第4話 実動隊、出動

 山の麓に建てられた一軒のペンション。調査隊の報告によると、近くにはスポーツ施設があったらしく、建てられた当時は宿泊施設として人気だったらしい。それが施設の解体が決定すると客は激減、登山家がごく稀に利用する程度にまで減る。それすらも、木を伐採し、山を切り開き、太陽光パネル等の設置工事が決まったことで立入制限が行われ、客が訪れる機会は失われる事になる。

 そのペンションにて人が亡くなった話は一切ない。ただ……ここを営んでいた夫婦が現在、行方不明らしい。

 あの場で人が死んだとかどうとか、そういった話が出てきたのは、面白半分の肝試しでやってきた学生が、仲間を怖がらせるために吹聴したことが始まりだった。

 最初は、ここで死んだ男が寂しさのあまりに人を攫うだとか、そんな話だったとか。

 それが時間が経つ毎に話が盛られてしまい、今となっては本当に人を殺しかねない存在へと昇華してしまった。

 ただの都市伝説や怪談話、それらの話でもこういった怪異が発生する恐れはあるし、実例もある。ただ、それらは作り話という前提がある事が多く、大多数が本当の話として受け入れていない。それ故に大抵の場合は冗談で済まされ、仮に怪異が発生したとしても、力は弱く、実害が起きない程度。排除するほどのものでもない。

 しかし今回の場合は、場所も限定され、噂の影響もこの近辺にしか及んでいない。これにより、怪異の性質が鮮明となってしまい、強力な個体として出現することとなった。

 それ以降、気味悪がった学生らはこの場に近寄ろうともせず、山菜を採りに来たという近隣住民ですら、妙なものを見たと言い出す始末。人一人、誰も近づく事はなくなってしまった。

 そんな山の麓に、一台の白いミニバンでやって来たわけだが、今のところ、そういった悪い雰囲気は感じられない。

 よくある山道を走り、少し広いスペースに車を停め、その場で降りた。山の夜風が涼しく、緑の香りが全身を包むだけ。怪異がどうとか、そういった要素は何もなく、ただの自然散策とすら思えてくる程だった。

「さてさて、やりますか」

 少し乗り気な香奈を横目に、ペンションのある方向へ向く。やはり現段階では何も感じない。

「お前ら二人は前に行きすぎるなよ。ここは私と椿が先に行く」

「そういうことだ。ついてこい」

 ──椿つばき哲也てつや。梁坂さんが使役している怪異。太めの腕と広い肩幅は、羽織っているジャージを張らせている。少し太めの眉に睨みつけるような鋭い目をした短髪の強面で、さらに身長も高めであるため、街中で遭遇すると少し気圧される部類だった。

「とはいえ、折角組むんだ。私たちは怪異の観察を行う。やつらの出方を伺って、行動を読めるようになれば指示を出す。それまでは手を出すな」

「わかりました。香奈、離れるなよ」

「はーい」

そんな会話をしながら山を登っていく。一度来た道ではあるが、日が暮れると意外とわからなくなるもので、月明かりだけで進むのは無理だろう。装備して来たライトを頼りに四人で草木を分けて進んでいく。

 ある程度の距離を進んだ頃から、カラスが鳴き始め、バサバサと上空を飛び交う。蝙蝠もいるらしく、少し甲高い音と、鳥とは違う羽ばたきの音が耳に飛び込んできた。

「カラスってこの時間鳴きましたっけ」

「さあ。ただ、空気は変わった。もう近いな」

 その言葉の通りで、足元を照らしていたライトを前へと向けると、以前見た朽ちた建物の一部が照らされた。そのライトをしっかりと向けてやると、中にいる怪異が確認できた。確かに前と少し姿が違う。表情こそ見えはしないが、髪で隠れていた顔は全て顕になっていることは窺える。

「さあ、仕事だ。椿、いけるか」

「いつでも」

「よし、お前ら少し下がれ」

「わかりました」

 そう言い、前を張っている二人は少しずつ前へと進み、自分と香奈はその場に屈みながら後ろへと下がる。

「香奈、今のうちに渡しておく」

 そう言って、六角形が刻まれた方の匕首を渡す。自分は半円が描かれた方があれば十分……いや、もともと二本持っていても仕方がないのだが。

「ありがとうございます。指示があるまで待機ですね」

「あの二人と……というより、別の人と組んで動くのは初めてだからさ……。正直どうしていいのか、俺にもさっぱりなんだよ。ただまあ、言われた事をしよう。合図が来たらすぐに動けるようにな」

