第15話 生きた死体の後始末

 その頃、矢坂達は未だ、部屋から動かずにいた。狙撃してきた存在は既に移動しているだろうが、その確信がないことと、既に襲われた部屋に隠れた方が、ある意味狙われにくいからだった。

「ねえ、矢坂さん。一つ聞きたいんですけど」

「何かしら」

「……八風さんの異能力、一体、どんな力なんですか」

「あれ、舞ちゃん話してないの?」

 夜頼と琴音、二人共に小さく頷いた。

「そうなんだ。まあ、公にはし難いよね……。舞ちゃんはね、を操るのよ」

「因果律……?」

「“原因”から“過程”を経て“結果”が生まれる……。物事には一定の流れがある。舞ちゃんはね、その“原因”と“過程”を捻じ曲げて、望んだ“結果”を起こすの」

 その内容がとんでもない、恐ろしいものであることを理解するのに時間はかからなかった。

「え……。じゃあ、私の攻撃が全部、寸前で逸れたのって……」

「ええ、琴音ちゃん自身が理解できていないなら、きっと舞ちゃんがその辺の操作をしたのね」

 あの空気を撫ぜるような動作……。あれが“原因”ということになるのだろうか。

 ――そんな、そんな単純な動きから、あの飛翔体全ての機動を逸らすほどの“過程”を生み出して、あの“結果”を呼び出したということなのか……!?

「どんなに小さな、本来なら原因にもなり得ないようなものから、あり得ない結果を起こしてしまう。例えば、指でそっと触れただけで骨を砕いたり、関節を外したり、遠くまで飛ばしたり……」

「ちょ、ちょっと。あまりにも理不尽じゃないですか。なんでもありじゃないですか」

 あまりにも受け入れ難い、あり得ない現象を前に、夜頼は肯定できず、否定するしかなかった。

「そうね。理不尽だし、なんでもありね。でもよく考えて。彼女は怪異よ。理不尽でなんでもありなのは当然よ。ただまぁ、度が過ぎている気はするけど」

「……この話、誰が知ってるんですか」

「私と他数人ぐらいかしら、詳しく知らないわ。でも味方で良かったでしょう?」

 確かに、敵に回したくない存在ではある。こんなもの、勝ち目なんて存在しないだろう……。

     ◆◆◆

 しんとした本部入口。そこには十人ほどの人間が転がっている。声を発するものは誰一人としていない。

 そこに繋がっていた八風の血痕。それは勿論彼女の部屋から伸びている。

 入口から少し離れた位置から、それを辿っている男女の人影があった。

「あーあー、掃除の事も考えてくれっての」

 ため息をつきながらそう呟いた男の名は、江浪えなみ涼太りょうた。背面に龍の刺繍が施された、真っ赤なスカジャンを羽織っており、そのポケットに両手を突っ込んでいる。格闘技か何かをしていると、服の外からでも当然のように想像がつくほどの体格の良さがあった。

「怪我?怪我してる!?」

 その隣にいる、真っ青なロングヘアの女の名は水越みずこし静美しずみ。江浪と大差ない程の身長は、身に纏う涼しげなレースのワンピースをさらに似合わせている。それをひらひらとさせながら楽しげに問いかけていた。

「怪我って次元じゃないだろ……。この出血量だぞ、人間なら死んでるって」

「えー!死なれたら困るー!治せないじゃないの!」

 水越は高い声でそう叫んでいる。江浪はその声に既に慣れているようで、怯むこともなく、足元に滴る血痕を調べていた。

「……ん、これ絶対うちの怪異だ」

「え?なんで言い切れるのさ」

 スッとその場で立ち上がり、彼は気怠そうに答える。

「血痕の落ち方と量だ。飛沫が一方向に向かうように飛散している。ってことは、慣性が乗ったまま地面に落ちたってことだ。歩くだけならこうはならない。つまり走っている。この時点で人間じゃなく怪異である事は確定した。なら、入口に向かって走るのは何故か。これも単純。相手に真っ直ぐ向かったからだ。入口にいるのは、俺たちの敵。つまり味方の怪異が向かったってことになる」

 ため息をつきながらそう答えるが、どうも静かだった。不思議に思い彼女の顔を見ると、目の焦点が合っていない。というより、何も見ず、考えずの表情になり、ただ茫然とその場に突っ立っていた。

