第5話 排除

 私がこの機関に来て三年が経つ。当時、組織の人間は少なかった覚えがある。だというのに、事案は多かった。あの頃に比べれば、今は人手も多いし、八風みたいに優秀な人材も入っている。ただまあ、私より少し後に入った割に、すぐに怪異隊長だのに昇級していたのが少し鼻につくが……

「椿、?」

「……よし、今

 あの二人と別れてすぐ、廃屋が目視でき、且つ草や木で身を隠せる場所を見つけ、その場に屈みながら様子を伺っていた。

「どうだ」

「今はまだ、何も見ていない。さっきから床に視線を落として、部屋の中を徘徊しているだけだ」

「そうか……報告通りだな。私も今。どうも、客が欲しいらしいな。これも報告通りだ」

 特徴、行動共に、報告から変化は無し……じゃあ後は、こいつの力をぶつけて排除するだけだな。

 あいつらを呼ぶまでもなかった。無駄に疲れさせてしまったし、帰りにラーメンでも奢ってやろう。

 そう思いながらため息をついた時、張った声が耳に飛び込んできた。

「待て梁坂、あいつが移動した……まずい、あいつらが危ない」

「何!?あいつはまだ客が欲しいとしか言ってねえんだぞ!?」

「待てよ……どうなってるんだ、今は廃屋に居る……。いや、部屋が違う。って、二人が捕まった」

「はぁ……。何が起こったんだ、ちなみに二人は生きてるのか」

「……少なくとも、二人とも五体満足だ。それ以上はわからない」

「わかった。やつは今、って言ってる」

「あいつ……。暁は何か言ってるのか」

「……沈黙、何も聴こえない。ここに居ても仕方ない、早く行くぞ」

「わかった」

    ◆◆◆

 元々玄関だったであろう位置にまでやってきた。遠くからは分からなかったが、鼻が曲がる臭いが中から漂っている。この臭いは、一つ以上の腐乱死体でもなければ自然に生まれない。この怪異がその辺も捻じ曲げて生み出したものなのか、それとも、調べがついていなかっただけで、一人か二人巻き込まれたか……どちらにせよ、帰ってシャワーは浴びたいものだ。

「梁坂、あいつは今、キッチンにいるらしい」

「だろうな、スープでも作るつもりらしいけど……食材らしい食材は使ってないだろ」

「ああ、水回りに溜まった雨水と、そこら辺の瓦礫が混ざった泥水……あと、壁を張っている虫を捕まえて――」

「やめろ!それ以上はもういい!とにかくそんな飯ですらない物をあいつらに食わせる訳にはいかない。早いとこ始末するぞ」

「どうやって」

「……鼻つまんで中に入って、あいつの頭をお前が砕く」

「その隙は作れそうか」

「この臭いだからな……クソ、入りたくない……。何簡単に捕まってんだよあいつら、こっちの身にもなれっての」

「仕方ない、やつは常に進化する。その場で殺されなかったこと自体が幸運だ」

「そうだな……」

 深い深いため息をつき、手で鼻と口を抑えながら、ゆっくりと息を吸う。外にいてもこの臭い、中は相当ひどいことになっているに違いない。

「どうしよう……。あいつは今台所だとして、暁と蜜坂はどこかわかるか」

「わからな……いや、暁のやつは起きたな。ここは……怪異の隣の部屋だろうか」

「良かった、ってことは、生きてるんだな」

「ああ。それに恐らく、そう遠くない。怪異が俺たちには気付いてない可能性もある。動くなら今だろう」

「ぐあああ、嫌だ……。くそ、行くぞ」

 鼻をつまみながら、玄関のドアノブに手をかける。だが、そんなことをせずとも簡単に開いてしまう。ギイィ、と、木が軋む音が鳴り響き、気付かれたかと思ったが、こちらに関心を向ける声は