「わかりました」

 そう言い、匕首は懐には戻さず、手に握りしめながら、地面に膝をついて合図を待つことにした。

「椿さん、やっぱり厳ついですよね」

「そうだな、圧が強い。それを使役する梁坂さんもすごいけど」

「あの二人が組む事になったきっかけって、なんでしょうね」

「さあな……。少なくとも、楽しい話題じゃないだろうけど。間違っても本人には聞くなよ?後で俺が怒られるんだから」

「えへへ、わかりました」

 小さく笑いながら頭を下げる。こうしているだけの余裕があるのは、悪い事ではないのだろう。

 そんな少しの間を置いて、再び怪異の方へ視線を戻す。今朝見た時と変わらず、やはりその場を徘徊しているだけのようだ。さっきはライトで照らしはしたが、奴が光源を認識し、襲ってこないとは限らない。照らす行為は控え、月明かりだけで観察する事にする。そこに居るか居ないか、それぐらいならこの薄明かりでも事足りる。

「相変わらず鈍足ですね……ただ、髪で拘束するという話がひっかかります。やはりこう、伸ばしてきて、ぐるぐるーっと巻きつけ!といった感じでしょうかね」

「恐らくな。というか、それ以外思いつかない」

 拘束に使われるというあの長髪……あれがどの範囲、どれほどの速度で迫ってくるのか、それが話の内容に含まれていなかったのが難点だ。さて、どう動くのか……

「髪って束になれば物凄く強靭になりますからね……まあ、こっちは匕首があるので切るのは容易ですけど――」

 香奈の言葉が止まったのは、目線の先に居たはずの怪異が突然消えたからだった。何故いなくなったのか、いつからいないのか、今どこにいるのか、何もわからない。

「気をつけてください」

「わかってる」

 現状では動けない。下手に動いて状況を悪化させる事はなるだけ避けたい。しかし、目は離していなかった筈だ。確かに暗いのは暗いが、あんな禍々しい存在が唐突に消えるなんて事、あり得るのだろうか。それに、以前調査に来た時はこれより長い時間見ていたはず。一体どこに……

「修一さん後ろ!」

「え――」

 香奈の叫び声を聞いて即座に振り返るが、その間も虚しく、夜でもわかる真っ黒な何かが、自分と香奈を覆うように広がり、その場で意識を失った。

     ◆◆◆

 頭がぼんやりとして、思考が巡りにくい。なにか靄のようなもので覆われているような、遠くまで考えが及ばない。何をしていたのか、何をするのか、そもそも何故こうなっているのか……

 次第にその靄は晴れていき、思考は勿論、体の感覚なども帰ってきた。だが身動きが取れない。それでも、辛うじて首は動くらしい。そして、何が起きたのか、少しずつ思い出してきた。確か突然怪異が消えて、背後に何かがいると言われて振り返ると、黒いものに覆われて、そこから記憶がない。

 感覚がより鮮明になってくる。呼吸が安定し、周りの匂いがわかるようになってきた。ただ、深く息を吸えば咽せるような埃っぽさで、呼吸の量は本能で控えめになってしまう。

 嫌な予感もするが、現状を把握しなければ、何もできない。意を決して、ゆっくりと瞼を開ける。

「……そんなとこだろうな」

 今の自分は、月明かりだけが射し込んだ、暗い部屋に座らされ、手、足、腰、胴……首から下全て、髪によって椅子ごと拘束されていることがわかった。想像通りと言えばそうなってしまうが、こうなると、自分は何もできない。

 さっき背後にいたのは例の怪異で間違いなさそうだ。そして、自分たちを覆った黒い影。あれもこの髪だろう。

 視線を横にやると、香奈も同じ状況に立たされていることがわかった。ただ、首が座っておらず、項垂れるように下がっていた。時折肩が上下していることから、息がない訳ではなく、まだ目が覚めていないだけらしい。

 ため息をつきながら前を向き、改めて部屋の状況を確認する。目の前には大きめのテーブルがあり、ご丁寧にテーブルクロスまで用意されている。ただ、どれも劣化が激しい。テーブルは既に駄目になっていて、木目に沿って亀裂が走っていたり、クロスも破れと土汚れなどが目立つ上、息を吹き掛ければ咽せそうな程の埃が積もっている。

 部屋自体も灯りがなく、崩れた屋根の隙間から覗く月明かりだけが頼りだった。その明かりですら認識できてしまう、部屋に張られた無数の蜘蛛の巣。天井の一部は既に落ち、壁紙も剥がれ、中の骨組みが丸見えになっている箇所もある。そこに小さく黒い物体が蠢いているのを見ると、少し寒気がした。

