第3話 過去
あれから数刻が経った。香奈はしっかり休息を取れているらしいが、自分はあまり取れていない。眠りが浅かった。
何も、外が明るいからだとか、緊張と恐怖で眠れないだとか、そんなものではない。過去の記憶、出来事が、瞼の裏に映し出されてしまうからだ。
『逃げろ、早――』『あなた!』『待って母さん!危な──』『あ゙あ゙あ゙あ゙ッ──』
目の前で父の首が無くなり、それを追った母は怨嗟の声をあげ、そして……父と同じように首が無くなった。
「ッ……休ませてくれ、頼むから」
胸が締まり、息が詰まる。額には汗が浮かび、体も竦んでしまう。
『お兄ちゃん、どこに逃げるの!?』『知らねえよ!俺だってどうしたらいいか…………って、何して……………………な、なん、手……だけ……』
従兄弟の腕を乱雑に掴んで、暗い道を走った。突然、引っ張っていた手が、妙に重い物を持っているようになった、あの感覚。
『……兄、ちゃん…………助け──』
「はァッ……はっ、はあ……んだよ、クソったれ!」
思い出したくもないことを散々掘り返される苛立ちで、寝ていた体を唐突に叩き起こし、枕を鷲掴みにして壁へと思い切り叩きつけた。
奴らと相対する前はいつもこうだった。必要な休息が取れない。息が詰まり、動悸が激しくなり、自身への憎悪で歯が軋み、握り拳を太ももの上にズンと叩きつける。
「修一さん、大丈夫ですよ」
起きていた……というより、起こしてしまった香奈は、こちらの様子を見るや否や、体を起こしてそのまま布団の上に座った。
「『あの時』とは違います。今のあなたには私がいます。それに、彼らと渡り合える力もあります。もう、何も失うことはありません」
「…………」
心配してかけてくれた言葉なのだろうが、それは紛れもない事実だった。素直に礼を言えばいいのに、口篭ってしまう。そんな自分に、また腹立たしさを覚えてしまう。
「……なんだ、眠れないのか」
俯いていた顔を上げると、襖の奥に梁坂さんが寝巻き姿で立っているのが見えた。また怒られるのかと思いはしたが、その声色からは、不思議と苛立ちを感じなかった。
「仕方ないやつだな……。いい?今回は私も参加する。一人じゃないんだ、安心してろ」
「梁坂さん……ありがとうございます」
「別に……。足引っ張られても困るってだけよ。わかったら、その枕を戻して、体を横にして、瞼を閉じなさい。考え事が尽きないのは察するけど、体は少しでも回復してくれるから」
その言葉は、普段の立ち振る舞いからは想像もつかないほど暖かかった。
言われた通り、投げつけた枕を抱え、形を整えて布団に戻した。その様子を彼女は、ただ黙って見つめていた。
しかし、梁坂さんも睡眠が必要な筈なのに、なぜこんな、癇癪を起こした自分を叱らず、宥めてくれたのだろうか。単なる優しさなのだろうが、少しわからないところでもあった。
「眠れないなら……少しなら付き合う。話して楽になるなら聞く。一人で抱えるな」
「……ありがとうございます」
「気にするな……。昔の、家族のことなんだろ」
そのことを指摘された途端、心臓が強い拍動を起こし、一瞬体の動きが停止した。
「……話したことはありませんよね。俺の家族と親戚が、怪異によって殺されたんです」
彼女の反応は薄い。既に察してくれていたのだろう。そのまま黙って相槌を打ち、自分のそばにゆっくりと歩きながらやってきて、そっとその場に腰を下ろした。
「今から三年前になります。僕は当時十八歳でした。父方の祖父母がいる実家に帰省中の事です。父の弟の家族も来ていました。十歳離れた従兄弟がいましてね、可愛かったな……。本当、俺が何をしたっていうんでしょうね、みんな、楽しく暮らしていただけなのに」
言葉を連ねていく毎に、過去の記憶が鮮明に蘇っていく。その景色の美しさたるや、言葉では言い表せられないほどに煌めいていて、同時に、二度と戻らないということを突きつけるようだった。
