で、読心の対象を切り替えているのだろう。
しばらくすると、彼女の眉間に皺が寄る。何か良くない印象を持たせるが、実際良くない何かが起きたと考えるべきだろう。
「何かありましたか」
「……うん、他所者が複数人。明らかに敵対してるけど、目的まではわからない。ただ、医療班の二人を向かわせたってのは頷ける」
「あの二人……。江浪さんと水越さんって、診察以外であまり絡んだ事ないんですよ。まさかあの二人も、異能力が使えるんですか」
「ああ、使えるよ。ざっくり言えば、江浪は五感操作、ただし対象は自分だけ。水越は治癒能力、対象の制限は無し」
「五感操作と、治癒能力……。五感はともかく、治癒ってことは、味方の負傷を治すって事ですか」
「普段はな。ただ、今回は瀕死の敵を治すはずだ」
予想外の答えが返ってきた。普通に考えれば、何のメリットもない。一体、敵を治療して何の意味があるのだろうか。敵に塩を送る、ただの優しさとも思えない……
「あいつに
「……いえ、ないと思います」
「あいつが
「すごいじゃないですか。医療班、あの人一人で十分じゃ──」
言葉を遮るように、彼女は「ただし」と張った声を上げた。
「引き換えに生気を奪われる。そして、その症状の深刻具合によって、奪われる量は増える。重症であればあるほど、廃人になるってことだ」
「……つまり、瀕死の場合は」
「身動き一つ取ろうとしない、生きた屍になるってことだ」
つまり、その方がこちらとして都合がいいということだろう。確かに、殺害してしまった場合は、その後始末の他にも、怪異が絡むことで死亡者が怪異化するリスクもある。ならば、殺さずとも無抵抗の状態にして拘束した方が、立ち回りとしては賢いという事になる。
「ただな、ここに留まるのは良くない」
「そう……ですか?別にここまで来るとは限らないんじゃ」
「怪異も混ざってたんだよ、その中に」
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