「……聞いてなかったろ、おい」

「うん。長い」

「はぁ……。つまりだな、えー……。血が教えてくれた」

 彼は頭を掻きながらそう答えるしかなかった。

「ふーん、そっか。え?じゃあさ、そいつが入口に向かって、迎撃したってこと?」

「そうだろうな」

「わぁ!」

 彼女はその事実を知るや否や、途端に目を輝かせ、再び跳ねる程に上機嫌になり、ワンピースの裾を靡かせながら、江浪の周りをぐるぐると周りだした。

「じゃあさ!じゃあさ!怪我人いっぱいいるんじゃない!?」

「知らん」

「んんんん、私もう我慢できない!見てくる!」

 彼女はその場から走り去るが、その足は異様に速く、瞬く間に背中が見えなくなった。

「全く、イカれた奴だ」

 彼は再び大きなため息をつき、ゆっくりと、その血痕の跡を辿って歩き始めた。

     ◆◆◆

「あは!怪我人だ!」

 入口に辿り着いた彼女は、その場に転がるを見つけ、歓喜に満ちた笑顔で飛び回っていた。

「うーん……、絶対死んでるはずだけど、ギリギリ生きてるね。なんでかな……」

 頸椎を真後ろに曲げられ、皮と肉だけでなんとか繋がっているように見える者もいれば、真横に倒され、耳が肩にくっついている者、胸部に鼻をつけている者……。状態は様々だったが、どれも死んでいない。微かながら呼吸があった。

 あり得ない光景に、腕を組みながら考え込むが、答えはすぐに出た。

「あぁ!これ舞ちゃんか!やってんねー、いいねえ!舞ちゃん大好き!よーし、生きてるなら治すよ!」

 そう言って足元の男、その首に手を触れ、本来の正しい位置に頭を運ぶ。男の顔は無表情だった。

「よし、まず折れた頚椎を治しますねー。周辺の神経も結構逝ってるのでー、その辺もまとめて治しますねー」

 淡々と治療の内容を連ねていき、そのまま首に手を触れたままそっと目を閉じる。

 そうして気がつくと、男の首は元通りになったらしく、手を離してその場から立ち上がった。

「よし、治った!」

 しかし、男は立ち上がらない。呼吸はあるし、外傷も完治。間違いなく健康体、五体満足であるにも関わらず。

「あとは自分でなんとかして。もう興味ないから」

 そう言って彼女は治したばかりの男を足で蹴るように移動させ、目に入った別の男の元へと寄り添った。

「君も大概酷いねー、大丈夫!治してあげる!」

 この調子で、彼女の治療は続いた。一人、また一人と順調に進めていくが、処置が終わった者は、誰一人として言葉を発さず、立ち上がらず、身動きひとつしなかった。

 そして最後の一人、全身の関節を外された男の元へと向かった。

 その男は、頭ひとつ分ほど首が伸び、胴体は背骨の存在を感じさせないほどに湾曲し、脚に至っては背中側にベッタリと密着するほど折れ曲がっていた。

 それを見た彼女はその場に蹲り、両手で顔を押さえながら体を丸め、呼吸を荒くし、指の隙間からその男の成れ果てを見つめた。

「はァッ、はぁああぁァッッ……!た、堪んない……堪んないよ舞ちゃん……!こ、こんなの、こ、興奮しちゃ……!ハハハ、どど、どうし、どうしよう……!あはは、手がふ、震えて、止まらな……あは、あはハハハ!アハハハハ!」

 その目は歓喜を超えた狂喜に満ち、指の隙間からでもわかるほど大きく開かれた目は激しく震えていた。

「あれ……。待って。君、足も怪我してる……?」

 よく見ると、この男だけ出血をしている。負傷箇所は右の太腿。その様子から、銃創であることは直ぐに理解した。

「はぁ、はぁッ、ハアアッ……!好きィ、大好き……!もっと、もっとしたい、もっと治療したいよ……!ねえ、き、君ならさ、も、もっと、耐えられるよね?ねえ?ねエ!」

 そう言って、足元に転がっていた拳銃を手にし、マガジン、薬室内の弾が残っていることを確認すると、立ち上がって更なる狂気の笑みを浮かべながら、男の急所を避けて発砲した。その銃声は静かなもので、辺りに響くのはせいぜい薬莢の落ちる音だけだった。

 男はただただ、全弾を受け止める事しかできなかった。足はもう既に真っ赤に染まり、腕や肩などにも撃ち込まれていく。

「あ、あぁあっ、ハァ、ハァッ!くぅぅぅうッ……。はぁ、ここに居て、良かったァ……。こんなに、こーんなに気持ちよくなれるなんて……。じゃあ、じゃあじゃあ、遠慮なく……!」

 そう言って再び膝を抱えるように屈み、治療を始めた。

 それを遠目で見ていたのは江浪だった。彼は、彼女が最後の一人のもとに駆け寄った頃にここに辿り着いていた。

「マジでイカれてるな……。あれでってんだから、笑える」

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