「従兄弟は悠人という名前でした。最後に会った時、学校で受けたテストで満点を取れたんだって自慢をしてくれました。すごいね、偉いねって褒めてあげました。それが相当嬉しかったのか、何度も何度も話してくるようになっちゃって。最後には親が出てきて、いい加減しつこいだろって、怒られてたっけ。僕には兄弟が居ませんでしたから、弟がいたらこんな風なのかなって、遠目で見ていても心が暖かくなるんです。自慢するつもりじゃありませんけど、本当に恵まれていたと思って、います…………」
自分でも呼吸が浅くなるのがわかった。昔話をこんなに話すとは考えもしなかった。
話せば話すだけ、自分の体から体力が、生気が失われていくのがよくわかる。視線は下がり、焦点も合っていない虚な眼。思い出とトラウマを行き来するだけの脳髄に意識が集中していた。
「梁坂さん。どうして僕は、僕だけが助かったんでしょう。香奈が俺だけを助けてくれたから、とかじゃなく、何の因果で、こうなってしまったんでしょう」
別に聞くような事ではない、寧ろ、聞いてはいけない事であることはよくわかっている。しかし、今は頭に浮かんだ言葉がそのまま声となって現れていくようで、歯止めが効かなかった。
「そんなの、わからない」
「…………」
「何の因果かって、後にならないとわからない事もある。それが一年後なのか、十年後なのか……。もしかしたら死ぬ直前かもしれない。でもさ、それって自分を納得させる為のこじつけだと思う。気の利いた答えを出せなくて悪いけど、結局のところ、因果も何も無いでしょ」
「…………じゃあ、何のためにみんな殺されたんでしょう」
「それも、その怪異がそうしたかったから。せざるを得なかったから」
「…………無慈悲ですね」
「嫌われるのは慣れてるから。ただ、一つだけ言わせて。確かに殺されたのに理由はないと言った。でも、お前がこれから生きていく事で、親族の無念、想いに応えることはできる。その時お前が、お前自身が、自分だけが助かったということに、納得できる理由を見つけられる」
「こじつけじゃないんですか」
「だったら何、こじつけだから悪いとは言ってないだろ。因果なんてなくとも、そう納得させられる理由があれば、それだけで救われる事だってある。人間の心って、信じられないくらい脆く繊細で弱いものだから、こじつけでも建前でも、支えてやらないと身が持たないんだよ。今のお前みたいにな」
「あ……」
その言葉に少し、心を打たれた。確かに、自分は今まで自分を責めることしかできなかった。自分だけ何故助かったのか、どうしてみんなを助けられなかったのか、自分の何がいけなかったのか、何が悪いのか……そんなことを反芻する事が当たり前となっていて、いつしか自分を支える事を忘れていた。
ただ、今更自分を支える方法なんて、もう思い出せそうになかった。
「……まあ、ゆっくり考えな。まだ生きてんだからさ。どうせ百年もしないうちにみんな死ぬから、その時あの世で親族に向かって、胸張って会えるようになってろ」
「そうですね……。ありがとうございます」
「よし。あ、どうせ寝れねえならさ、一つ教えて欲しいことがあるんだけど」
そう言って梁坂さんは、枕元に置いてある木箱を指差した。
「それ、何なの」
「これですか?匕首です」
「匕首?匕首ってあの……任侠もののドラマとか、そういうのに出てくるドス……みたいな?」
「そう思ってもらって大丈夫です。ただしこれは、人は殺せず、怪異だけを殺せます」
「人は殺せず、怪異だけを殺せるって……どういうこと」
「折角です、見てください」
そっと木箱に手を伸ばし、カタ、と蓋を開ける。
中身は布に包まれた棒状のもの。布を解くと、匕首が二本、鞘に収まって入っている。白っぽい見た目の木材で、恐らく白樫か何かだと思われるが、詳しい事はわからない。
それぞれには特徴的な模様が彫られていて、片方には蜂の巣のような、ハニカム構造になっている六角形が三つ、それぞれ柄の端、鞘の先に刻まれている。
もう片方には、同じ位置に半円が描かれており、柄と鞘とで左右対称に描かれている。