「香奈、香奈。起きろ」

 彼女との距離はさほど遠くはない。だが、気を失っている彼女に声は届かなかった。声かけも虚しく、ただ沈黙を返される。

 打てる手がない、香奈が起きてくれたらまた一つ変わったかもしれないが。そんなことより、二人と逸れてしまった。梁坂さん、無事だといいが……

「……これから料理食わされて、食えなかったら殺されるんだよな」

 どういった料理が出てくるのか、まあ、食べられた物じゃない事だけは確かだろう。

 なんとか状況を変えられないか、手と足を動かそうとしてみるが、抵抗も虚しいもので、文字通り指一つ動かせそうにない。持ってきた匕首もまだ手に握られたままだが、それごと拘束されてしまっていて、使う事ができない。これは彼女も同じ状況だろう。

 試行錯誤を繰り返していると、埃っぽかった空気が、生臭さに近い、不快臭に突然変わり、鼻腔を刺激した。

 生ゴミを真夏日に数週間、屋外に放置したような臭い、魚の腑を集め、カビと共に発酵させたような臭い、生活用水を濾過しないまま濃縮させたような臭い……。どれも想像止まりで、嗅いだ事はないのだが、例えるとするならこの辺りだろうか。それほどに強烈な臭いだった。

 なんとか鼻を塞ぎたいが、身動きを取れない以上、息を抑えることしか許されなかった。しかし、こんな空気にずっと閉じ込められたら身がもたないだろう。

 彼女はまだ起きない。意識を戻していないのが羨ましいと、今だけは思う。

「────」

 耳に入ってきたのは、何かの声。呻き声でも啼き声でもない、独り言に近い、ぼそぼそとした話し方だったが、声の質は人のそれとは、何か根本的に違う、一声聞けば異質のものだと理解できてしまうものだった。

「──ニ、タベ──?」

 恐らく『何食べる?』と聞いているのだろう。どう答えるのがいいのか、皆目見当もつかない。いよいよ時間がなくなっている、早く拘束を解かなくては、命が危うい。

「ミナ──ツカレ──――エイヨウ――」

 怪異が姿を見せていない今が最後のチャンスだと思うのだが、やはりこの拘束は解けそうにない。仮に今解けたとして、彼女の拘束まで解く時間はあるだろうか……いや、かなり怪しい。

 不快な臭いも、より濃く、鋭くなってくる。次第に目まで痒くなってくる始末。口で呼吸をすることすら苦しい。怪異が近くにまできているのだろう。

「ッ!嘘、だろ……オイ……!」

 突然拘束力が強くなった。手や足が動かないだけならまだ幸せだったと思う程に厳しい。何せ呼吸ができないほど、胸部、腹部を圧迫されている。今はそれだけで済むが、数分続くとなると、今度は別の支障が生まれそうだ。

 腐った空気を吸いたくない本能と、酸素不足を訴える本能、その二つが同時に発生し、思わず白目を剥いてしまう。

「──オマタセ、スープ」

 その声を聞いてふと我に帰り、目の前をよく見ると、髪が四方八方の壁や天井、床にまでまっすぐ伸びた怪異の姿があった。今朝見たのと同じように、首は斜めに傾き、目は落ち窪んで真っ黒。よく見ると鼻がない。削ぎ落とされたかのように綺麗になくなっている。

 そんな怪異がそっとテーブルの上に置いたのは、欠けた茶碗に入れられた、濁りきった水と、翅を取り除かれた数センチ程の虫、得体の知れない白い球体が入っただった。

 虫は丁寧に下処理をしているのか、全く動かない。腹部と思われる箇所から出す白濁とした体液が水に溶け込み、千切れた脚もまた、ふわふわとそれらと共に水面を泳いでいるみたいで不気味だった。

 ただ、白い球体のような物が不思議で仕方がない。何かの卵か何かだろうか。そう考えていると、器に蠅がやってくる。この臭いだ、やってきて当然だろう。

 そんな蠅が止まったのは、白い球体だった。そのほんの少しの力を与えられたことで、それはゆっくりと回った。そして、黒い部分があることがわかり、よく見ると何か筋のような物が伸びている事もわかった。

 この物体がなんだったかを思い出す必要はなかった。明らかに人間のだった。濁った水に浮かんだ眼球の瞳孔は、こちらをギロリと見つめているように見えてしまう。「なぜ助けなかった」「なぜ今まで気づいてくれなかった」、そんな言葉が聞こえてくるようで、胸が詰まり、動悸も激しさを増した。

 この怪異、少なくとも一人は殺していることになる。

「――?」

 いや、まずいまずい、かなりまずい。怪異が目の前にいるのもそうだが、こいつの欲を満たす為にこれを食べようにも、拘束が解かれていないから食べられない。食べたくもないが。

 だが、仮に残しでもしたら、俺はこの場で惨殺され、このスープのように具材になるのは明白。手の打ちようがない、身動きはとれず、逃げることも立ち向かうことも出来ない。

 

 ――――詰んでないか?

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