 屈みながら、ゆっくりと部屋の中を進む。一歩、二歩と、歩みを進める度に床が軋み、部屋の中にその音を反響させるが、どうやら本当に関心を持たれていないらしい。

「無事でいろよ、二人とも……」

 そう祈りながら、蜘蛛の巣や瓦礫で通りにくくなっている廊下を進む。ある程度の距離まで進むと、声が

「……あんの馬鹿が」

「なんだ、どうした」

「独り言。全く……。こっちの気も知らずに」

「不快か?」

「ああ、すこぶる不快だね。さっさとあいつを始末して、あの二人に喝入れてやる」

「威勢がいい、そうでないと」

「うるさい、行くぞ」

「わかった」

 私がこの機関に入ったのは、怪異への報復心からだ。人はただ生きる為に、辛酸を舐め、艱難辛苦を乗り越えて、精一杯生きている。それを全否定してきた怪異の存在を、私は決して許さない。

 まだ普通の生活に戻れていない、私の友達のためにも、必ず奴らに報いを受けさせる。だからこそ、まだここで死ぬわけにはいかない。この怪異、必ず仕留める。

     ◆◆◆

「クソ……どう、しろ……ってんだ……!」

 目の前の怪異は首を傾げながら、じわじわとこちらの眼前へと近づいてくる。その距離は、頭一つから二つぐらいと、相当近くまで来ていた。

 この怪異に呼吸の概念があるのかどうかは知らないが、距離が近くなる程、目が痛くなる臭いは強くなり、次第に目を開けることも苦痛になっていた。

 料理を食べろと言うくせに、食べさせる気が一切ない拘束具合。どう足掻いても殺されるしかない……

「香奈、香奈ッ……!起き……起きて、くれ……!」

 だが、それでも起きない。相当に打ちどころが悪かったのだろう。頼みの綱は切れた。万事休す、絶体絶命。最後の足掻きに手足をどうにか動かそうと踠くが、椅子ですらピクリともしない。その無情さに耐えられず、思わず引き攣った笑い声を出してしまった時、部屋の扉が吹き飛んだ。

 その衝撃に怪異も驚いたのか、拘束力が元に戻った。

 何事かと、怪異の背後をよく見る。扉が吹き飛んだことで、その辺りの埃が舞い上がり、視界を悪くさせる。その中にうっすら、人影が二つほどあるのが見えた。

「――ナアニ?」

「暁!」

「梁坂さん!?」

扉を蹴り飛ばしたのは、どうやら梁坂さんらしい。彼女はその場の空気が吸えたものじゃないと知っているのか、口を手で抑えながら叫んでいた。

「なるほど、そりゃ動けねえな……。椿!」

「よし」

 扉の奥から椿さんが走ってくる。そしてそのまま、大きく拳を振り上げ、勢いを乗せて怪異の頭を横から思い切り殴り飛ばした。

 部屋中に張っていた髪の毛がブチブチと音を立てて千切れ、怪異は壁の方へと、瓦礫などを巻き込みながら吹き飛んでいく。ガラガラ、グズグズと物が朽ちる音が辺りに鳴り響き、ベシャリ、と、何か不快な音がした後、怪異はズルズルと壁に添いながら沈み、動きを止めた。

「安心するな、まだ排除は済んでいない。頭をかち割る勢いで殴ったんだが……。こいつ、見た目以上に頑丈だ」

 そう言いながら、椿さんはこちらに歩み寄り、体に巻き付かれた髪の束を掴み、思い切り引いた。

「ッ、硬え……二人同時はキツイ、許せ」

「わかりました、すみません」

「謝る暇があるなら対策を練ろ」

「大丈夫です、策はあります」

 そんな会話をしている間も、髪を分けて千切り、分けて千切りを繰り返してくれていた。その甲斐あって、なんとか手の拘束が解かれた。

 有り難かったのは、鬱血する程の力で締め付けられていなかったことだろう。もし仮に全身がその程度の強さで締め付けられていたとしたら、解かれた途端に意識を失っていたかもしれない。

「ありがとうございます、後は任せてください」

 そう言って手にずっと握られていた匕首の鞘を外し、そのまま足、腰、胴、自分の体ごと切るように、全ての髪を切った。

「怪異のみに効くって言ってたな、だから髪だけ切れたと。なるほど、便利だな」

「ただ、同じことを香奈にはできません。時間をかけて、丁寧に切る必要があります」

「わかった、頼めるか」

「大丈夫です」

「よし、椿!私らで相手するぞ」

「承知した」

 その声と共に、自分は香奈の元へと駆け寄る。拘束自体は自分のものと大差ない。条件は同じだ。なら、まずは明らかに切断できそうな、椅子の足などの髪を全て切り落として、そこから剥がすように解くのが最適だろう。

「香奈、起きろ!怪異だ!」

「……うぅ」

 弱々しいが、なんとか返事を聞き取れた。ただ、意識は未だ朦朧としているのだろう。目は虚でほとんど開いていない。そのことを確認しながら、足の拘束を解いた。次は腕だ。

「イ──イタイ」

「くっそ、もう起きたのかよ」

「梁坂よ、矢坂が四人で向かわせた理由がよく分かった。こいつ、並のやつより遥かに強い」

「見りゃわかるって……お前の拳で排除できていないんだぞ」

 横目で怪異の様子を見るが、膝を立てているのがわかった。あの衝撃からそんなに間は開けていない。椿さんの言う通り、並のやつより遥かに強いらしい。

「ッ……よし、腕もできた。あとは胴体だな……」

 椅子ごと拘束されていた時は、頭が混乱して気づけなかったが、解く側からすれば、背もたれごと拘束されているというのは非常に解きやすい。

 背もたれの端、角に沿って上からゆっくりと切断していくと、パツパツと弾けるように綺麗に切れていった。そしてそのまま、全ての髪を解くことが出来た。

「よし、香奈!拘束は解いた、動けるか!?」

「ん……はっ、ここって……いやくっっっさ!」

 はっと意識を取り戻した直後、辺りいっぱいに広がっている悪臭に鼻を曲げ、口と鼻を手で塞ぎ込んでいた。

「臭いのは我慢してくれ!それどころじゃない、今怪異と対峙してるから、早く動いてくれ!」

「えっ……」

 途端に目に力が入り、辺りを見渡す。そして、怪異、それに立ち向かわんとする二人の姿が目に入った。

「……懐かしい夢を見ていて遅れました、すみません。私も動きます」

「まだ可能性の話だけど、既に一人殺されてる。気をつけろ」

 それを聞くと、香奈は少し俯き、一呼吸入れてから自分と同じように、手に持っていた匕首の鞘を抜くようにして外し、足元に放り投げる。そして、目の前の怪異に見えない切先を突きつける。

「怪異は必ず排除します。椿さん、離れてください」

「何?さっきまで寝ていた癖に、言ってくれるな」

「巻き込みますよ、射程内ですから」

 その目力は凄まじく、普段の温厚さ、物腰柔らかく少し天然な雰囲気、それら全てを払拭してしまい、別人と捉える方がまだ納得できるほどだった。

 彼女のこの雰囲気の変化は何度か見ているが、その際の覇気というものが、およそ人の出し得る領域を遥かに超えており、最初に見た時はあまりの圧に吐き気を覚え、その場で蹲った記憶がある。そしてこれは今もなのだが、息が詰まるようになり、自然と身震いをさせられてしまう。

 その雰囲気は梁坂さんにも伝わったようで、横目でこちらを一瞬確認すると、椿を宥めるように手で行手を遮り、ゆっくりと怪異から距離を取った。

「椿、あいつの言う通りにしよう。マジで危ない気がする」

「梁坂さん、ありがとうございます」

 目の前の怪異は膝に手をつき、ゆっくりと元の姿勢へと戻ろうとしている最中だった。細く長い手足が仇となって、立ち上がるのに時間がかかっていたのが功を奏した。

 香奈は腰を落とし、逆手にした匕首を右手にしっかりと握り込み、腰の横に据える。左手は真っ直ぐ前に突き出し、手のひらを怪異の方に向けて、指は真っ直ぐ真上に伸ばしていた。

「お前は既に人を殺している。私はお前を許さない。死をもって償え」

 そう吐き捨てたかと思えば、落としていた腰を更に低く落とし、後ろに下げた足に力を溜めはじめた。

「何するかは何となくわかるけど、ヤバいって絶対……。椿、もっと下がれ」

 そうして、二人はさっきより更に三歩、四歩と大きく下がり、部屋の壁際まで後退した。

「ニク、タベル?」

「黙れ」

 小さく呟いた直後、目の前に居たはずの香奈が姿を消す。同時に、部屋中に積もっていた埃などが猛烈な勢いで舞い上がり、塵や小石、何かの破片までもが辺りに飛散する。

 その凄まじさに自分を含めた三人は目を守らずにはいられず、その場で目を瞑り、腕で顔を隠し、頭を下げた。

 壁や床に飛散した物がぶつかったり、落ちたりする音が聞こえる中、唐突に聞こえたのは、何か液体のような物の気味が悪い音と、絶叫、悲鳴だった。

「――身の程知らずが」

 少しの間を空けて目を開けると、黒っぽく、粘度のある液体が、壁や床などに飛び散っていた。その近くにいた青白い体躯の怪異の首はどこかに消えており、見た目からは想像できない黒味を帯びた血を首から吹き出しており、数秒かけて倒れ込んだ。

「ふう……修一さん、終わりましたよ!」

 その時の香奈は、二尺袖に大量の返り血を浴びており、その範囲は頬にまで及んでいた。だと言うのにその表情は明るく、普段の温厚さ、天然さがそのまま戻ってきたようだった。

 状況との差に少し気圧されるが、怪異を排除してくれたことに変わりはない。ただ、人間じゃない動きをする辺り、やはり香奈も怪異の類なのだと再認識した。

「香奈、助かった。ありがとう」

「私も助かった、まさかこんなに動けるなんて」

「お前……そんなに動けるなら最初からやれ。だが、おかげで助かった。礼を言う」

 その言葉を聞き、香奈はまたゆっくりと笑みを浮かべ、さっき足元に落とした鞘を拾って、そっと見えない刀身を納めた。

「さてと、帰ったらお風呂ですね。さすがに汚れちゃいました」

 そう呟いた頃、顔や服に染みた返り血が、少しずつ塵のように舞い上がって消え始めた。

 怪異はその性質を失った際、それ由来の物質等を含めて蒸発するように消滅する。視線を怪異だった物に向けると、それも髪の先や指先、足先など、末端部分から煙のような黒い煤を立たせながら、少しずつ消えていた。

 その側をよく見ると、縦半分に綺麗に割かれた、怪異の頭が転がっていた。これも煙をあげている。

 その中に一つ、生物由来ではあり得ない物があるのが見えた。

「こいつのは、札か……」

 とは、怪異が存在を維持する為に必要な物質。これを破壊する事により、初めて怪異を排除する事が可能となる。逆に言えば、これを破壊できない限りは、無制限で回復をしてしまう。

 核となる物質は個体によって様々で、今回のように札のような物であったり、生前の思い出の品や呪具の類等、その種類は多岐に渡り、枚挙に遑が無い。

 その札を、持ってきた密閉型の袋にそっと入れ、しっかりと閉じて、同じように持ってきた小瓶に入れて蓋をする。これを検査に回し、今後に活かすためだ。

「臭いもマシにはなったが、消えはしないな……。お前さっき、って言ってたが、やっぱり……」

「ええ、恐らく近くの部屋に遺体があるはずです」

「……よく考えたら、こいつが進化した時間が早すぎる。つまり、殺された人の恐怖心が新しい性質を与えていたってことか」

 梁坂さんは香奈に対し、問いただすように言葉を投げつける。

「そう考えるのが自然でしょうね……兎にも角にも、早く弔いましょう。きっと、とても怖い思いをして亡くなられたはずで…………」

 香奈は突然、電池でも切れたかのように全身から力が抜け、膝をついてその場に倒れ込んだ。

 顔面が床に直撃する、その寸前のところで自分の手が彼女に届き、なんとか顔を守る事ができた。

「おい、おい!暁、こいつ大丈夫か!?」

「ああ……知りませんよね。あの攻撃をして少し経つと、こうなるんです。死んではいませんが……長ければ一時間は動きません。こいつは僕が運びますから、遺体を確認しに行きましょう」

「お、おう……足元、気をつけろよ」

「わかりました」

 そうして、忌々しい部屋から早々に立ち去った。怪異の姿は、既に跡形もなくなっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る