「うん。お前これ、銃刀法違反とか気をつけろよ」
「大丈夫ですよ」
「そんなわけあるか」
「理由はこれです」
そう言って匕首の柄を持って、鞘を
「……なんだこれ」
持ち上げた匕首は、
「見ての通り、
二本目の匕首も同じようにして取り出し、柄だけを両手に持って見せつける。
柄の先、茎がほんの少しだけ顔を見せるが、本来の色合いが想像もできないほどの錆と腐食が進んでおり、木材の一部にも錆びた粉が染み込んでいる。
鞘の方にも同じような跡がある。見た目以上の重さをしていることから、刀身は鞘の中に残ったままだと思われる。
「人は殺せないって、そういうことだったのか……。うん、確かに無理だな」
「ただ、この刀身があったであろう場所には、確かに何かがあるらしく、怪異には有効です。距離を詰める必要があるぐらいで」
「ふーん……」
「……これ、香奈に助けられた後、実家の納屋にあるのを見つけてくれたんです。『これ、なんですか』って」
「へえ……。蜜坂、お前は何で、よりによってこれを見つけたんだ」
「うーん……。危ないな、怖いなって気持ちにさせられたので。あの箱は危険だ……。と、本能で分かってしまったといいますか……」
「へえ、怪異にはわかるもんなのか」
「……いや、これに対して怖いと思ったのは、きっと香奈だけです。今まで他の怪異にも勿論会いましたし、これで排除したこともありますが、こいつほど警戒された事はありません……。いや、むしろ気にしてないような……」
「ふーん……。香奈の警戒心が強かっただけか」
「多分、そうです」
実際、この機関に入ってから二度か三度、これを用いて怪異と対峙している。勿論多少の抵抗は受けたものの、取り出した時に狼狽えるような事は一度だってなかった。
「不思議なこともあるもんだな。ありがと、すっきりした」
「いえ、お構いなく。今日の出動時には、これも持って行きます。その時はまた、よろしくお願いします」
「わかった。もう眠れそうか」
「お陰様で、かなり楽になりました。人に話したこと、あまり無かったので」
「気にするな、たまには人を頼れ。じゃあ私も休んでくる」
「はい、わかりました。おやすみなさい」
「おやすみ」
そう言って彼女は部屋を出た。残された自分と香奈は、再び自分の布団へと潜り、そのまま眠りに就く。
今の自分が正しいのか、これで良いのかはわからない。だけど、いつか報われる、みんなに応えられるのであれば、今の自分に出来ることを、泥水啜って足掻きながらでも、やるだけやってみよう。
そう思えば、肩の荷が少し降りたような気がした。頭の中の靄が少し晴れ、体の緊張も解れてくれた。今度は眠れそうだ……
◆◆◆
「修一くん、起きて。一時間前よ」
抑揚のない声で目が覚める。矢坂さんが起こしに来てくれたらしい。
少し重い体をゆっくりと起こして、瞼を二、三回擦り、ゆっくりと目を開ける。
「おはようございます」
「おはよう。香奈ちゃんはもう準備できているみたい」
その言葉を聞いて彼女の方に視線を向けると、すでに着替えを終え、背を軽く伸ばしたり、足を伸ばしたり等、準備運動をしていた。
服は普段より装飾が多い黄色の二尺袖を纏っている。袖や襟元、あらゆる箇所に大小様々、彩鮮やかな花の刺繍が散りばめられており、一目見てその袴の価値が高いことを理解させられる。
そして、その上に墨染の袴を着ていた。その袴にも花柄はあったが、二尺袖に比べてかなり控えめだった。ただし、裾付近には、黄の糸で六角形が敷き詰められた、蜂の巣模様の刺繍が施されていた。
彼女は、怪異と対峙する時は必ずこの服装と決めているらしく、所謂、戦闘服にあたる。
「じゃあ、僕も準備します」
「よろしく。後で私の部屋に合流して。雪乃ちゃんにも伝えてくるわ」
「わかりました、ではまた後ほど」
「ええ、また後で」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます